6章 調査結果⑤

ゔぉぉぉぉおおおお


 魔術が発動した途端、断末魔ような轟音が響く。きゃあ、と悲鳴を上げたのはエミリエ。

 

 ガタガタと部屋が揺れ始める。地震かと思ったが不思議と地面は揺れていない。


「な、なんじゃあ!」


 揺れが激しさを増し、ロウも恐れ慄いている。揺れが酷くなる中、バラバラと壁の絵画の絵の具が剥がれ始める。


「吸わないように!布で口と鼻を覆って!袖でもいい!」


 エリックが全員に促す。


「ノエル!」


「お前はどうする!?」


「やり遂げる!」


 わかった!と言うとノエルはエリック以外の3人を部屋の外へ連れ出す。ノエルはエミリエに手を貸し、セレンはロウを支えながら屋敷の外まで出た。4人は屋敷の外に出て外観を見上げた。


「何が起きているのでしょう…?」


 エミリエの口にした疑問にノエルは苦笑しながら


「さあ…何が起きているのでしょうか」


と応える。


 見上げた屋敷は揺れも轟音もなく、いつもの姿を見せている。何が起きているのかは中に残ったエリックにしかわからない。



 絵画が崩れゆく中、エリックは1人で魔術を行使し続けていた。舞い上がる絵の具の粉を吸い込まないように上着の袖で口を押さえながらエリックは起きている事象を理解しつつあった。


 崩れゆくエルロン画、その下から新たな絵画が顔を覗かせていた。


(もともと描かれていた絵を隠すために上から別の絵を描いたのか。下の絵を見つけられるように魔術を仕込んで。この仕掛けをしたのはダグラスで間違いないだろう。しかし…)


何故、こんな手の込んだことをしたのだろうか。隠した上で見つけられる仕掛けをした理由はないだろうか。エリックはダグラスの考えに想いを馳せる。


 しばらくして揺れが収まる。


(すごいな…絵の具がほとんど剥がれたところで魔術が止まった。全てが計算されているのか。ダグラス=クルフ、これほどの魔術師だったとは…)


 エリックはダグラスの緻密な魔術の余韻に浸っていた。


 背後で部屋の扉が開く音がした。


「エリック、どうなっ…」


 思わず言葉を失ったようだった。


「ノエルか」


 ノエルはエリックの隣に並んだ。


「何が起きたんだ?」


「あの魔術は壁を揺らすだけのものだったようだ。壁が振動したせいでエルロン画は崩れ落ちた。多分、崩れやすくする加工がされていたんだろうね。それであの絵の下からこの絵が現れた」


「そういうことか…」


 2人はしばらく現れた絵画を眺めてしまっていた。思わず見惚れてしまっていたのだ。


「色々と考察したいところだが…そろそろ皆にこのことを伝えに行こうか」


そう言ったエリックにノエルが、そうだな、と言って2人はエミリエ達の下へ向かう。


「どうなったんですか?」


 外に出るとすぐにエミリエが尋ねてくる。


「何というべきか…実際に見てもらった方がいいでしょう。少し待って舞い上がる絵の具の粉塵が収まったら中に入りましょう」


 エリックはそう答えた。


「そろそろ大丈夫そうです。ですが布で口を覆うのは忘れずに。それとあまり粉を巻き上げないようにそおっと動くように」


 エリックがそう言うとセレンがすかさずハンカチを取り出してエミリエ、それとロウに渡す。ありがとう、と言ったエミリエは不安でいっぱいだった。


 絵画の絵の具の毒。


 そう聞かされたとき目の前が白黒した。好きだったあの絵が父も母も働いてくれた皆も蝕んでいた。何もかもを否定された気分だった。どうしてそんな酷いことが簡単に言えるのかとあの2人を糾弾しそうになった。しかしその怒りも一瞬のことだった。怒りはすぐに喪失感に変わり


 そんなエミリエの心中を知ることもなくエリックという男は魔術がなんだと騒ぎ始めた。この男のことはあまり好きではなかった。呪いなどというものを取り合ってくれたのは感謝している。しかし自分は調査に来ても魔術書のことばかり。エリックは魔術書の調査に来ているのは当然知っている。それでも呪いの話を全く意に介さないような態度が気に入らなかった。


 そのエリックが魔術を使ってもいいかと許可を求めてきた。正直なところもう好きにしてくれればいい、絵が消えてなくなるなら丁度いいと半ば自棄になっていた。


 いざ魔術が始まってみると物珍しさから僅かな好奇心が湧いた。何か良いことが起こるのではと期待したがあっという間に裏切られた。叫び声のような轟音、揺れる建物。悪魔にでも魂を売ってしまったのではと恐怖した。屋敷の外に連れ出されてやっと落ち着いて考えることができた。


