第30話 肝も冷えるだろうね、犯人
「そう、ミヤに水ぶっかけた奴のことなんだけどさあ」
ライナス王子が突然の爆弾を落としてきたのは、海の浜より西の神託者邸へ戻ろうとしたその瞬間であった。
歩みを止めないまま、ライナス王子の話は続く。
「ホセに調べさせたら犯人、突き止めてきたよ。やっぱりあいつ、兄貴付の護衛なだけあって優秀だねえ」
「……えっ、は、はい……?」
動揺のあまり意味が存在しない返答をしてしまった。
ホセ氏、優秀な人材であることは理解していたが。流石にこの案件は『無駄に優秀過ぎる』と言うしかない。
麻薬取引調査の時、大学の内部情勢は分からないと言っていたのは何だったんだ……!
「どう思う? 水ぶっかけ犯に、俺の呪いで制裁するのは正当防衛かな」
「いっ、いえライナス王子が加害を受けたわけではありませんし……」
「やだなあ、ミヤへの加害は俺への加害だって。だからさ、ここで制裁しておいた方が、今後の防衛になると思うんだけど?」
ライナス王子が無邪気な顔で笑う。
発言の物騒さに見合わない、可愛い笑顔。
――いや、まあ、落ち着こう。
わざわざ、ライナス王子が私に水をかけた犯人の話をしてくださった、と言うことは。
まるきり私の意向を無視しようと言うわけではない。そう考えるべきだ。
きっと、理解されたからなのだろうな。
ライナス王子にとっての『害』が、他人にとってはそうとも限らない――サウリ様が、そうであったように。
だから今こうして、私の考えを聞こうとしてくださっている。
他者を加害することに躊躇がなかった以前と比べて。確かに、変わられているのだ。ライナス王子は。
――応えなければな。変化されたライナス王子に。
私個人としては。制裁なんて、しなくてもよいのだけれど。
その考え方を、腹の虫がおさまっていないのであろうライナス王子に押し付けるのでは、ライナス王子に応えたことにはならないだろう。
――けれど。ライナス王子が誰かを直接的に加害するような事態は、当然回避したい。
ならば、少なくとも犯人へ実害を与えることはしない、と。
それだけでも納得してもらおう。
「犯人へ損害を負わせるのは、過剰防衛かと思います。私、あくまで身体を冷やしただけですから」
「――なるほどね。じゃあさ、犯人にも寒い思いをしてもらおうかな。それなら過剰じゃないよね?」
目には目を、歯には歯を――みたいなことを言っているな、ライナス王子……。
ただ、それも一つの落としどころなのかもしれない。
古代文明にて運用されていた復讐法は、罰を規定すると共に、過剰な復讐を抑制する意味合いも持っていたらしいし……。
「忠告で許してあげよう、今回は。でも次回はないよ、次は俺の呪いがきみを殺すよ――って『呪われ王子』の俺に言われたら、そりゃあ肝も冷えるだろうね、犯人。……ねえミヤ、それならいいよね?」
――そう、平和主義者なのだ、私は。
だから。ライナス王子の忠告で話が終わるのならば。
きっと今後、物事が忠告より先に進むことはないだろう。
つまり私にも静謐が訪れる。
うんうん。平和ではないか。
……ま、呪いの存在を信じるこの国の人間が、『呪われ王子による忠告』をどれだけ恐ろしく感じるかは。
私には、理解しきれないけれど……。
*
翌朝。暁を過ぎ、海が光に満ちていた。
今日も快晴だ。首都へ帰る馬車は滞りなく走り続けることができるだろう。
見送りに出てきたノエルに声を掛けられる。
「ええと、確か……ミヤ・エッジワースさん。国一番の商家、エッジワース家の方でしたね」
「気に留めていただき光栄です」
「ボクが首都へ出ましたら、是非またお会いさせてください。ちゃんと美味しい甘いパスタ、ボクも食べてみたいので」
勿論、と返事をし一礼。
ノエルに別れを告げ、来た道を戻る予定の馬車へ乗り込む。
西の神託者宅への訪問に同行すると決まった時は、どうなることかと思ったけれど。
終わってみれば、なかなか有意義な時間だったようにも思う。
特に道中、ライナス王子に教えていただいたクレープ屋。とても美味しかったな。
今度、父が帰宅した時にでも話題にしてみようか。
そうだ、それならば店の詳細をライナス王子に聞こう――そう思い、隣席のライナス王子を見やれば。
まだ馬車は未発進であるにも関わらず、既に頬は蒼白。どこを見ているかも分からない虚ろな目。
……ライナス王子にとっては――乗り物酔いの定めにある者にとっては。
この旅はまだまだ終わりではないのだ、と思い知らされる。
クレープ屋の詳細。
また後日、首都へ帰ってから聞こう……。
*
結論から言ってしまうと。
この『後日』がやって来る前に、事件は起こってしまった。
だから、私は。クレープ屋の詳細について、ライナス王子から聞き出す機会を、すっかり失ってしまっていた。
*
連休最後の日は、聖母アリア生誕記念日だ。
次代の教会トップ、
新聞各社が大々的に報じる、その一紙をチラと見る。
……紙面に刷られたリィナ様の似顔絵、中々に似ているではないか。
意志の強い瞳など、見事なまでに美しく描かれている。腕の立つ画家がいるな。
連休明けの大学は、それはもう大騒ぎであった。
一般科目の教室でもこうなのだ。神学部などは輪を掛けた騒々しさとなっていることだろう。
話題の中心は勿論、次代教会トップの座から退くこととなったサウリ様の御事情についてだが。
一部、貴族出身の女学生を中心として。全く別の題材が、しきりに騒がれているようであった。
その内容とは。
――ロベルト王子の、新たな婚約相手。
リィナ様がロベルト王子と婚約されていたことは、国民みな周知の事実である。
そのリィナ様が、次代の教会トップ大聖猊下となることが発表されたのだ。
世襲制である大聖猊下は他家に入ることはできない。
ゆえにリィナ様とロベルト王子の婚約もご破産、というのは当然の帰結である。
すなわち。
今、ロベルト王子は――婚約者不在の状態。
……となれば、貴族の女生徒達が燃え昂り滾るのも無理はない。
教会上位層に、ロベルト王子の新たな婚約相手となるような年代の女性はリィナ様の他にいないのだ。
ならば、ロベルト王子の新たな婚約相手――つまり、次代の王妃候補は。
貴族の女性から選ばれるだろうという推測は、理に適っている。
ま、私には関係ないけれど。
ああでも、一応ロベルト王子と面識がある身としては。
素敵な女性がロベルト王子の新たな婚約相手となってくれたら、その方が気持ちがいいな――なんて。
呑気に欠伸を浮かべていた私に、新たなる爆弾を落としてきたのは。
話題の渦中にいる人物。お忙しいであろうリィナ様であった。
「……ミヤ。あなたに伝えなきゃいけないことがあるの。人の多いところで話せる内容じゃないから、場所を変えましょう」
周囲の視線を一身に受けつつ。
リィナ様に手を引かれ、人気のない場所――大学構内にある礼拝堂の懺悔室へ。
リィナ様がドアより身を乗り出し、礼拝堂内をキョロキョロと見渡す。
誰にも聞かれたくない話なのだろうか、熱心に念入りに周辺を確認してから懺悔室を閉扉した。
そして恐る恐るといった様子で、ゆっくりとリィナ様が口を開く。
「ロベルトの新婚約者、第一候補なんだけど。ミヤ、あなたになりそうなのよ」
――ええ?
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