第15話 もう全て解決してるんだって

 呆気に取られる間もなく、全てが終わっていた。

 聖母アリア像に全身を押し潰されたサウリ様のすぐそばに、真っ二つに割れたワインボトルが転がっていた。

 中に入れられていたのだろう液体が、床に広がっていく。


「ね、言ったでしょ、ミヤ。もう全て解決してるんだって」


 あっけらかんとライナス王子が笑う。

 目の前の大惨事を、当然だと言わんばかりに。


 非常に微かな音が、耳に届く。


「……なぜ……なぜです、神よ、聖母アリアよ……」


 枯れ果てそうな声。

 サウリ様、生きていらしたのか……。


「……人を呼んできます、一刻も早く救命活動を」

「お人好しだな〜、ミヤは。殺されかけた相手なのに」

「ですが、今は怪我人です。それにライナス王子のお怪我だって、早いところ医者に診てもらうべきです」

「ん〜、でも無理じゃないかな〜」


 ライナス王子の身の危険は一旦去ったと判断し、礼拝室を離れ。廊下の先、入り口まで駆け寄り、ドアを開ける。

 ――開かない。そう言えばサウリ様が、礼拝堂に入られた時、鍵を掛けていた。

 錠の金具を回し鍵を開ける。……あれ、開かない……。


「ミヤ〜。多分、内側から別の鍵がかかるよう細工されてるんだよ。開かないでしょ?」


 ライナス王子の大声が廊下を越えて聞こえてきた。


「ホセが兄貴に報告しに行ってるから、そのうち助けがくるよ。戻っておいで〜」


 ……ライナス王子なら鍵を開けられるかもしれない。が、本人にその気はまるでないようだ。

 礼拝室に戻ろう。私の肩程の位置に、窓が二つあったはず。椅子を使ってよじ登れば、外に出られるかもしれない。


 と、踵を返した瞬間。

 廊下隣の小部屋――懺悔室よりダンダンと、なにかを叩くような騒音。


 ……人がいる?

 もしや、誰かが閉じ込められている?


 よくよく見れば。懺悔室の引き戸が開かぬよう、扉のレール部分に棒が差し挟まれている。

 棒を取り除きドアを引くと、中から倒れ込むような勢いで、誰かが姿を現した。


「開いたわ……! あなたが助けてくれたのね、ええと……あら、あなたはホセと一緒にいた方じゃない」

「――リィナ様!」


 驚いた。消息不明のリィナ様が、こんなところに閉じ込められていたとは。


「思い出したわ、ミヤ・エッジワースだったわね、名前。それでミヤ、先程の轟音は何? 知らぬ間に閉じ込められているし、何が起こっているのか分からなくて」


 ……答えに窮する、が、答えないわけにもいかない。

 状況を見てもらうのが一番早いだろうか。廊下を抜け、礼拝室へリィナ様を案内する。


 自らの兄が聖母アリア像に押し潰されている、という非現実的な光景に。目を見開いたリィナ様が、口元を手の平で覆う。

 絶句するリィナ様へ向けて、ライナス王子がひらひらと軽く手を振った。


「や、リィナ。久し振りだね」

「……ライナス、これは何? お兄様はご無事なの!?」

「見れば分かるでしょ? 君の兄は死んではいないし、これが何かと言われたら――ね、普通ではあり得ないことが起こっている時点でさ?」


 リィナ様がサウリ様の元へ駆け寄り、声を掛ける。

 サウリ様は何も応えようとしなかった。サウリ様の荒い息遣いだけが、礼拝室に響く。


 リィナ様が音を搾り出すように、喉を震わせた。


「ライナス。あなたの、呪いのせいなの?」


 ――呪い。呪い……。

 そうか、ライナス王子が窮地にも関わらず、何でもないように落ち着き払っていたのは。


 ……呪い、か。

 ライナス王子は『呪い』の存在を信じている。

 自身が傷付いた以上、その原因が排されるはず、そう考えていたから。ずっと動じていなかったというわけか。


 ライナス王子が胸元に軽く振り上げていた手の先を、自身の横に落下したシャンデリアへ向けた。


「ね、だからさ、見れば分かるだろ」

「……お兄様がシャンデリアを落としてライナス、あなたを殺そうとした。だから呪いがお兄様を襲った……そう、言いたいわけね」


 ――いや、サウリ様によるライナス王子殺人未遂と、聖母アリア像の落下に因果性はまるで無い。

 のだが! そうとは言い難すぎる雰囲気……。


 厄介なことに。サウリ様がライナス王子を害した、これは本当なのだ。因果関係のなさを指摘することにより、サウリ様の加害事実が透明になる危険性があるのが怖い。

 ライナス王子を取り巻く『偶然』は、非常に厄介なことばかりだ。


「あの、リィナ様、これは呪いではなく……」

「――お兄様! どうしてライナス殺害なんて企てたの!?」


 あ、駄目そう。聞こえていないな、これ。


「俺も知りたいな。生徒たちに麻薬を撒いたり、俺を殺そうとしたり。凡そ次代の教会トップ、大聖猊下たいせいげいか第一候補様がやることじゃない」

「麻薬!? ……お兄様が?」


 ――麻薬? どういうことだろう。

 サウリ様がライナス王子を殺そうとしたことは事実であるが、麻薬の話なんて今の今まで出ていないぞ。


「――すべては、神のため……」


 けれどもサウリ様も、麻薬の件を否定されない。むしろ返答内容は、肯定にすら聞こえる。

 懺悔室を不正利用し生徒たちへ麻薬を渡していたのはサウリ様だった、ということ?

 

「神のため、って……よく分からないな。俺、そんな教典読み込んでないし。リィナは分かる?」


 リィナが俯き、首を軽く横に振る。

 大聖猊下の娘であるリィナ様は当然、神学部生。教典研究はかなり熱心にされているはずだ。

 

 そのリィナ様にも理解できないということは。

 サウリ様の加害行動は、サウリ様独自の教典解釈、ということだろうか。


「お兄様、答えて。神が何を求められたというの?」


 しばらくの沈黙の後。サウリ様がゆっくりと話し始めた。


「……罪のための償いは、やがて光となる。光は再生を導く……」

「聖母アリア様による神託の一節、よね。我らが神は罪をお許しになる」

「そうだ、リィナ、いや違う。罪を払うことが再生を導くんだ」


 巨大な像に押しつぶされ瀕死に近い人間の出した声とは思えないほど、はっきりと。

 まるで神の教えを民に伝える宗教指導者のように。

 サウリ様の力強い声が、礼拝堂に鳴り渡った。


「私は……罪の浄化を、神に求められているのだよ」

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