第14話 自白はそれで充分?

「ミヤ、大丈夫?」


 どう考えたって、それはこちらの台詞である。

 シャンデリアに押しつぶされたライナス王子の下肢。状態を確認しようと慌てて立ち上がる。

 

 ――自分が尻餅をついていたことに、立ち上がって初めて気が付いた。


 助けてもらってしまった。また、ライナス王子に。

 ライナス王子が私を突き飛ばさなければ、シャンデリアの下敷きになっていたのは私だっただろう。


「ああ、慌てないでミヤ。俺は大丈夫だから」


 平常であると言わんばかりに。ライナス王子が腕を使いシャンデリアから這い出てくる。

 上半身は一見無事に見えた――が、しかし頬に一筋の血の色。


 シャンデリアのガラス破片による怪我だろうか。

 頬は一筋でも。下半身は……血まみれ、なのでは……。


「う、動かないでください……! 悪化されたらどうするんですか」

「ミヤ、落ち着いて。このシャンデリア、ほとんどの部分が木製だよ」


 シャンデリア下より完全に這い出たライナス王子が上半身を起こす。

 意外にも、下半身は見た目、無事のように思えた。長ズボンから血が垂れ出ているようなことは、ない。


 シャンデリアに目を向ける。支柱から腕木、受皿にかけては、確かに木目が垣間見える。

 受皿に乗せられているはずの蝋燭は、床に落ちた際の衝撃からだろうか、粉々に砕け散っていた。

 

「蝋燭を模したガラスが飛び散って、頬を切ったみたいだね」


 冷静なライナス王子の声色。

 シャンデリアの下敷きにされた人のものとは到底思えない。私の方がよほど狼狽している。


 ――ライナス王子の言う通りだ。

 ちゃんと落ち着いて、状況を正しく見極めなければ。

 

 どうやらこの礼拝堂に置かれていたシャンデリアは、ただの飾りであったらしい。

 大学構内の施設であるゆえ、夜に使われることは想定されていないのだろう。

 室内の明かりは、天井高く設置された窓、ステンドグラスから取り入れる仕組みのようであった。


 だから、ライナス王子の怪我(打撲だろうか)は、命を脅かすようなものではない。

 ……が、軽傷でもないのだろう。

 ライナス王子が立ち上がらず、上体を起こしただけに留まっているのが何よりの証拠。


 依然として姿が見えないサウリ様も気がかりではあるが。

 今はライナス王子と共に、この場を後にすることが先決だ。


 ライナス王子は――不敬であるが、まあ、ヒョロヒョロの体躯をしている。

 肩を貸し移動することもできる……気がする。

 もしも完全に下肢が動かなければ、背負って移動になるだろうか……うん。気合いでなんとか頑張ろう。


「ライナス王子、具合はいかがですか。肩をお貸しすれば立てそうですか?」

「――ミヤ、その必要はないよ。俺たちはここに居ればいい」


 ライナス王子が頬より垂れた血を手で拭い、薄く笑う。……この状況で、笑顔?

 

 移動の必要はない、というのも不可解だ。

 礼拝堂に曲者がいるかいないか、シャンデリアの落下が事故か故意か。何も分からない以上、この場を離れるのが最善に思える。

 それが分からないライナス王子ではないだろう。


 疑問に応えるように。

 ライナス王子が目を細め、ますます笑みを濃くしながら返答を紡ぐ。

 上がり切った口角が。形作られた笑顔とは真逆に、不穏さを漂わせている。


「どうせもうすぐ、犯人の方から姿を現す」


 ――犯人? 一体、何の犯人の話を……。


「犯人が現れるのであれば、出くわさないためにも急いでこの場を離れた方が、よいのでは……」


 語尾がすぼむ。

 ライナス王子と比べて、なんと脆い発言であろうか。

 こんな、か弱い言葉で。ライナス王子を動かせるわけなどない。


「大丈夫だよ、ミヤ。もう、全て解決したんだ。だって、」


 同刻。

 礼拝堂の奥、祭壇の更に奥。

 建物の端、一部が内側に出っ張った角部分の壁付近から、奇妙な――扉の開閉時に聞こえる、ドアの木が軋むような音が響き渡り。


 壁の一部が、動く。

 ――隠し扉……?


