第16話 あなたとの婚約を破棄するわ!
「――再生。再生ねえ……」
サウリ様の発言の一部分を、ライナス王子が復唱した。
罪を払うことが再生を導く。サウリ様は確かにそう仰られていた。
逆説的に言えば。再生を導くために、サウリ様は罪を払おうとした――そういうことだろうか。
「思い出したよ、サウリ=タネリ・アーリラ。半年前だったかな。……恋人を亡くしていたね」
「ソフィア様が亡くなられたことと、お兄様の蛮行になんの関係があるってのよ」
突っかかるようにリィナ様が声を荒らげたが、ライナス王子にとっては微風ですらないようだ。
「君の兄が言っただろう、罪の償いは光となり、光は再生を導く……って」
「そうよ、聖母アリア様が神託された神のお言葉」
「つまり罪人を償わせることで、恋人ソフィアの再生を導こう――ってことでしょ。ね、サウリ=タネリ・アーリラ?」
ライナス王子の発言にすかさずサウリ様が噛み付いた。
「呪われのお前がソフィアの名を呼ぶな!」
腹の底からの大声。……腹は聖母アリア像の下敷きになり、潰れているはずなのに。
ライナス王子がやれやれ、と言わんばかりに手を軽く振り、ため息を落とした。
「まさしくその通りでございます、だってさ」
「……お兄様……」
リィナ様が眉根を寄せ、沈痛な表情で呟く。
先程、リィナ様が仰られていたことを思い出す。『我らが神は罪をお許しになる』。
私は経典の内容にまるで精通していないが。リィナ様の一言で、教会の解釈はなんとなく理解できた。
罪の償いにより導かれる『再生』とは。
再起のことなのだ。罪を犯しても、償いをもって再起できる。人の生き方の話をしている。
――死人を生き返らせる、なんて。
決してそんな意味ではない。
そして、事実。死人が生き返ることは、ない。
大声を出した影響だろうか。肩を震わせ、何度も息を激しく吸い上げるように吃逆しながらも。
サウリ様が、途切れ途切れに話し始める。
「快楽の噂に惑い、誘惑に負けた罪人も。呪いを身に受けながら、のうのうと生きる罪人も。罪を償わせる……」
「ああ、だから俺の命も狙ったわけね」
「それこそがっ……神より与えられた、私の役目だ!」
――おかしい。
麻薬に手を出した生徒たちを罪人と呼ぶのも、『呪い』を受けたとされているだけのライナス王子を罪人とするのも。
罪を償わせることで死人が生き返る、などと非現実的な考えを信じ、行動に移されてしまったことも。
どちらも当然、おかしなことなのだが。
しかしそれ以上に。
もしも私の推論が合っているならば。
……サウリ様の御高説と、行動に、辻褄が合わない点があるではないか。
「サウリ様。……御質問をお許しください」
ひと睨みされるも、私に大した興味もないのだろう、すぐに視線を逸らされ、目を伏せられる。
だが、まるで聞く気がないわけでもないらしい。何も話されず、静かに私の言葉を待っているのがその証拠だ。
話を聞いてくださるなら、なんでもいい。
「罪人を排するのが、サウリ様の目的であると仰いますなら。どうして
サウリ様は伏せられた目を開こうともしなかった。
――否定、されないのか。
「ミヤ、どういうこと? お父様の罪……? 何を言っているの?」
「リィナ様。大聖猊下のご病状、なのですが。……おそらく、麻薬に身体を蝕まれています」
リィナ様の顔が蒼白に染まる。
ライナス王子もまた、目を細め。先程までの、嘲笑の意思が垣間見える薄ら笑顔が、頬より消え失せた。
そうか。ライナス王子はリィナ様から、大聖猊下のご病状をお聞きしていなかったから。
サウリ様が麻薬を用いていることは(何故か)分かっても、その麻薬を大聖猊下に使われた可能性が高いことは分からなかった、のか。
サウリ様の言うところの『償わせる』とは。
死をもって、という意味だ。だからライナス王子を殺そうとした。
サウリ様が使用される麻薬の効果が高過ぎる――つまり依存性、有害性ともに強過ぎるのも。麻薬中毒による死を狙ってのことなのだろう。
逆に考えれば。
麻薬により身体を蝕まれ、死に向かう大聖猊下は。
