第28話 一緒に、食べませんか
西の神託者の死を我々に告げた少年――神託者の弟子である彼は、名をノエルと名乗った。
弟子ノエルによれば。数年前より、西の神託者は大病を患っていたらしい。
ノエルを弟子としたのも、死期を悟った神託者が渋々、だというのだから。西の神託者は筋金入りの人間嫌いであったのだろう。
「それでも、師匠には良くしてもらえましたから。感謝してますよ。ぶたれなかったし、寝床は暖かかったし、勉学なんてもんも。させてもらえた」
ああでも、とノエルが軽口を重ねた。
「ご飯がねえ、全部甘いのには参りましたね。度を越した甘党だったんですよ、師匠」
「……へえ。デザートだけじゃなくて、全部?」
「そうですよ、全部です全部。パスタに砂糖をどっさり、ぶっ掛けてましたよ」
「ふうん……」
甘党のライナス王子が興味深いと言わんばかりの相槌を漏らしながら、自身の顎を指先で撫でた。
……故人を悪く言うわけではないけれど、パスタの砂糖和え、絶対に不味い。
隠し味としてならともかく、具として砂糖を使うのはちょっと……。
「ライナス王子。甘いパスタにご興味があるならば、いいお店を知っておりますので……」
「……ミヤ、そんな刺激的な店をどうして今まで隠してたわけ?」
「大学から少し遠いんですよ。今度、ご案内しますから」
だから砂糖和えはお止めください、と暗に進言する。ライナス王子に伝わったかは分からないが。
「いいですねえ、師匠のと違って、甘くてもちゃんと美味しいパスタ。ボクも食べてみたいです」
「――ねえ、ノエル。あなた、……首都へ、来てみる?」
リィナ様が躊躇いがちに、しかしノエルの目を見てまっすぐと問う。
きっと、ずっと機をうかがっていたのだろう。彼の今後について、確認するに相応しい好機を。
「ああ、そんな構えないでくださいな。大丈夫ですよ、首都、行きますよ。師匠との約束ですから」
ノエルが棚より一通の封筒を取り出して見せた。
西の神託者により書かれたのであろう署名は、癖字が酷く読み難い。
「師匠の遺言状にも、書いてもらってますんで。次の神託者に、ボクを指名するって」
*
リィナ様の安堵のため息は、それはそれはもう長かった。
「良かったわ……。西の神託者様、ちゃんと次代の教会組織について考えてくださっていたのね……」
――つくづく、故・西の神託者の信用がなさ過ぎるな、と実感せざるを得ない発言だ。
弟子であるノエルまでが、リィナ様の言葉にクスクスと笑いをこぼしている。
「東西の神託者は、その者の指名をもって決定される――でしたっけ。師匠による指名がないと、西の神託者って制度そのものが破綻しかねなかったんですよね」
「そう……そうなのよ……」
安心しきって脱力したリィナ様に、ホセ氏がそっと椅子を差し出した。
完璧なタイミングには惚れ惚れとするばかりだ。
「この遺言状を以って、教会本部にて受任式を執り行うことにより、ボクが次の神託者となる……って師匠から聞いてます」
「そうよ、だから首都に来てもらう必要もあって。よかった……よかったわ……」
「ははは、大丈夫ですよ。ボク、師匠と違って田舎が好きとかないんで。師匠の死を報告するにも時間が掛かって仕方がない、不便な辺境はこりごりだ。ああでも」
ノエルが彼の師匠、西の神託者が眠る寝棺へ視線を送った。
「これも約束なんですよ。師匠が死んだら、半月ほど喪に服して、その間自分の死体は聖母像の元に据え置けと」
「――そう。分かったわ、受任式はその後で大丈夫よ」
「最後まで聖母アリアへの献身を貫くのか、西の神託者は……」
ロベルト王子が口元で呟く。
西の神託者と言えば、人間嫌いで有名だが。
同時に、過激なまでに敬虔な信者としても知られている。
特に、神託者の先駆けとして神の声を聞き、人々に広め教えを確立した初代
教会の中でも群を抜いている、とかなんとか。
「一週間後、迎えの馬車を出そう。それに乗って首都まで来るといい」
「ありがとうございます、ロベルト王子。それまでにこの家も片づけておきます、そのまま首都暮らしを続けようと思っているので。首都にはサウリ様もおられますしね」
サウリ様の名が――その名の響きにより作られた静寂の中に、鳴り渡った。
「あれ、そう言えば今回の訪問は、師匠へ教会のことで報告があって、ってことでしたよね。サウリ様は……」
「……。ノエル。お兄様に拾われたあなたに、このことを伝えるのは酷かもしれないんだけれど」
「?」
言葉を慎重に丁寧に選びながら、リィナ様がノエルへ向けて話し始めた。
サウリ様が次代の大聖猊下にならないこと、そしてサウリ様とは暫く会えないこと。
それらを告げられた、ノエルの瞳からは。
吹き抜けの上方に備え付けられた窓より降り注ぐ、たくさんの光を反射した大粒の涙が、こぼれ落ちた。
「そんな……そうですか……そっか……」
ノエルがゴシゴシと手の甲で涙を拭く。しかし目の周りの赤みまでは取り除くことができない。
気を遣ってだろうか、その様子に誰もが口を閉ざしている。
――掛ける言葉が見つからない、のかもしれない。
先程、リィナ様が仰っていた。
ノエルはサウリ様に拾われた、と。
気になってはいたのだ。ノエルが『師匠によくしてもらえた』として挙げた例が、やけに低いハードルのものばかりであること。
ぶたれないだとか、寝床が暖かい――だとか。
ノエルの出自は、おそらく孤児か何か、なのだろう。
苦しい生活を送っていたノエルを救い『西の神託者』の弟子という住まいを与えたのが、サウリ様、と。
そんな経緯を推測して、そうであれば。
きっとそのことを知っている他の皆が、言葉に詰まるのは道理だ。
――あなたの敬愛するサウリ様は狂われてしまった、なんて言うわけにはいかないし。
なんと声を掛けたものか、皆迷われている。だからこその静寂。
……多分、私だけだ。
この場で、発言すべき内容を。立場的に、否それだけでなく。
物理的にも、手にしているのは。
手の平よりその重みを、そっと机上へと移す。
「――ノエルさん。我々、今回の訪問に際し、お土産としてパウンドケーキを持参していまして」
「パウンドケーキ……」
「その。……一緒に、食べませんか?」
その一言で、ノエルの瞳を縁取る紅色が消え去ったりはしないけれども。
……それでも、少しだけでも。悲しい気持ちを、紛らわせることができるのならば。
「えへへ……師匠と、それからサウリ様と食べたケーキを。思い出しますね」
「お兄様と、神託者様が一緒に?」
首を縦に振るノエルの瞳からはもう、涙がこぼれ落ちることはなかった。
「師匠、あれでも一応ボクに気を遣ってくれたらしくて。初対面のとき、ケーキを焼いてくれたんです。ちょっと硬かったけど」
師匠のケーキ、もう一回食べたかったなあ、と。
ノエルが笑いながら呟いた。
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