第5話 俺の呪いの有用性は、これから分かっていけばいいんだから!

 一触即発。

 今以上にその言葉が似合う瞬間が、未だかつてあっただろうか。

 

 私との接触を双子の兄・ロベルト王子に咎められたライナス王子は。

 今にもロベルト王子に掴みかかりそうな雰囲気を隠そうともしない。

 

 ――けれども。

 もしも兄弟喧嘩が物理に発展した場合、結果は火を見るよりも明らかだ。

 

 だって……筋肉が。筋肉の差が。

 筋骨隆々を絵にしたようなロベルト王子と、よく言えばすらりとしている――身も蓋もない言い方をすれば、ひょろひょろなライナス王子とでは。

 喧嘩にならないではないか……。


 兄弟二人とも発話を潜め、ただじっと睨み合っている――ひたすらに、気まずい。

 何と声をかけたものか。この喧嘩、何故か私が原因っぽいし。どうしようか……。

 そもそも何故ロベルト王子は、ライナス王子と私の接触を阻もうとしているのだろう。私が平民だから?


 と、考えあぐねていると。

 おもむろに、ロベルト王子が懐から一枚の紙を取り出した。


「ライナス。バーンズ元教授の研究室から押収されたこの紙、お前が提出したレポートで間違いないな?」

「へえ。犯罪と関係ないものも差し押さえできるんだ、治安維持部隊って。随分とお強い権力をお持ちで」


 レポート、としてロベルト王子が掲げた紙は。どう見ても白紙であった。

 ただ紙の隅に、ライナス王子の長い名前が書かれているのみ。


「――呪いの力を使ったな」

「!」

「そうだよ。だから?」


 まるでただ吐息を落とすように、生理的動作と言わんばかりにライナス王子は肯定した。

 ライナス王子にかけられた、呪い。ライナス王子を害するものを排除する――と、されているもの。


 眉間に皺を寄せたロベルト王子が、不本意そうに口を開く。


「バーンズ元教授が、お前の出した白紙のレポートを不可とすれば。不可にされた事実を『害』とし、バーンズ元教授に不幸が訪れる」


 ロベルト王子の言葉に同調するかのように、白紙のレポートがささやかに揺れた。

 そしてまたライナス王子も、ロベルト王子に同調するかのように。ロベルト王子の発言のその先を口にする。

 

「そう。そして逆に、バーンズ元教授が俺の白紙レポートを可とすれば、職権濫用に巻き込まれた生徒として俺が『害』された――と、呪いは認識する」


 ……無茶苦茶だ。

 彼ら兄弟が『害』と認識するものの範囲が広過ぎる。

 

 この調子で、ライナス王子の周囲に降り掛かる偶然の不幸を、全て『呪い』だと解釈してきたのだろうか。

 それがこれまでの、ライナス王子の生き方……。


 そんなの、悲し過ぎるではないか。

 全ての不幸が自分のせいになってしまう、だなんて。


「……呪いなんて、あり得ません」


 ロベルト王子の苛烈な視線が――そしてライナス王子の探るような瞳が。

 他の誰でもない私へ向けて注がれていることは分かっている。それでも、発言を止めるわけにはいかない。


 全ての不幸の責任を。ライナス王子に負わせるなんて、歪んでいる。

 

 数学を――この世のシステムを理解せんと学ぶ者として。

 そして、ライナス王子に……偶然とはいえ、助けられた者として。

 ライナス王子へ向けられる『呪い』という歪みを、見逃すことはできなかった。


「ライナス王子の白紙レポートと、バーンズ教授……元教授の逮捕に、因果関係はありません。ただ偶然にも、レポート提出と逮捕の時期が重なっただけです」

「……お前にライナスの何が分かる?」


 ロベルト王子の地の底を這うような低音が、胸に腹に重苦しく響く。

 双子として共に生きてきた年月を感じさせるには充分な一言だ。けれども。

 