 そこでまた不安と焦りに支配された。安易にとんでもないことに許可を出してしまったのではないかと。そのまま屋敷が崩れてなくなってしまうのではと恐怖した。


 外に出てきたエリックに何があったかを尋ねてもはぐらかされた。そんなことをせずともわかっている。逃げ出す前に絵が崩れ始めたのは見ていた。あの絵は完全に崩れて消えたのだ。


 エミリエは覚悟を決めて屋敷の中に踏み入る。そして大広間の扉を潜った。


 そこには新たな世界が広がっていた。


 崩れ去ったエルロン画の代わりに情熱を感じさせる絵が描かれていた。森林か大きな庭か、緑に囲まれた中に何人もの人が描かれている。走る子供、食事をする男性、赤子をあやす女性などそれぞれがバラバラに過ごしているように見える。


「あなた一体何をしたのですか?!」


 エミリエはエリックにくってかかった。それも当然の反応に思える。魔術を使い終えると描かれていた絵が全く別のものに変わっていたのだから。


 エリックは苦笑いを浮かべながら


「魔術によって壁に描かれた絵が崩れ、その下からこの絵が現れたのです。この絵が何かとかどういう意図で隠されたのかなどは私にも…」


と答えていたが途中で話を止める。


「ノエル、何か気になることでもあるのか?」


 ノエルは顎に手を当て、絵画を眺めていた。


「ケビン=クルーガー」


「え?」


 エリックの方を向いて、想像の話だが、と前置きをして語り始めた。


「ダグラスという魔術師の前の持ち主がケビン=クルーガーだという話があっただろ?同姓同名だと思っていたが本物のあの有名な画家のケビン=クルーガーだったんじゃないか?」


「け、ケビン=クルーガーってあのケビン=クルーガーですか?!どういうことですか?」


 エミリエが叫び声に近い驚きの声を上げる。


「ダグラスの魔術書にそんなことを書いた紙が挟まっていたのですよ。魔術書の調査が終わったらまとめてお話ししようと思っていたのですが。当然、画家のケビンである証拠はどこにもありません」


 エリックがそう説明した。


「でしたらどうして本物かもしれないって話になるのですか?」


 今度はノエルに詰め寄る。


「あくまで可能性の話ですが。私が気になったのは上に描かれていたエルロン画の名前です。『楽園』という名前だったと思いますがあの絵は楽園と呼ぶには遠い、ありふれた田舎の日常を描いたもののように思えました。だから『楽園』という名前、本当はこの絵の名前だったのではないかと思ったのですよ。もちろん、ありふれた日常こそ楽園だという考えで描いた可能性もありますが」


「だとしてもケビン=クルーガーが本物だとはならないでしょう!?」


「私は…この絵はあの有名な連作の7番目の作品なのではないかと思ったのです。連作は全部で6作だと言われていますが根拠があるものではなく見つかっているものからの考えて6作だろうなっているそうです。連作は人の一生を描いたもの、6作目は死の直前を描いたものだそうです。なら死後を描いた7作目があってもおかしくはありません。

 そしておそらく、ここに描かれているのはケビン=クルーガー自身です。注目すべきはこの絵に描かれた男性です。走っている少年、食事をする青年、鞄を持って出かけるような素ぶりの中年、それよりもう少し歳をとった男、それとお茶を飲んでいる老人、それとこの女性に抱えられている赤ん坊も男の子です。彼らの手を見てください。赤ん坊と老人以外の手には筆が握られています。絵を描き続けた一生を表しているのではないでしょうか。特に青年は食事中にも関わらず右手に筆を持っています。これは絵を描かねば食っていけなかったという自身への皮肉が込められているように思えるんです」


「つまりこの絵はケビン自身が死後自身の一生を振り替えている、というところか?」


そう言ったエリックにノエルが、かもしれないって話、と返した。


「ふ、あはははは!」


 エミリエは突然大笑いを始めた。


「お二人は、いえノエルさんの方ですわね。本当に面白い方ですわ!絵の具の毒の次はケビン=クルーガーですって!おっかしい!」


 エミリエはしばらくお腹を抱えて笑っていた。本当に面白い、と呟いてやっと落ち着いたエミリエは涙を拭いながらノエルとエリックに向き直る。


「ノエル様、エリック様、今回はご尽力いただき本当にありがとうございました。正直なところ色々なことが起こりすぎてまだ整理がついていませんが…」


 新たに現れた壁の絵画を見ながら


「来ていただいたのがお二人で本当に良かった」


と言ったエミリエは吹っ切れたような笑顔を見せた。

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