第19話 俺の部屋に閉じ込めて、ずーっと一緒にいるのが一番か……
日常が戻ってきた。
――とするには、未だ少々の喧騒が大学構内を包んではいる、が。
しかしロベルト王子に命じられた、麻薬取引に関する調査依頼も完了。
加えて行われた治安維持部隊の捜査により、私の容疑も無事、晴れたのだ。
ライナス王子の足の怪我(打撲)も完治したし。
その他の麻薬中毒生徒についても、少しずつ身元が判明し、治療が始まっている。
サウリ様の取り調べも始まった(一連の事件含め、国民には伏せられたままだが)。
最も、本人は黙秘を貫いているようだけれども。
捜査は進んでいる。アーリラ家の別荘よりサウリ様の恋人、ソフィア様の死体が発見されたのだ。
彼女の死後、確かに土葬された記録が残っていることより、サウリ様による墓荒らしが行われたのではないか――と治安維持部隊は考えているらしい。
定期的に死体防腐処理が行われていることを示すように、生前のまま美しく眠るソフィア様の死体は。
……サウリ様が陥れた麻薬中毒患者の、腐敗した四肢とは皮肉なまでに正反対であった、と。ホセ氏談。
そのソフィア様の死体も、再び墓地へ埋葬された。
死体防腐処理の効果が切れた後、徐々に土へ還り。
遺体を養分として、茸が成長するのだろう。
こうして、後始末は全て順調に進んでいる。
これを日常と言わずして何と言うのか。
なんて、気が緩んだのも原因だっただろうか。
風邪を引いた。40度の発熱。喉が痛くて食欲が消え失せた。
週末、大学の講義がない時期であったことは不幸中の幸いだった。週明けまでに寝て治そう。
ベッドに潜る。父親は今日も仕事で朝まで外出。静けさが室内を満たしている。
……満たしている、と言えば。もしも寝室の床を金貨で出来得る限り隙間なく満たそうとした場合、金貨は何枚必要なんだろう。まず寝室の広さってどれくらいだったかな……。確か棚に巻尺があったような。
立ってみると予想以上に足取りが覚束ない。けれど、寝室の広さを測るくらいならすぐだろう。
一歩、二歩と棚に近付き、つま先立ちで手を伸ばし――あ、やば。ふらついて重心が後ろに。
「――ミヤ!」
しかし予想された後頭部への衝撃は発生せず。
代わりに聞きなじみのある、聞きなじみこそあるが――自宅内で聞こえるはずのない声が。
「ライナス王子? 何故ここに」
「俺も聞きたいんだけどミヤ、風邪を引いているきみが何故、横にもならず今にも倒れそうになってたわけ?」
「寝室の広さを測りたくて……」
「それ、風邪っ引きの今やること!?」
有無を言わさずベッドに戻される。ああ、巻尺……。
発熱の具合を確かめるためだろうか、ライナス王子がぺたぺたと私の額、そして頬に触れた。
ひんやりとしたライナス王子の手が気持ちいい。
「――水、ぶっかけられたんだって?」
ライナス王子の声が一段階、低くなった。
不思議と、肌に触れるライナス王子の掌の温度まで下がったような気がする。
……全く、耳聡い王子だ。
なぜ私が風邪を引いたことを知っているのか、と思ったが。
大学構内での出来事から推測し、我が家まで来た(鍵も勝手に開けた)……そういうことだったのか。
「まま、あることですので」
「だとしたら何? 頻度の問題じゃない。許せることじゃないよ。ねえ、犯人の特徴、なんでもいいから教えて」
じっとりと睨まれる。ライナス王子が黙ると、元々の静寂が余計に増幅されたような心地になる。
私のために呪いを使うなと、ロベルト王子に釘を刺されたと言うのに。ライナス王子はお構いなしだ。
がっしりと両手を包まれる。絶対に逃がさないという意志の伝わる力加減。
下手な言い逃れも逆効果かもしれない。ならば。
「女性でした。それ以上のことは」
「……何も分からない、ってことね。仕方ない。ホセにでも調べさせるか」
いくらホセ氏でも無茶振りが過ぎるだろう。なんとなく申し訳なさを感じる。
「ところでミヤ、何か食べた?」
「食欲がないので……」
「そんなことだろうと思った。良くなるものもならないよ。ほら、これ」
ライナス王子が袋からアイスクリーム入りのカップを取り出す。バナナ味の、近所の茶屋名物。
甘党のライナス王子らしいチョイスと言えよう。
いそいそと上体を起こしている隙に、ライナス王子がスプーンをアイスクリームへ突き刺し、掬った。
「はい、あーん」
「……あの、ライナス王子、それは」
「あーん」
問答無用。アイスの乗ったスプーンで口をツンツンとされる。幼子扱いのようでなんともくすぐったい。
「風邪、治るまで徹底的に甘やかすからね」
そう告げるライナス王子の瞳はひたすらまっすぐで、逃げようがない。
寄せられた眉根に刻まれた皺の数を数えそうになる。意味がないと分かっていても。
おずおずと口を開ける。アイスクリームの乗ったスプーンが口内に入り込む。
……おいしい。アイスクリームは消えるように溶け、喉の炎症を刺激せず胃に向かい進んでいく。
黙々とアイスクリームを食べさせられていると、不意にライナス王子の溜息。
「はあ……。こんなことなら、準備なんてすっぽかして、ミヤのこと付きっきりで見てるべきだったな」
準備? 何の準備だろう。
昨日の昼食は珍しくライナス王子が姿を見せなかったから、突発的事象でも発生したのかと思っていたのだが。ライナス王子の口走った「準備」とやらが、それだったのかな。
「なんならミヤを俺の部屋に閉じ込めて、ずーっと一緒にいるのが一番か……」
……はい?
「そうだ、そうすればミヤが他のやつと喋ってんの見てイヤになるのもなくなるじゃん! グッドアイデアかも、ねえミヤ!」
「ライナス王子、流石に同意しかねます」
「ええ〜?」
口を尖らせる表情は可愛げすら感じられるが、発言内容が見合っていない。監禁されるのは、ちょっと……。
日がな一日、室内でずーっと閉じこもっているなんて、飼い猫じゃあるまいし。
――ああ、猫なんだった。私は。
ライナス王子にとっては……。
「あの猫……」
「うん?」
なんだったかな、名前。
私とライナス王子の、交流の始まりの日に死んでいた猫。
ライナス王子と一緒に土葬し墓を作った。あれが全ての始まりだった。
ミミャアとか細く泣く野良猫。
ライナス王子が付けた、鳴き声に似た名前。
――ミミン。そうだ、ミミンだ。
「……ミミンは。何故、家猫にされなかったんです?」
「ミミン? また唐突だね。うーん、家猫、考えたこともなかったけど……」
アイスクリームの入っていたカップが空になった。
ライナス王子に背中を支えられつつ上半身が倒され、横にさせられる。
「そうだね、強いて言えば。会ってみたかったんだよね。気紛れのミミンが懐いている『誰か』に、さ」
ライナス王子の手のひらが再び私の額に、頬に触れる。
自覚もないまま、口元が弛んだ。ライナス王子の冷たい体温を待ち望んでいたのかもしれない。
「ミヤ、気持ちいい?」
……気持ち良過ぎて、眠くなってきた……。
意識が遠ざかっていく。ライナス王子のご機嫌な鼻歌が、閉じ行く目蓋を後押しする。
頬に乗せられたライナス王子の手のひらは、私が眠りにつくまでの間ずっと、ひんやりとした涼しさを運び続けてくれていた。
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