第26話 矢口高雄『チライ・アパッポ』

矢口高雄の短編『チライ・アパッポ』を読んだ。

舞台は北海道の摩周湖支流の川である。

ある幸せな若い新婚カップルがいる。

見ていて照れ臭くなるような幸福な生活が描かれるが、長くは続かない。

妻の小夜子が乳癌に冒されるのだ。

夫の正信は献身的に妻を看護する。

北海道出身で乳癌のため31歳で亡くなった女流歌人中条ふみ子の歌が、不吉なBGMとなって劇中に何度も流れる。

正信の献身の甲斐もなく、小夜子は若くして亡くなる。

その死に目に会えなかったことで、正信は小夜子にますます執着するようになる。


釣りが趣味の正信は川で2m級の大魚イトウを釣り損ねるが、そのイトウに、正信は愛妻の面影を見る。

数年の格闘の後正信は再びこのイトウに出会い

「小夜子会いたかった」

といって川に飛び込む。

正信はイトウに抱きついて溺死する。


ヘミングウェイの『老人と海』に代表されるように西欧人にとって釣りは狩りだ。

矢口高雄がこの短編で描いたのは愛である。

無名で、偉大で、悲しい、そんな神話的な愛だ。


チライ・アパッポは花の名前である。

アイヌ人が福寿草をそう呼んだそうだ。

最後のコマに寄り添って咲くチライ・アパッポが描かれている。

春を告げるこの可憐な花が、正信と小夜子の輪廻した姿に見えた。 

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