生きる者であれ

神永 遙麦

生きる者であれ

 おばあちゃんが死んだ。

 曾祖母ちゃんと大伯母さん達の79回目の命日を迎えた直後だった。

 もう葬式も終えて、大人たちのバタバタも一段落着いた。だから私は今日でおばあちゃんの家を発つ。


 この時点で、おばあちゃんの死因が分かる人はどれくらい? 例年だったら分かるかも。でも今年は忘れられがちの年だったから分からないかな。かく言う私だって忘れかけていた。

 ま、たぶん老衰で亡くなっただけ。 なんたって87歳だったからね。長崎で生まれて、滋賀で亡くなった。長崎は中学を卒業してから出て、大阪で就職したけど「ピカの毒が移る」と差別を受けていたらしい。


 おじさん達に挨拶をしてから家を出る。バスに乗る。


 

 愛莉ちゃん従姪によると、おばあちゃんは死の床でぼそぼそと歌っていた。いつものやつを歌っていたらしい。拓也従兄がググったやつによるとカトリックが新年に歌う曲で、「新年の恵みと忠誠を誓う」内容らしい。

 おばあちゃんもおばあちゃんの家族もカトリックだった。戦時中だから差別されてそうだったのに、ちゃんとミサに出席するタイプの信徒だったらしい。アメリカはキリスト教徒が多いのに、なんで教会にも落としたんだろう?

 神様でもマリア様でもどっちでもいい。熱心な信徒だった、戦後に離教したけど。けど何で原爆なんかを落とすことを許したの? 信徒が惨たらしく死ぬのを上からただ見ていたのはアメリカ人と神様。なんで? 日本はキリスト教の国じゃないから?


 

 おばあちゃんは死ぬ直前まで取材を受けていた。

 私達や愛莉ちゃんの名前を間違えることが多かった。なのに79年も前の記憶を語り続けていた。執念か、それほど鮮明に刻まれたのか。はたまた両方か。

 

 10年後の私が30歳になる頃、おばあちゃんと同じ経験をした人はどれくらい残っているんだろう? 愛莉ちゃん辺りが生の証言を聞ける最後の世代かも。最後であれ。


 街中と比べるとゆったりしたアナウンスを聞きながら、私は切符を入れ改札を通った。通った改札を振り返っても、おばあちゃんが手を振ることはもうない。

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生きる者であれ 神永 遙麦 @hosanna_7

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