6章 調査結果④
「待ってくれ!!」
エリックは叫んだ。
「どうした?」
とノエルが尋ねてきた。エリックはそれに答えず手で反応を返す。思考を止めたくなかったのだ。
エリックはじっと天井付近、厳密には天井と壁の境目の角を見つめていた。
エリックはノエルがエミリエ達に話をしている最中、初めてゆっくりとこの壁の絵画を眺めた。何度か見る機会はあったが他ごとに気を取られてしっかりと見てはいなかった。部屋の壁、四方にぐるりと一つの絵を描くという発想は大胆で壮観だ。ノエルが話していたが素晴らしい芸術は芸術を知らない人間をも虜にするというのはその通りなのかもしれない。
ノエルの話が進んでいく。絵画が崩れやすいことを話し始めた頃、話を知っているエリックはふとどれほど崩れやすいのかと気になった。立ち上がって絵の前に向かう。ちょうどいいと、話の流れに合わせて絵を指でなぞり絵の具が剥がれ粉状になることを皆に見せた。
それから立ったまま間近で絵を眺めていた。話をしていたノエルに呼ばれて返事をしたあと何気なくふと絵画の上部、天井付近を見上げた。
何かを見つけたわけではなかった。
何かに気づいたわけではなかった。
ただ瞬時に血が湧き立った。
毛が逆立った。
瞳孔が開いた。
心臓が跳ねた。
毛穴が開いて脂汗が滲んだ。
ノエルからの再びの呼びかけ。気づけば叫んでいた。待ってくれと。
(なんだ…一体何があるんだ…)
以前、人間の五感は人間が思う以上に高性能だという話を聞いたことがあった。目はほんのわずかな差異を捉えている。耳はほんの小さな異音を捉えている。鼻はほんの微かな匂いを捉えている。しかし脳がそれを処理する際、切り捨ててしまって認識しきれずにいると。
今、まさに自分にはそれが起きている。エリックはそう直感した。五感が捉えた脳が切り捨てた何か。眼球を忙しく動かしてそれの正体を探す。
(あれは!)
焦り、苛立ちの中、慌ただしく動かしていた眼球は不思議とそれを捉えてピタリととまった。そしてエリックはやっとそれを認識した。
(魔術式だ!!)
天井と壁の境目の角、絵画の上部にぐるりと一周木製の枠が取り付けられている。その木の枠には装飾が施されていて一見絵画の額縁を模したように見える。だがその装飾こそが魔術式だった。
「魔術式だ!木の枠に魔術式が刻まれている!」
「なんだって?」
ノエルがエリックの側に寄る。続いてエミリエたちも。
「あれは装飾が彫ってあるだけじゃないのか?」
「間違いなく魔術式だ。魔術に使われる文字の大きさや形を崩して装飾のように見せているんだと思う」
「ま、待って下さい!魔術ってどういうことですか?」
エリックは一つ頷いてから話し始めた。
「ご存知かどうかわかりませんがこの屋敷の前の持ち主はダグラス=クルスという魔術師だったのです。私はあの隠し部屋でそのことについて知ったのですが…彼が何か仕込んだのかもしれません」
「何かって一体どんな魔術が仕込まれているのですか?」
「わかりません。おそらく私が知らない魔術です」
そう言ってエリックは木製の枠を睨みつける。
「お前にもわからない魔術ってどうするんだ?」
とノエルが疑問を口にする。エリックは襟を正しながらエミリエに向き直る。
「この魔術、私なら行使出来ると思います。当然、何が起こるかは分かりません。この絵画に関連するものかもしれないとは想像出来ますが…。どうでしょう?この秘密、解き明かしてみませんか?」
「この絵に隠されたさらなる秘密…ですか。まだ何か隠しごとがあるのですね…」
そう呟くエミリエの顔は暗い。秘密を悪い意味でしか考えられないのだろう。
「悪い事とは限りませんよ。例えば絵画に何か浮き上がったり、隠した財宝の在処を示したり。当然、絵画が二度と見れなくなるかもしれませんし全く関係ない魔術が発動するかもしれません」
エミリエはしばらく黙って絵画を眺めていた。
「…秘密は全て解き明かすべきなのかもしれませんね。何か意図があったのかそれとも悪意だったのか。エリック様、私は…知りたいです。この屋敷に隠された全てを!」
