第8話 今夜はお泊まりだからね!
ホセ氏に連れられ訪れた病室。
麻薬中毒者として説明を受けた患者の顔には、見覚えがあった。
一週間前。
近くを通りかかった人が、突然音もなく倒れた、あの時の重病人。
――彼こそが、麻薬中毒に陥った生徒、その人だったのか。
麻薬中毒者の彼の左目に着けられた、眼帯を見て。
道路に転がり落ちていた眼球の存在を思い出す。
斑点そして腐敗の見られる腕・足はベッドに力なく放り出されていた。立ち上がる気力もないようだ。
側に看護師が控えていることからも、彼の状態が芳しくないことは明白だった。
「ホセ、彼から話を聞く、なんて――本当に可能なの?」
「……首は動かせる、と。聞いとります」
生気のない片目でじっとりと見つめられた後。麻薬中毒者の生徒が軽く頷いた。
辛うじて意識はあるようだ。
最も、倒れた時の様子を思い返せば。一命を取り留めただけでも御の字に思えたが。
「見ての通りの体調ですんで。数打ちの質問は控えめで」
「はあ……。呪いの力を使っちゃ駄目って制約がなければ、ホセを呪って兄貴も呪って終わりにしてたところだよ……」
「はは、堪忍したってください」
物騒なライナス王子の発言をホセ氏が軽く笑っていなす。真剣味がまるでない適当な躱し方。
ライナス王子の『呪い』を信じ恐れる者が大多数である我が国の人間としては、間違いなく異端側に入るであろう態度だ(私が言えた立場ではないが)。
神の声を聞く神託者により施された(とされている)、ライナス王子の『呪い』。それを軽く扱っている点から見ても、ホセ氏は信仰心が薄いタイプなのかもしれない。
ライナス王子が麻薬中毒者の生徒へ向き直る。襟足から伸びる一房の髪がゆったりと揺れる。
前髪の隙間から垣間見える冷ややかな視線。個人への興味の無さと、しかし調査のために思考を巡らせていることが一目で見て取れる瞳だ。
「一応確認だけど。大学構内で麻薬を調達していたことに間違いはないんだよね」
麻薬中毒の生徒が最小限の動きをもって首を縦に振る。それを確かめてライナス王子が追撃。
「で、どうやって手に入れてたの? 麻薬の販売人――つまり部外者が構内に入り込んでた、とか」
首を横に振る。否定だ。
弊国立大学は貴族の子らが通う都合上、関係者以外は立入禁止。麻薬売人が構内に入り込んでいたら大問題だったが、その可能性は否定されたか。
警備の落ち度でないことに安堵しつつ、次の候補を確認。大学外部の人間でない、ならば。
「生徒間で麻薬のやり取りがあったんですか?」
これも否定。外れたか。
彼の体調を思えば次で正解を引き当てたいが。
「なら、構内の施設で取引が行われてたとちゃいますかね」
ホセ氏の発言に同調するように、麻薬中毒生徒の首と目蓋が軽く下がり降りる。肯定。
「構内施設? 売店とか?」
否定。意外。
大学構内においては、物品の売買・やり取りを最も自然に行える施設だと思ったけれど。
「他、なんぞありますやろか。学食?」
これも否定。
「図書館……は違うよね。売買を覆い隠すだけの喧騒がない」
麻薬中毒の生徒が頷いたが――これは、『違う』ということの肯定だろう。
ならば、他の施設と言えば。
ふと、根本的な疑問が湧き上がる。
私はこの生徒のことを、自分の目の前で倒れたあの瞬間まで、一度も見たことがなかった。
そして彼がどういった立場の人間であるかという点についても、思い当たる節がない。
商人の娘という立場上、取引先の人間の顔は何となく覚えがある。各地の貴族、その息子娘くらいなら、記憶に残っている者も多い。
それに例え本人に見覚えがなくとも貴族、騎士の家のものであれば、召し物のどこかに既知の家紋を背負っているはず。
麻薬中毒の生徒については、どちらにも該当しない。
つまり、導き出される結論は。
「……あなたは、もしかして――神学部の生徒ですか?」
麻薬中毒の生徒が確かに頷いた。
――やっぱり。
意外にも。ホセ氏が視界の隅であからさまに動揺していた。ライナス王子にどれだけ詰め寄られても、平然と涼しい顔をしていたというのに。
ホセ氏の、ライナス王子の『呪い』への反応は、とりわけ信心深そうには見えなかったが――しかし今はホセ氏の心中を追及する場ではない。
「へえ。じゃあ、礼拝堂で行われてるんだ。麻薬取引」
麻薬中毒の生徒が頷くように目蓋を閉じ――そのまま、開かれることはなかった。
側に控えていた看護師が状態を確認する。どうやら眠りに落ちてしまったらしい。体力の限界だったと言うことか。
「……ま、ありがちな話ではあるね。神的な体験のために麻薬に手を出す宗教は古今東西どこにでもある」
「せやけどそんな……そういうんと関係せえへんのが、ウチの国教ちゃうんですか」
目の前に提示された事実を信じられないと言わんばかりに、ホセ氏が言葉を吐き捨てる。
ホセ氏だって分かっているのだ。麻薬中毒の生徒が嘘をついていないことくらい、態度で充分に。
「意外と信心深いねえ、ホセ」
国教を制定する側である王族の一人がこの態度なのも、逆に割り切り過ぎているが……。
「……いや、もしかして。ホセ、きみ、容疑者に心当たりがあるんじゃない?」
ホセ氏がビクリと肩を震わせた。
容疑者、とは。礼拝堂で麻薬を撒いている人物、その人か。
「懇意にしている人物に、容疑者の可能性が出てきたとか。誰だろうな、例えば――」
確かに違和感はあった。これといって信心深くは見えないホセ氏が、なぜ礼拝堂での麻薬取引の可能性に、こんなにも挙動不審になるのか。
なるほど、その理由が宗教への信心深さではなく――知り合いへの嫌疑、なのだとしたら。辻褄が合う。
「……ライナス王子、それ以上は」
じっとりとホセ氏が、ライナス王子を睨むように見つめる。
も、ライナス王子は涼しい笑顔。目元が横に流れるように薄く窄まった瞳は、冷ややかさしか感じさせず。笑みの浮かんだ口元に似つかわしくない。
……ライナス王子とホセ氏。形勢逆転、している。
「ま、そうだね、こんな場所でするべき話じゃない。うん、ミヤの家ならどうかな、今夜はお泊まりだからね!」
――ん? お泊まり?
「……そうですね、ミヤせんせのウチやったら」
え? ちょっと待って、なんでホセ氏まで、ライナス王子のお泊まりを認めているの。
家主の……私の意思は?
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