第29話 呪いなんて、あり得ないから?

 夕焼けが海の底へと沈んでいく。


 今晩は西の神託者宅にて一晩を過ごすことになっている。

 ロベルト王子とリィナ様がノエルを交え、今後の段取りを話し合われている間、私とライナス王子は手持ち無沙汰となっていた。


「ねえ、ミヤ、聞きたいことがあるんだけど」

「……甘いパスタの件ですか?」

「その話のことじゃなかったんだけど、先にそっちの話が聞きたくなってきたな」


 パスタの件以外で、何かライナス王子が気にかかる話題などあっただろうか。

 まあ、パスタの話が終わった後でいいか。ライナス王子も既に脳内がパスタでいっぱい、と言わんばかりに目を輝かせているし。


「ね、ね、甘いパスタってどんなの?」

「父のお得意様に、個性的なメニューを売りにした喫茶がありまして」

「個性的。心躍る言葉だね」

「パスタに生クリームと果物が盛り付けられたメニューがあります。おいしいですよ。胸焼けしますが……」


 ふふん、とライナス王子が得意げに笑った。


「この俺に、胸焼けなんて現象、あり得ないよ」


 ライナス王子の頬が紅潮している。

 好物である甘味の話題に興奮したのだろうか。或いは夕焼け色が反射しているのか。両方かもしれない。


「超甘味パスタの大盛を完食すると、達成者として店内に名前を記載してもらえるそうですよ」

「いいじゃん、ライナス=オスヴァルト・フォン・ドーンブッシュの名に震え泣き叫ぶ客人達が目に浮かぶよ!」


 最高潮に楽しそうだ、ライナス王子。海に向かって笑い声が響いている。

 自身の名に恐れおののく人々を想像して喜ぶのも、少々歪んだ趣向のような気がしなくもないけれど……。


「……ねえ、ミヤ」


 ライナス王子の高笑いが海に溶けた頃。神妙な様子でライナス王子が振り向いた。

 夕焼けもまた、海の底に落ちきって、既にその身を隠していた。


 陽光の反射が消えたからだろうか、ライナス王子の頬の色は普段通りの不健康な青白さに戻っている。


「サウリの件なんだけどさ……」


 ……サウリ様。リィナ様のお兄様。ライナス王子を殺そうとし、今は麻薬取引及び殺人未遂の罪に問われ収監されている人物。

 意外な名前を口にしたのち。気まずそうに、ライナス王子が視線を斜め下へ伏せるように向けた。


「ノエルは、泣いてたけど。でも俺、悪くないよね」


 黒そして紫メッシュの前髪が、ライナス王子の表情を覆い隠す。

 

 ライナス王子の認識では。

 自身の呪いにより、サウリ様は不幸を被られた――そう、考えているのだろう。

 

 だから。サウリ様が教会から身を引き、暫く会うことはかなわない、と聞き悲しみに暮れたノエルの涙を見て。

 感じてしまったのだろうか。自身の『呪い』に対する、責任……のようなものを。


「ライナス王子に非はありませんよ」

「それは……呪いなんて、あり得ないから?」


 探るような声色。

 分かっている、ライナス王子が聞きたいのはそんな言葉ではない。


「仮に、呪いという現象が真実だった場合であろうと、ライナス王子は何一つとして悪くありません。悪いのはサウリ様です」

「……そうだよね、ね」


 私の回答に不備があったわけではないだろうけど。

 まだ、なんとなく物足りないというか。ライナス王子の発する音には、いつもの元気がない。


 きっと、気付いてしまったのだ。

 ライナス王子にとっての『害』が、他の誰かにとっての『救い』である可能性を。


 他者を害することに、躊躇を持たない人だったのだ。これまでのライナス王子は。

 だからこそ、他者への不幸を呼び寄せる『呪い』の力を使う、という考え方に抵抗がなかったわけで。


 ライナス王子は、自身にかけられた『呪い』の力を信じている。

 そして『呪い』を解くことができるとされている人物――呪いをかけた張本人、西の神託者は。

 もう、この世にいない。


 そんな状態で。自身に存在すると信じている『呪い』は、恐ろしくそして忌避すべき力だったのだ――そんな風に考えるようになってしまったら。

 自身の運命を、嫌うようになってしまったら。

 

 ――それこそ。その考え方こそ。

 ライナス王子にまとわりつく『呪い』と、なりかねない。


 だから今、私に求められていることは。

 呪いなんてあり得ない、と否定することではない。しかし勿論、呪いを肯定することでもない。

 

 ……ライナス王子を否定しないこと。

 それから。

 

 ライナス王子が、自分のせいだと病まれることがないように。

 ライナス王子のせいではないと、自責の念を持つ必要はないと。そう伝えることではないだろうか。


「サウリ様は、罪を犯されたのです。サウリ様がどんな人物であるか、これまでどんな善行を積まれてきたかは、関係ありません」


 ライナス王子が少しだけ顔を上げる。まだ、瞳は見えない。


「罪……ね。そうだね、ノエルを救った過去があるからって。サウリが麻薬を使って多くの人を苦しめた事実は、帳消しにはならない」

「ですから、サウリ様がご自身の罪により投獄されているせいでノエルが悲しんでいるのは、やはりサウリ様のせいです。それ以上でも、それ以下でもありませんし、その点においてライナス王子に責任は一切ありません」


 海風が優しく頬を撫ぜる。ライナス王子の襟足から伸びる長髪が揺れている。


「じゃあ、俺の『呪い』はサウリ逮捕のきっかけにしか過ぎない、からさ。だから俺には非がない、ってこと?」

「……ライナス王子とサウリ様の一件はただのきっかけ、と言うのも、違うと思います。だって、ライナス王子がサウリ様に殺されかけたことだって、帳消しにはならないのですから」


 ――ライナス王子の前髪の隙間から、反射した光が一瞬姿を現した、気がした。

 暗くなったこの世界の、なにを反射したのかは分からないけれど。


「……なるほどね、俺は殺されかけた身なんだから、それを防ぐべく『呪い』を使うのは、おかしなことじゃない。だってそれは、」


 ふふふ、とライナス王子が肩を浮かせ軽く笑った。


「はは、俺の呪いは『正当防衛』……って、言いたいわけね。やっぱり面白いね、ミヤの考え方はさ……」


 腑に落ちたと言わんばかりに。

 姿を晒したライナス王子の表情は、少し歪でこそあれ、確かに笑顔であった。


 ライナス王子の得た結論は。勿論、私の考え方とは異なるものである。

 けれども。それでもいいか、と思うようになっていた。


 ライナス王子の『呪い』が、あろうとなかろうと。

 どちらの考え方を採用したとして、私の得た結論に変わりはない。そう思える状態になっていた。


 ノエルが感じた不幸は、ライナス王子の『呪い』のせいではない――ライナス王子が、そのように考えてくだされば。それで充分だ。

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