第31話 幻聴でも空耳でも聞き間違えでもないわよ

 私か、或いはリィナ様のどちらかが、錯乱しているのだとしか思えなかった。


 他に理由が見当たらない。

 リィナ様の口から出た言葉――『ロベルトの新婚約者、第一候補があなた(つまり私、ミヤ・エッジワース)になるかも』、だなんて。

 正気を失った人間にしか出てこない発想ではないだろうか。

 だって私、ただのしがない商人の娘でしか、ない……。

 

 現時点でも充分に、分不相応な状況である自覚はある。

 ただの一平民が、上流階級の者のみが通う国立大学へ入学しているのだ。

 

 あまつさえ上流階級の中でもトップ・オブ・トップである王子二人や、次期教会トップであるリィナ様とも交流させて頂いている。

 この時点で既に、身の丈に合っていない、それが。

 

 ――ロベルト王子の、新婚約者、第一候補?

 おかしいだろう。候補に挙がる時点でまずあり得ない。


「ええと、リィナ様、すみません。私、幻聴が聞こえているようで……」

「幻聴でも空耳でも聞き間違えでもないわよっ! ロベルトの、新婚約者・第一候補が、ミヤ――あなたになりそうなのよ!」


 詰め寄られリィナ様に手を握られ、目をじっと覗き込まれる。

 ……嘘偽りが一切見当たらない、まっすぐな瞳だ。疑いを持つのも冒涜的であるように感じる。


「その、分かりました。……いえ、ちょっとよく分かりません。リィナ様の言う通り、本当に私がロベルト王子の新婚約者候補、なのだとして。ただの商人の娘に白羽の矢が立つ理由が、さっぱり……」

「――ミヤ、あなたの髪色よ」


 髪色? ただの水色、癖っ毛ロングだ。

 

 ……珍しい髪色である自覚はあるけれど。私以外に同色を見かけたこともないし。

 だからこそいつぞやの日、私に言い寄るもライナス王子の女装姿にあっさり手の平を返したどこかの騎士家出身次男に、「あの水色」などと呼ばれたりもしたわけで。


 父親はありふれた髪色をしている。どこにでもいる亜麻色。

 だから私の水色の髪は母親譲りだ、と父にも言われている。

 母親は私を産んだ時に亡くなってしまったから、実際に髪色を見た記憶はないのだけれど。


「そうか、ミヤ、あなたが知らないのも無理はないのね。中央王家がウチみたいな辺境の国まで来ることは、まずないし……」

「……? 我が国を統治しているドーンブッシュ王家でなく、中央王家ですか? 隣々国を治めている王家、でしたっけ……。その中央王家の方と、水色の髪に何か関係が?」

「そうよ。先の内戦で我が国が独立する前、周辺一帯を統治していた中央王家。彼ら純血の王族は、その血が純系であればあるほど髪色が水色に近付く――って言われているの」


 初耳だ。我が国が独立してから、もう数十年は経っていることを考えれば当然だろうか。

 

 中央王家なんて、今となっては内戦で土地を削られた隣々国の統治者でしかない。その隣々国も、伝統こそあれ今ではそう強豪国というわけでもないのだ。

 少なくとも、国内の若年層から強い興味を持たれる対象ではない。


「私は幼い頃、中央王家の方とお会いしたことがあるけれど。確かに水色の髪の毛だった。――ミヤ、あなたには負けるけれど」

「……つまり、私はこの水色の髪色を理由に、中央王家との関係を疑われている……と?」

「そうね、あなたの家系図については今、ドーンブッシュ王室調査班でも調べ始めているわ。でも最終的には、あなたが中央王家と無関係でも問題にならないかもしれない」


 ……対外的に、中央王家の血縁だと思わせられればいい――と。

 リィナ様は言外にそう発していた。


 つまり我が小国、ドーンブッシュ国及び王家は。ロベルト王子とリィナ様の婚約破棄を機に。

 ロベルト王子の婚姻の意味を、国内向けから国外向けへと方向転換することにしたのだろう。


 ロベルト王子とリィナ様の婚約は、国内向けに大きな意味合いを持っていた。ドーンブッシュ王室と教会の関係強化という趣旨だ。

 しかし破談。ドーンブッシュ中枢はロベルト王子の婚姻に、別の意味を探し始める。


 ――で、白羽の矢が立ったのが。

 最近王子の周りをウロチョロしている、水色の髪。

 

 誰がかは知らないが、政治を行う者の中に、きっとこう考えた者がいるのだろう。

 秘せられていた中央王家の人間と、ドーンブッシュ王家が、婚姻関係を結ぶこととなった――そう周辺国に思わせることにより、我が小国の伝統と格式を上げるようハッタリをかませないか、とかなんとか。


 いや、無理、常識的に考えたら絶対無理だけど!