「俺の呪いが、そうさせるんだから」


 隠し扉より姿を現した、『犯人』は。

 暗めの赤髪を携え、ひらひらと弛んだ上着の布を揺らし、私たちの前に現れた。

 

 次代の大聖猊下たいせいげいか。この国の最高権力者の一人。

 サウリ=タネリ・アーリラ様……。


 *


「……なるほどね。神の御心がそうさせたか」


 落ちたシャンデリア。座り込むライナス王子。そして私。

 こちらの状況を見渡したサウリ様が納得したように呟く。


「自白はそれで充分? サウリ=タネリ・アーリラ……」

「おや、ライナス。随分と変わり身が早いな。せめてもの悪あがきかい?」


 背中に隠れていたサウリ様の右手が、身体の前に移動し姿を現す。

 手には透明なガラス製のワインボトルが握られていた。


「おお、神よ、聖母アリアよ。見ていてくださいますか。あなたたちの御心に従って、」


 サウリ様が振り返り。

 祭壇の奥、天井近くに鎮座する聖母アリア像を仰ぐ。

 凛とした――まるで宗教指導者が民衆を導く瞬間のような――サウリ様の声が、礼拝堂に響き渡った。

 

「今からこの呪われた男を――殺します」

 

 ……冗談みたいな話だ。でも、到底、冗談であると笑い飛ばせない。

 再度ライナス王子へ視線を振り向かせたサウリ様の目が血走っている。


 逃げなければ。ライナス王子が、殺されてしまう。

 あしが、震えている。でも私がやらなければ。ライナス王子はおそらく、立つこともままならないのだから。


「ああ、そこのきみ、無理はやめておけ。うら若き乙女が、人ひとり背負い逃げられる状況じゃないだろ」


 サウリ様から投げかけられた言葉の声色は、ひどく穏やかであった。

 まるで心優しい聖職者が、迷える民を救うべく語りかけたような。やわらかで、それでいて優しく染みるもの。

 発言内容とはまるで真逆だ。


「――ライナス王子っ……」


 ひねり出した声すらも震えている。

 どうすれば、どうすれば。


 ライナス王子が私の呼びかけに応えるように、私の瞳へと視線を合わせた。

 そして、――笑う。

 

 ああ、おかしな笑い方だ。眉根に力が入っていて、眉尻が吊り上がっている。

 おかしな笑い方だが、ライナス王子が結構な頻度で浮かべる表情でもあった。


「大丈夫だよ、ミヤ」


 辛うじて伸ばした私の手を、ライナス王子が手に取り、優しく撫でる。

 ひんやりと、している。


 私の手を撫でたまま、ライナス王子がサウリ様の方へ上体を向き直した。


「最初から俺が目的だったわけ?」

「……そうとも言えるし、そうでないとも言える。呪われの王子であるライナス、お前を排することは最初から決めていた。が、それが今日となったのは――神の導きだ」


 サウリ様の返答をライナス王子が鼻で笑う。


「つまり行き当たりばったりだった、ってことね」


 しかしサウリ様には、ライナス王子の嘲笑など何でもないことのようであった。

 光悦とした表情で見つめる視線の先には、落ちたシャンデリア。

 

「そうだな。それでも成功する。仕組みは完璧に作用した。神の御心であるからこそ、だ」


 仕組み。ライナス王子を殺すための、ということか。

 ライナス王子が、サウリ様の手元のワイングラスを目を細め、品定めするように凝視した。


「……シャンデリアを落として俺を足止め。で、ワインボトルにより撲殺。凶器は割れ飛び散り、シャンデリアのガラス蝋燭に混じる。中身の水もその内、蒸発。――そんなところかな?」

「分かったところで。避けられねば、意味はあるまい」

「目撃者がいるよ? それはどうするの?」

「そこの者の証言と? 俺の言葉? その価値は等しくないだろう」


 サウリ様がワインボトルを振り上げ、一歩前に踏み出そうと足を上げた。

 もう、本当に駄目なのか。どうしてライナス王子はこんなにも落ち着いて――。


 ――唐突に。

 サウリ様の後方より、音が聞こえた。


 何かが軋む音。


 サウリ様が異変に気付き、振り返るよりも早く。

 全ては終わっていた。


 祭壇奥、天井近くに鎮座する――否、鎮座していた、聖母アリア像が。

 サウリ様目掛けて落下し、轟音を立てていた。

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