3章 絵画と庭①
サラダは彩り豊かでいて新鮮だ。白身魚のムニエルは素材の味が生きた素朴な味い。豆のスープは豆のペーストが濃厚で口に入れた瞬間旨みが広がる。美味しい、と素直に思えるものばかりだった。
しかし、料理の感動が薄れてしまうほどノエルの意識は周囲の絵画に向いていた。ノエル自身芸術に高い関心があるわけではない。それでも素晴らしいものを素晴らしいと思える程度の心はある。
「この絵の題名はなんと言うのですか?」
「『楽園』という題名です」
答えたエミリエはどこか自信なさげだ。
「『楽園』ですか」
ノエルはぐるりと絵画を見渡す。
この絵画はノエルには小さな田舎の村のようなところでの生活を描いたように思える。数件の民家に仕事をしている大人と草原で遊ぶ子供たち。『楽園』と言う題名はしっくり来ない気がする。
「この絵画の作者にとっては何気ない日常こそ楽園だった、と言うことでしょうか。あるいは疲れ切ってもっと静かなところで暮らしたいとでも考えたのでしょうか」
「わかりません。なぜ、この絵画が『楽園』と名づけられたのか。想像することしかできません」
ひょっとしたら本当の名前は…、エミリエは呟くようにそこまで言った。
「作者は分かっているのですか?」
エミリエが頬を掻いて苦笑いを浮かべる。
「実はそれも分かっていないのです。すみません、わからないことばかりで」
「そんなことないですよ。誰がどういう意図でこの絵を描いて『楽園』と名づけたのか。我々は想像することしかできないなんてロマンがあるじゃないですか」
ノエルは満足そうに頷きながらそう言った。
「ふふ、ノエル様は本当に素敵な考え方をされますね。この絵がもっと素敵に見えてしまいます。それと分かっていることもあるのですよ。エルロン技法という技法が使われています。この技法はなんと言っても青色の美しさが特徴です。この青色の美しさは他の技法では出せないそうです。でも弱点もあるのです。絵の具が脆いらしく1、2年もすると剥がれてきてしまうのです。そのため我が家では1年に一度グレース工房というところで修復していただいているのです」
「1年に1度も?それは大変だ」
「ええ、そうなのですが私自身も父も母もこの絵をとても気に入っています。このお屋敷を買ったのもこの絵画が決めてだったようです」
「そうなんですか。それは…」
エミリエの視線が別のところに動いた。気づいたノエルもその視線の先を追いかける。
「そろそろ作業に戻らないといけませんので」
エリックがそう言った。食事が終わってからも話し込んでしまっていた。エミリエが申し訳なさそうにしているのでノエルはもう少しだけ話に付き合うことにした。
エリックが退席してからはそれほど話は弾まなかった。エミリエに礼を言われてお開きとなった。
(さて、何をしようか…)
呪いを解く手がかりを探さなければならない。しかし、見当もつかない。屋敷内に怪しいものがあるわけでも、エミリエに問題があるわけでもなさそうだ。一番可能性が生まれそうなのはエリックが整理している隠し部屋と本の山を調べることだろう。
(うーん、どうしようか)
窓の前に立ち、外を眺めながら顎をさする。エリックを手伝う、それが今できる最善なのは間違い無いだろう。しかし気が乗らない。隠し部屋から出てきた本の大半は魔術書だ。魔術はエリックの領分。素人のノエルが行っても邪魔になるだけだ。それ以外の本もエリックならすぐに読んで情報を整理してしまうだろう。ならばノエルは別のことを調査し、後から整理した情報をエリックから聞いた方が効率が良い。問題は調査すべきことが思い当たらないことだ。
気づけばノエルは悩みながら窓に近づいていっていた。外には立派な庭。十分に手入れされている。作業着の男性が1人で手入れしているのだろうか。視線を走らせると木陰で休んでいる姿を見つけた。何かわかるかもしれないという期待と単なる気まぐれが半分半分。ノエルは話しかけてみることにした。
屋敷を出て右手に向かう。ノエルが男性方へ歩いていくと立ち上がってこちらに向かってくる。
「どうかされましたか」
歳は60くらいだろうか。小柄のよく日焼けした男性。刻まれた皺と荒れた手が熟練の庭師であることを物語っている。
「いえ、素敵な庭だと思って見にきたのです」
ノエルが言うと男性は誇らしげにニカっと笑った。
「そう言っていただけるとありがたい。この道40年。このお屋敷一筋で勤めてきましたから。職人冥利に尽きます」
「40年ですか。それは素晴らしい。お一人で手入れされているんですか」
「ええ、そうです。以前は弟子を取ることもありましたが今は1人です。旦那様のご好意でこの歳まで仕事をさせてもらっていますので腕が落ちたら面目がたちません」
嬉しそうにそう話す男性。
「おお、そういえばまだ名乗っていませんでしたな。私は庭師のロウと申します」
ロウはノエルに手を差し出す。ノエルは手を取って握手を交わす。
「ご丁寧にありがとうございます。私は…」
一瞬、探偵と名乗るのを躊躇う。探偵というと奇妙な目で見られることがままある。それに何より今だにこの肩書きは名乗り慣れない。といっても探偵としてこの屋敷に来ている以上ごまかしは無意味だろう。
「探偵のノエルと申します。今回は捜査官のエリックの手伝いでやってきました」
ロウの反応は予想と違っていた。深刻な表情に変わったあと、やっぱり、と呟いた。
「どうかしましたか?」
ノエルが問いかける。
「あの、このお屋敷が呪われているというのは本当なのですか?」
少し驚く。屋敷に勤めている以上知っていてもおかしくはないのだが。
「実は聞こえてしまったんです。以前あなたと一緒に来た方とエミリエ様が話しているのを。あなたはその調査に来たのでは無いのですか?」
考えが飛躍している、と思ったがその通りなので黙っておく。
「まあ、そのことを含めての調査と言ったところです」
少しだけ濁しておく。話を聞いたロウは意を決してといった様子で話し始めた。
「ずっと、おかしいと思っていたのです。私はエミリエ様の祖父に当たるランディ様の代からこのお屋敷に勤めております。ランディ様もキャシー様もジェイコブ様もヒルダ様もお若くして亡くなられました。それに使用人も何人、いや何十人と身体を壊してお屋敷を去りました。悪いものが憑いていたのです!そのせいで皆が!」
ロウは興奮し、言葉に熱を帯びてくる。
「早くに亡くなっているのはエミリエさんの一家だけじゃ無いんですか?」
「私の知る限り使用人の皆は亡くなったとは聞いておりません。ですがほとんどの者が病気になっているのです!」
(呪われているのは一家ではなくこの屋敷、か…)
「お話を聞かせていただいてありがとうございます。呪いについては全力を尽くしますので何かあればその時はご協力をお願いします」
もちろんです、とロウが強く頷いた。
ノエルは屋敷の中に戻る。
(次は何を調べようか)
手に入ったほんの小さな手掛かりは調査を進めるものではなく、事態は想像以上に根深いものかもしれない、とノエルに不安を抱かせるだけのものだった。
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