「確かに私は、ライナス王子のことは何も分からない……かもしれません。しかし、呪いなんて非科学的なものが存在しないことは分かります」


 ロベルト王子が口を閉ざした。

 ――そして、ほんの僅か。ロベルト王子の瞳がうっすらと細まる。


 品定めをされている。

 商人の子として生きてきたのだ。値踏みを行う人間の目なんて、見飽きている。


 品定めされる理由はわからない、が、どちらにせよ引くわけにはいかない。

 そう思い強気の姿勢を崩さないよう、腹の奥に力を入れる。


 ……私がロベルト王子を睨み返したのと、ほぼ同時刻。

 ライナス王子の呑気に間延びした声が、耳に入り込んだ。


 *


「な~んだ! 例のやつね、やっぱりミヤの思考回路は面白いねえ。でもね、大丈夫だよミヤ。俺の呪いの有用性は、これから分かっていけばいいんだから!」


 ……そうなんだよな。厄介なことに、ライナス王子本人が『呪い』に対して肯定的なスタンス。

 呪いの存在を否定する私にとって、この場に味方足り得る人間はいない。孤立無援だ。


 気付けば、腹に溜めたはずの力が抜けてしまっていた。

 ライナス王子の発した、締まりのない発音のせいだろうか。


「事実、今回だって役に立ったろ? 俺の呪いのおかげでバーンズ元教授が逮捕されたんだから」

「ライナス王子のせいではありませんよ。あれはおそらく、バーンズ元教授の迂闊な麻薬取引が原因で……」


 私の話を遮り。ロベルト王子の低い声が――気のせいだろうか、いささか抑えられた声量で――私たちの間を通り抜けるように発せられた。

 

「ミヤ・エッジワース。なぜ麻薬の話を知っている?」


 ――あっ、しまった。

 修辞学Ⅲ廃講について説明された時。バーンズ元教授の逮捕理由までは、生徒たちに明かされなかったんだった……。


「……バーンズ元教授の麻薬取引と関係していたのか? ミヤ・エッジワース、答えろ」

「いえっ、無関係です!」


 あらぬ疑いに思わず声が大きくなる。……かえって怪しまれたかもしれない。

 先程から手痛いミスばかり重ねている。落ち着かなくては。胸から息を追い出すように吐き出す。


「兄貴。ミヤは先週、バーンズ元教授に監禁されてたんだ」

「監禁だと?」


 私が息を吐ききったタイミングに合わせるように、ライナス王子がとんでもないことを言い出した。監禁って!

 訂正しようにも発音の為の空気が肺に残っていない。慌てて空気を吸い込む――しかしライナス王子の次の言葉を遮るのにも間に合わない。


「研究室に鍵をかけて閉じこもっていたんだよ、バーンズ元教授。ミヤを部屋から逃走させないように。バーンズ元教授の興奮するような声も聞こえたかな。それで鍵を開けて助けに入って」

「――で、ミヤ・エッジワースを助ける為に呪いの力を使った、と」


 ライナス王子が肯定の笑みを返した。

 瞳は笑っていない、口元だけつり上がった胡乱な笑顔。

 

 私がバーンズ元教授の研究室に閉じ込められた日。

 鍵を破って研究室内に入ってきたライナス王子の目的は――レポート提出だった。


 ライナス王子のレポートを受け取った瞬間の、バーンズ元教授の顔。目元が小刻みに揺れ、奇妙に歪んでいた。まるで厄介ごとを抱えてしまったかのように。

 あれは……ライナス王子の白紙レポートをどう処理するか、という悩みが発生した表情だったのか。


「ね、ミヤ。こうやってさ、俺が傷付かずに『呪い』の力を使うこともできるんだ。これならいいだろ?」

「良いわけがないだろう、ライナス!」


 ロベルト王子の怒声に身体がビリビリと震える。

 ――ああ、なるほど。


 必死の形相で声を荒らげるロベルト王子を見た瞬間。

 何故、ロベルト王子が、ライナス王子と私の接触を止めさせようとしたか理解できた。


 心配しているのだ、ロベルト王子は。

 無邪気に呪いの力を使おうとする、ライナス王子のことを。

 ――そして私が引き金となり発生した『呪い』が。ライナス王子を傷付けるかもしれない、ということを。

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