エミリエは覚悟を決めた強い目で言い切った。エリックも力強く頷く。
早速、部屋の中央に置かれたテーブルを端へ移動させる。部屋の中心に立ちエリックは
「エミリエさん、決断していただいてありがとうございます。エルロン画の毒素という話を聞いたあなたの心中は私には計り知れないものでしょう。それでも秘密を知ろうとしたあなたの強さに必ず応えて見せましょう!」
エリックは仰々しく両腕を左右に広げる。すると木製の枠に刻まれた魔術式に液体が染み渡るように緑に薄く光っていく。ぐるりと一周、木の枠の魔術式が緑に浮かび上がる。エリックがばっと両腕を上げる。それを合図に緑の魔術式が枠から外れるように宙に浮き上がる。すごい、と感嘆の声は女性のもの。エリックは文字の大きさと形を整える。宙に浮いたそれらは楽譜の上の音符のようにも見える。
エリックは足下に広げた両腕より少し大きいくらいの円を出現させる。そこに外側から一重、二重と魔術式を刻んでいく。四重目で綺麗に全ての魔術式を刻み終えた。
「よし!発動するぞ!」
エリックの掛け声と共に足下の魔法陣が強く発光する。そしてーー
魔法陣は光と共に霧散した。
「な、何が起きたのでしょうか?」
エリック以外が辺りをキョロキョロと見渡してどんな魔術が発動したのかを確かめようとする。
当然変化はない。
「まさか失敗か?」
ノエルの声、非難か呆れか嘲笑か。意に介さずにエリックは再び魔術式を走らせていく。何故、失敗したのかと考察しながら。
一つずつ考えよう。まずそもそも術式が未完成、あるいは修復の際に壊れてしまった場合。このケースに関してはどうしようもないので一旦考えなくていい。
次のケースは始まりが間違っている場合だ。部屋の壁にぐるりと一周魔術式が書かれているせいで術式の頭が分からなくなっている。エリックは部屋の扉のところが頭だと辺りをつけたがそれが間違っていた場合、正しい頭を見つけなければならない。どんな魔術かもわからない状態でそれは中々に手間がかかる。このケースならすぐに魔術を行使するのは無理だ。
最後に一番厄介なのは魔術式も術式の頭も間違っていない場合だ。このケースが一番厄介だ。最早この場ではどうすることも出来ない。本格的に研究をして、それでも行使出来るかわからない代物だ。
まずは術式の頭を考え直そう。また全ての文字を宙に浮かせ、じっくりと術式を吟味する。やはり怪しいのは部屋の角に当たる文字だ。
(どこかの角が頭だろうか。それなら最悪総当たりで何とかなるが…。それともどこかに答えが隠されているのか?例えばこの絵画の中とか)
面倒なことをしてくれた、と内心悪態をつく。見つけて欲しいのか欲しくないのか、どっちつかずの中途半端。見つけて欲しいなら術式の頭はわかるようにしておけ。痒いところに手が届かない気持ち悪さ、同じ魔術師ならわかるだろう。
(これが輪術式なら何も…)
輪術式。その単語を思い浮かべた瞬間、点と点が線で繋がる快感がエリックに走った。
(待て、落ち着け、ダグラスが刻んだ魔術なら輪術式であるはずがない。あの時代には…まさか!)
完成させていたのか?ダグラスは自身の魔術書で確かに従来の円に魔術式を書き込む円術式以外の術式について言及していた。しかしそれは未完成で終わっていたはずだ。
もし完成させていたのなら。
理論上正しい魔術式が発動しない、これは輪術式が見つかる前の時代によく見られた現象だ。仮に…
エリックは頭を大きく振って思考を無理矢理止める。考えたって仕方のないこと、実際にやってみればわかる事なのだから。ごちゃごちゃ理屈を捏ねる意味はない。エリックは宙に浮く文字の大きさや形を整え、帯のように並べて輪を作る。
エリックには確信めいたものがあった。輪になった魔術式の中心でエリックは胸の前で手を合わせる。強く発光した術式は走り始める。
ゔぉぉぉぉおおおお
身体の芯に響く、心臓を揺らし肺から空気を追い出す断末魔のような轟音。
魔術は発動した。
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