第11話 四肢が、腐っているの

 ホセ氏とリィナ様の睦み合いを、蚊帳の外からしばらく眺めた後。


「リィナ様。本日はリィナ様にご紹介を、と」


 背後に目を向けたホセ氏に橋渡しされ、リィナ様の目線が私へ向く。

 ようやく私の番か。


「お初にお目にかかります。ミヤ・エッジワースと申します」

「紹介? 教会へ口利きをお望みなの?」

「いえ、本日はリィナ様にお礼を申し上げたく参りました」


 ただの平民が急にリィナ様とお話など、あまりにも違和感が強過ぎる。

 対策として考えてきた言い訳。


「リィナ様のお父様――大聖猊下たいせいげいかのおかげで、この大学に通うことができておりますので。一度、ご挨拶をと」

「ああ、寄付金入学の……」


 商人の娘、こと私の入学経緯はリィナ様のお耳にも入っていたようだ。これなら怪訝に思われることもないだろう。

 私の顔をジッと見たリィナ様はそう大事でもないと言うように、軽快に言葉を続けた。


「それなら、私でなくお兄様に。他ならぬホセの紹介だし、私からお兄様に口利きしてあげる」

「お兄様……ですか?」


 リィナ様の兄は次期に大聖猊下になられることが決まっている――が、それは先の話。

 私の大学入学後ろ盾となってくれたのは、リィナ様のお父様である大聖猊下、だと聞いているが。


「……ここだけの話ね。お父様、最近ずっと調子が芳しくなくて」

「! 大聖猊下が? ほんまですか?」

「ええ、ホセの紹介の方だから、信用して話すけれど」


 ホセ氏も知らなかったと言うことは。本当に限られた者しか知らない情報のようだ。


「国民の混乱を防ぐために、お父様の病状はしばらく非公開ということになっていて。今はお兄様が公務を代行されているの」

「せやったんですか……」

「お兄様、ソフィア様を亡くされたばかりでただでさえご傷心なのに。力になれない自分が情けないわ」

「リィナ様、自分を責めんとってください。お兄様なら心配いりませんよ、出来た方やないですか」


 しかしホセ氏に慰められながらも、リィナ様の気落ちした表情は変わらない。

 大聖猊下に快方の様子が少しでも見られるのならば、兄の多忙も一過性のものだ、と受け入れることもできるだろう、が。そういった思考にもならないほど、大聖猊下のご体調は深刻な状態なのだろうか。

 

 国民に伏せられている以上、大聖猊下の病状を知るものも限られているはず。

 教会お抱えの医師が診ているのだろうし、医療ミスの可能性は低いだろうが――しかし知恵というものは、人数が増えるほど多彩になるものだ。

 ウチの家業が、助けになるかもしれない。


「リィナ様。差し支えなければ、大聖猊下の症状をお聞きしてもよろしいですか? 薬の調達など、我が父に頼めば特別に取り寄せられるかもしれません」


 リィナ様の瞳にほんのわずか、光が戻る。


「……そうか、あなた国一番の商人と名高いミルトン・エッジワースの娘さんだったわね」


 商売は信用が第一。

 父の信条がリィナ様からの信頼を生み出している。父には感謝するばかりだ。


 リィナ様は思い切りのよい方なのだろう。

 そう躊躇もせずに、大聖猊下のご病状について口を開いてくださった。


「父の病状、未知のものらしくて。その……四肢が、腐っているの」

「!」

「身体中に斑点ができて、そこから徐々に腐っていって。遂に目蓋も腐敗して、眼球が……転がり落ちたわ」


 その、症状は。

 間違いない。先日、訪れた病院で。病床に伏せていた、麻薬中毒者の生徒のものと同一。

 

 ――リイナ様のお父様。大聖猊下は。

 麻薬に、身体を蝕まれている……。


 *


 出来得る限りのことはしてみます、と伝え、リィナ様と別れる。

 別れ際、ホセ氏に「ロベルト王子には会いに行かれるのですか?」と聞かれたリィナ様は。ちょっとだけ不機嫌そうに顔をしかめ、すぐ話を逸らしていた。

 ……あまり仲が良い許嫁関係ではなさそうだ。


 しかし我々はリィナ様に代わって、ロベルト王子と会う機会を設けるべきだろう。

 大聖猊下のご病状が麻薬のものである可能性が高いと伝えることで、できることがあるかもしれないのだから。

 例えば先日訪れた病院では、麻薬中毒者への処置について知識が深まっているかもしれない。


 しかし、その前に。確認しておきたい事項がある。

 

「ホセ、さん。あなたの目から見て、リィナ様が隠し事をされているように……見えましたか?」

「……ミヤせんせは、どうなんです。僕なんかより、先入観あれへん意見、言えるんとちゃいますか」


 先入観ない意見――なんて言い回しの時点で、ホセ氏の意見は述べられているも同然だ。

 ま、私もホセ氏と同意見だけれど。


 もしもリィナ様が麻薬取引と関係されていて。その上で麻薬中毒症状に陥った大聖猊下のお話を、あんなにも辛そうな表情でされたのだとしたら。

 役者が過ぎる。

 そもそも、教会外部の人間にわざわざ麻薬中毒症状について話す必要もない。


 もちろん印象論の話でしかなく、リィナ様の無実の証明が為されたとは言えない、が。

 最優先で調査すべき対象とは言えなくなった。


「……ライナス王子に進言しましょう。リィナ様を深堀りするより、礼拝堂についての調査を優先すべきと……」

「呼んだ?」


 唐突に声を掛けられ思考が白黒する。

 振り返った先には、長く伸ばした襟足をはためかせたライナス王子が口元だけで笑っていた。

 ああ、また目が笑っていない。


「喜びなよ、ホセ。リィナは犯人じゃない」


 声色からも、ライナス王子が自身の発言に確信を持っていることが分かった。

 ――何をもって確信しているんだろう。ライナス王子は。

 

 リィナ様との会話を聞いていた? いや、会話中、周囲には常に気を配っていたはず。

 私とリィナ様だけならいざ知れず、護衛のプロフェッショナルであるホセ氏からも悟られずに話を盗み聞きしていたとは考えにくい。

 それでは、何故。


「ライナス王子、なにか――決定的な証拠を掴まれたのですか?」

「うん。リィナのアリバイと……そうだね、場所を移そうか」


 アリバイ。容疑者が、犯罪現場に不在であったことを証明するもの。

 いったいライナス王子は、どんな事実を掴んだというのだろうか。

 連れられ訪れた学食は、二限さなか、昼時前ということもあって利用生徒の数もまばらであった。

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