 

 もしも、私が考えている以上に。『中央王家の水色の髪』という概念が、周辺国の統治者たちにとって強固なものであったら。『中央王家』が、我々庶民が考えている以上に重要な意味合いを持つものであるのならば。

 

 ……信じ込んでしまうものなのかも、しれない。

 分からない。普通に考えたらあり得ないけど……。


「ったく、貴族のジジイ連中ったら、中央王家なんてカビ臭いもの持ち出して。お祖父様の世代ならともかく、私達世代にとって水色の髪なんて大した意味を持たないのに」


 リィナ様が毒付く。

 実際、水色の髪をライナス王子やロベルト王子、リィナ様から指摘されたことなど、これまで一回もなかったのだ。

 若者世代にとっては、上流階級の人間であっても既に水色の髪に特別性を見出すことはない――それは事実なのだろう。

 

 しかし、各国の統治者たちはまだまだ上世代。

 世代の違う人間の感覚を推し量ることは難しい。


 リィナ様が私の手を取り、軽く握る。

 困惑の色が乗った下がり眉からは、私を気遣っているのだということが痛いほど伝わってきた。


「ミヤ……、あなたの結婚相手は、あなた自身が決めることよ。だから、ミヤがロベルトとの婚約を受け入れるつもりなら、私は反対しない。でも考える時間も必要だと思ったの。ライナスのこともあるし」

「……えっ、ライナス王子、ですか?」


 急に思いもよらぬ名前が出てきて驚く。今の話、ライナス王子が関わる要素、あっただろうか。

 あ、ロベルト王子と結婚したらライナス王子が弟になるのか。いや、それは今そんなに重要な要素じゃないような。


「……おかしいわね。ミヤ、あなたとライナス、この前いい雰囲気になってたじゃない」

「この前? ですか?」

「そう、西の神託者宅で、私たちがノエルの今後について話を詰めている時に、あなたたち海を見ながら――ああ、分かった、分かったわ。そのピンと来てない顔を見れば、ライナスが相変わらず意気地なしだってことは……。あーもう、ライナスったら……」


 忠告したじゃない、とリィナ様が小声で漏らす。

 

 いい雰囲気? 忠告? 分からないことだらけだ。

 いや、初手の話題であるロベルト王子との婚約話からして、今日リィナ様からお聞きする話は全部が全部、分からないことだらけだけど……。


「ま、小心者のライナスのことはいいわ。ミヤ、ロベルトとの婚約の件、よく考えておくのよ。もし婚約を断りたいってんなら私が後ろ盾になってあげるから。本決まりになっちゃったらどうしようもないけど、幸い、まだ候補者の一人ってだけだもの。それなら私でも、なんとかできると思う」


 そう言い残して、リィナ様は去っていった。

 次代の教会トップ、大聖猊下たいせいげいかがリィナ様に変更される旨について国民へ通知されたのは昨日の話。お忙しい中、時間を作ってくれたのだろう。

 

 ――ロベルト王子の新婚約者、暫定の第一候補が私だなんて。未だ、信じられないばかりだけれど。

 信じ難いことだからこそ、一刻も早くとすっ飛んで教えてくださったんだろうな、リィナ様は。ただただ感謝するばかりだ。


 だから、真剣に受け止めないと。ロベルト王子の婚約者、第一候補に選ばれるかもしれない……という件については。

 ……婚約。婚約かあ。


 あまりにも突拍子のない話で、ちゃんと考えていなかったけれど。

 ロベルト王子と婚約。もしその話が本当となったら。

 

 いずれ、ロベルト王子と結婚し次期王妃となる――?


 や、無理無理無理!

 ロベルト王子が嫌いとかではなく! 普通に無理!

 

 だって、相手はあの威圧感の凄い堅物王子で。あの人と、結婚? 子作り!?

 しかも王妃として公務に? にこやかな笑顔で民に笑顔を向ける、と?

 いやー……。うん……。


 以前、考えてみたことはある。

 もしも私がロベルト王子に嫁いだら、我がエッジワース家の跡取りを探すのも苦労しないだろうな、なんてこと。


 でもそれは、リィナ様という婚約者がロベルト王子にいらっしゃったから。

 絶対あり得ないからこそ、与太として妄想できただけの話だ。


 現実味を帯びてくると、普通に恐ろしい。

 なんて愚かな妄想をしていたんだ、自分は。


 ――でも、そうか。エッジワース家のことを考えたら。

 ロベルト王子との婚約話は、受けるべき……なのか。


 そうだった。私は結婚相手を探すことを条件に、国立大学へ通う身。

 ロベルト王子との婚約話なんて、願ったり叶ったりじゃないか。


 だって私の目的は、数学をやることで。

 結婚相手なんて、誰でもいいと、思っていて……。


 ……誰でもいい? 本当に?


 心の声に応えるように、不意に浮かんだ顔、が。

 脳裏を支配する一瞬前。


 まるで私の思考に合わせたかのように、今まさに思い浮かんでいたその顔が、私の目の前――礼拝堂内に現れた。


「……ミヤ、やっぱり。ここにいたんだ」


 ――ライナス王子。


 ライナス王子の表情は。いつもの胡散臭い笑顔、ではなく。

 鋭い眼つきに、口角が一切上がっていない、私を呼ぶためだけに小さく開かれた口元を携えて。


 眉間に皺をよせ、何かを憂うように。

 私をただじっとまっすぐ見つめていた。

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