サウリ様により、麻薬を用いて罪を償わされている――そう、考えることもできるはずだ。
じっと、サウリ様の回答を待つ。
サウリ様は私の質問に激昂することもなく、ただひとつだけ息を吐いて。
そのまま吐き捨てるように――面倒そうに、言い捨てた。
「あの人がいても、邪魔なだけだろ。再生を導く役割は――大聖猊下の座に就くべき者は、私なんだから」
「……サウリ様、それは……」
ははは、とライナス王子の乾いた笑い声が響いた。……表情はひとつとして笑っていなかったけれど。
「罪の有る無しに関わらず、邪魔者は殺す、だって? そんなの、解釈に狂った狂信者ですらない。ただの殺人鬼じゃないか」
まだ未遂かもだけど、とライナス王子が付け足した。
変死体の噂は聞いていない。現時点では麻薬中毒による死亡者は出ていないと、信じたいところではある……。
サウリ様は何も否定されなかった。
――なんの反応もなかった、と言うべきだろうか。
伏せられた瞳が持ち上がることもなく。息が乱れることもなければ、途絶えることもなく。
指の一つも動かない。眉根も緩まり、瞳を開こうという意思が一切感じられない。
気絶、されたのだろうか。無理もない。石像の下敷きになり続けているのだから。
「リィナ様。助けを呼びに行きましょう。出入口は閉まっておりましたから、窓が開くかを確認して……」
話しかけながらリィナ様へ視線を移動させれば。
リィナ様は――リィナ様もまた、目を伏せられていた。
しかしリィナ様の眉根は、サウリ様とは違い、力強く寄せられていた。
長い長い深呼吸を一回、二回。
開かれた目は――鋭く、煌びやかな光を湛えていた。
ステンドグラスより室内を照らす太陽の輝きを、目いっぱいに反射させた瞳はただただ美しく。
長いまつ毛より落ちる影の形すら芸術のようである。
何をかは分からない。ただ思った。覚悟を決めた人の目だ――と。
「……そう、リィナ。きみは決めたんだね」
「ええ、ライナス。決めたわ」
ライナス王子とリィナ様の会話と時を同じくして。
廊下の先、出入口付近より喧騒。扉を叩く音も聞こえる。
間を置かずして扉が破られる音と共に、ホセ氏、ロベルト王子、他数名が押し入ってきた。
ライナス王子の言う通り、ロベルト王子に報告へ向かったホセ氏による助けが入ったのか。
……ふぅ、と思わず重い息がこぼれ落ちた。張り詰めていた気が緩まり、解けたようだ。
「すんまへーん、神学部生から轟音の報告ありまして、内部を確認させて――」
廊下の奥より響くホセ氏の声が、ホセ氏一行が礼拝室へ入った途端に途切れる。
押し入ってきた彼らの目線は全て上、すなわち聖母アリア像が置かれていた、今は空っぽの場所へ集められていて。
絶句と共に、周囲を見渡し。真っ先に次の言葉を発したのはホセ氏であった。
「って、リィナ様!? ここにおったんで!?」
「……この惨状を見て、真っ先に出るのがリィナの名前、って。ホセ、きみってやっぱりさあ……」
ライナス王子が苦笑。……言いたいことは分からないでもない。
どう見ても無傷のリィナ様より、重症な二人がいる中で、しかしそれでも敢えて真っ先に安否を確認するのがリィナ様。筋金入りである。
ま、なんにせよ。これで一安心だ。
ロベルト王子お付きの方々がいれば、サウリ様を下敷きにしている聖母アリアの石像を動かすことも容易いだろう。
肩の荷が下りた気持ちで礼拝堂の奥、サウリ様とリィナ様がいらっしゃる辺りを見れば。
リィナ様が鋭き眼光をロベルト王子たちへ向けていた。
「ちょうどいいわ、ロベルト。私、あなたに言わなければならないことがあるの」
そう告げるリィナ様の瞳が放つ輝きは眩く目を焼き、痛いくらいであった。
視線で人を焦がし得る人間というものの存在を、私は初めて知った。
「ロベルト=ヴィルヘルム・フォン・ドーンブッシュ。私は今、ここで――あなたとの婚約を破棄するわ!」
……なんだって?
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