2章 秘密の部屋③

「エリック」


 呼ばれてはっとする。

振り返るとノエルとセレンがこの隠し部屋を覗いていた。


「昼食を準備していただいたそうだ。」


言われて自分の空腹に気がついた。


「すみません。ご迷惑ではありませんか?」


「迷惑なんてとんでもないです。エミリエ様も久しぶりに誰かと食事ができると喜んでおりました」


「ありがとうございます。ではご一緒させていただきます」


 セレンに案内され大広間に向かう。

大広間への扉は建物の入口の正面の扉のみ。

入口の方まで周り、大広間へ向かう。


 セレンが扉を開けてエリックとノエルを通す。

2人が大広間に一歩踏み入れた瞬間だった。


 2人は心奪われた。


 四方の壁全面に絵画が描かれていた。

四方の壁が一つの連なる絵画となっている。


 赤や茶、黄などの温かみのある色使いに刺すように使われている青が非常に印象的だ。夕暮れ時のような世界に見えるが一度青に魅了されると一気に青空のもとの世界に生まれ変わる。そんな不思議な感覚に陥る絵画だ。


 大広間の中に入れば絵画の中に入り込んだような錯覚を起こす。


「素晴らしい…」


言葉にしたのはノエルだった。


「まあ、ノエル様は絵画に興味がお有りですか?」


「いいえ、そういうわけではないのですが。私が思うに本当に素晴らしい名画というのは知識や関心がない人間すら魅了してしまうものなのです。だからこの絵画は本当に素晴らしい名画だと思います」


それを聞いたエミリエが嬉しそうに目を輝かせる。


「とっても素敵な考え方です。私も絵画の詳しいわけではないのですがこの絵はとても気に入っているのです。ええ、とっても。実はこの屋敷を買った先代もこの絵画が気に入って買ったそうなんです。やっぱりなんといっても青色が素敵ですよね。深いというか輝いているというか、ぐっと惹きつけられてしまいます」


 はっとした表情でエミリエはパンっと手を一つ叩く。


「いけませんね、私ったら。食事にしましょう」


 大広間の中央に置かれた正方形のテーブルに3人分の食事が運ばれてくる。

彩豊かなサラダに白身魚のムニエル。

豆のスープにバケットが添えられている。


 食事中の会話はもっぱら絵画についてだった。

エリックは適度に相槌を打ちながらエミリエの話を聞き流していた。

意外にもノエルは興味深そうに質問をしながら会話していた。


 食事が終わっても会話は続いていた。

エリックは内心、早く魔導書の整理に戻りたかった。

仕分けが終わってこれから中身の精査だ。

気になる魔導書も何冊かあった。

ついでに手記のようなものも。


 早く戻りたい。

そう思っていても話は終わる気配がない。

話しを続けるエミリエよりも呑気に話しを聞いているノエルに腹が立ってくる。


「飲み物はいかがですか?」


セレンが気を遣ってくれた。


「お気遣いありがとうございます。ですがもうそろそろ作業に戻らないといけませんので」


いいタイミングだと思って遠回しに切り上げたいことを伝える。


「申し訳ございません。また話し込んでしまって」


エミリエが申し訳なさそうに頭を下げる。


「とんでもない。本当ならもっとお話を聞いていたいところです」


 エリックが笑顔で取り繕う。


「では私がもう少しお話を聞いてもよろしいですか?」


「ええ、もちろんです!」


ノエルの提案をエミリエが喜んで受ける。

楽しそうにまた会話を始める2人を横目にエリックは大広間から退室した。


 エリックは足早に書斎へ向かう。

隠し部屋から本を運び出し終え、仕分けも大方終わったところだ。


 エリックが読んだことがあるものや一般に流通しているもの、軽く目を通して問題がなさそうな魔術書は今回中をあらためることはしない。

それらを省いて残った2割ほどの本の内、モールド家の当主たちが書いた手記が数冊、あとはエリックが気になった魔術書と危険そうな魔術書だ。


 エリックが気になったのは魔術師ダグラス=クルフの著書。それほど有名な魔術師ではなく、エリックのように魔術の研究をしている者でも名前を聞いたことがある程度の魔術師だ。

にもかかわらずここにはかなりの数の彼の著書が収蔵されていた。


 危険そうな魔術書というのは人体蘇生や大量殺戮のような魔術について書かれたものだ。当然、実現しないであろうものでも万が一ということがある。それに研究、実験することに問題のある魔術書は回収せねばならない。今回で言えば永遠の命や延命について書かれたものは回収するつもりだ。


 さて、どっちから読もうか。

ダグラス=クルフの隠された魔術書はとても気になるし永遠の命など到底実現しない魔術について書かれたものにも惹かれる。


 嬉しい悩みというやつだ。

これこそ一等魔術師の特権。

とっておきを記した秘蔵の魔術書、自らの思想・欲望を満たすためのあくなき探求

、夢物語の実現ための盲目的狂信。

まさしく魔術師の闇だ。

その闇に触れ、著者に想いを馳せる。

それがエリックにとっての楽しみなのだ。

そしてついでにそれらを管理する、あるいは破棄するという一等の称号を持つ者の権利であり義務である仕事もこなしておく。


(決めた。危なそうなやつからにしよう)


 そう決めたのは単に寿命を縮める呪いというものに関係がありそうだったからだ。今回は一応その呪いの調査も目的に含まれている。ならば手掛かりになりそうなものは優先すべきだろう。


 エリックが書斎の扉を開く。

先ほどまでの苛立ちが嘘のようにご機嫌だ。


 積み上げられた本の山。

それを見て思い出した。


(最初に読むべきはこれだったか…)


 モールド家当主たちの手記。

呪いについても魔術についても書かれていそうな手記、はじめに読むべきはこれらだろう。


 エリックはそれらを手に取り、書斎の机の上に積み上げる。

急転直下、気分が一気に下がっていくのを感じながらエリックは手記を読み始めた。

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