第4話 生まれてから今に至るまで、俺の口が閉じたことはあった?
バーンズ教授との接触を避け、一週間。またバーンズ教授の講義の日がやってきた。
出席生徒は私の他にも大勢いる。トラブルが起きることはないだろう。
とは分かりつつも、いくばくかの緊張を抱きながら講義室へ赴き。
5分。10分。20分。いくら待っても、バーンズ教授は姿を現さなかった。
教授の代わりに、ざわめき立つ講義室の教壇へ姿を見せたのは、学生代表の肩書を持つ人物。
ロベルト=ヴィルヘルム・フォン・ドーンブッシュ王子。
――ライナス王子の双子の兄。
短い銀髪を逆立たせ、強い眼光を宿すその姿は、強い圧を感じさせる。
健康的に焼けた肌の色は生命力に溢れ、鍛え抜かれた鋼のような筋肉を引き立てている。
その圧倒的強者オーラは隣に立つ従者達と比べても引けを取らないどころか、どちらが護衛対象なのかも分かったものではない。
見た目だけなら温和、且つ青白い肌・華奢な体格であるライナス王子とは、正反対の出で立ちだ。
ロベルト王子の凛とした声が講義室中に響く。
声量もライナス王子とは比べ物にならないほど大きい。似ていないタイプの双子である。
「今期の修辞学Ⅲは廃講となった」
は……いこう? 休講ではなく?
「単位については、希望者は一律『可』とする。本単位の取得を希望しないものは、来期以降の修辞学を履修すること。希望の修辞学講義にて履修抽選が発生した場合、優先的に履修を認める」
講義室内が喧騒に包まれていく。
当然だ。受講していた講義がひとつ、きれいさっぱり無くなってしまったのだから。前代未聞である。
受講生徒の一人、あれはどこぞの貴族の長男だったか、が手をピンと上げた。
講義室中の視線が手の先に集まり、多少の静けさが室内に戻る。
「ロベルト王子、質問をお許しください。バーンズ教授はどうなさったんですか?」
「ああ、教授に不幸があったから、講義自体がなくなったってこと?」
「あの肥満だもんねー、何があってもおかしくない」
騎士の家の息子らが矢継ぎ早にまくしたてる。
も、再度現れようとしていたささやかな喧騒を、ロベルト王子が一声で収めた。
「バーンズ教授は逮捕された」
――して、一瞬の静寂の後。
大パニックに陥った講義室を、こっそりと抜け出す。
逮捕、か。麻薬絡みであろうな。
私の父にも麻薬の取引を持ちかけようとしていたくらいだ。きっと他にも手を広げようとし、失敗したのだろう。
なんにせよ、バーンズ教授と今後接触しないですむ、というのは助かる。身の危険に怯えず済むわけだし。
……あ、退学危機もチャラになったわけか。
他者の逮捕を歓迎するのは不謹慎であろうか。しかしバーンズ教授の逮捕が、私にとって都合が良いということは、確かな事実であった。
*
「うんうん、よかったねえミヤ」
バーンズ教授の研究室で(偶然にも?)助けてもらって以降。
昼食をライナス王子と共にするという行動は、すっかり習慣化されていた。
今日は学生食堂。オムライス。ライナス王子が一緒でなかったら、米粒の概算数を求めながらの食事だっただろう。
「私、そんなにオムライス好きに見えますか」
「そっちじゃなくて……いや、オムライスも相当好きに見えるけどさ。そうじゃなくて、バーンズ元教授のことだよ」
ポロリと一口大のオムライスがスプーンからこぼれた。
バーンズ教授の逮捕が学生に知らされたのは先程、修辞学Ⅲを取っていた人間に対してだけだ。
他生徒にも逮捕の事実が知らされるのはすぐであろうが、しかしその時はまだ来ていない。
学生食堂の静けさがその証拠だ。
「……ライナス王子、何をご存じなんです?」
「んー、なんとなくは。昨日、兄貴が忙しそうにしてたから」
「ああ、ロベルト王子が……」
ロベルト王子は公務として治安維持部隊の代表を務められている。加えて大学内での不祥事。
治安維持部隊の代表としても学生代表としても、バーンズ教授の逮捕劇はロベルト王子にとって相当の労力を要しただろう。
そもそもロベルト王子は治安維持の他にも、様々な公務を引き受けられている。その上で大学に通い、法学・神学・医学全ての授業を履修されている、いわば超人だ。
そんな超人・ロベルト王子に忙しくない時など存在しないように思えるが……。
「……俺がなんだって?」
――背後からの声に飛び上がりそうになる。
低音であるにも関わらず、遠くまでよく通るであろう威勢のいい声。先ほど、バーンズ教授逮捕を告げた声でもある。
ロベルト王子。とその従者である護衛達。何故ここに。
気付けばあっという間に学生食堂は喧騒に包まれていた。
修辞学Ⅲを履修していた生徒たちが食堂へ、なだれ込んできたようだ。
「地獄耳だね、兄貴」
ヘラヘラと笑うライナス王子を、ロベルト王子の鋭い眼光が刺す。
そしてそのまま、ロベルト王子の視線が私へと向けられた。……居心地が悪い。
ロベルト王子に睨まれるような覚えはないのだが。
弟であるライナス王子と共にいる人間が、珍しいだけだろうか。
多分そうだろう。そうであってくれ。
「……ミヤ・エッジワース?」
――な、名前まで知られているとは。
平民がこの大学で目立つ存在であることは、確かなのだが……。
呼びかけに応えないのも不敬であるため、はい、と声を出す。
……自分で思っていたよりも随分と。か細い音が、喉をすり抜けた。
「兄貴、ミヤを怖がらせないでよ」
「お前は黙っていろ、ライナス」
「生まれてから今に至るまで、俺の口が閉じたことはあった? 生誕の瞬間まで一緒だった兄貴なら分かるだろ」
はー……と、ロベルト王子の長いため息が私の頭上に降りかかる。
わ、私を挟んでの兄弟喧嘩はやめてほしい……。ただの兄弟ならともかく、王族の兄弟喧嘩なのだ。寿命が縮む思いである。
「……ミヤ・エッジワース。弟はこの通りの人物だ」
「はあ……」
この通り、とは。憎たらしいほどに弁が立つ、とか、そういうことだろうか。
「お前もライナスとの交流には嫌気がさしているのではないか」
……うん?
「単刀直入に言う。ライナス、お前はこの者――ミヤ・エッジワースと今後、接触するな」
「嫌だ、って言ったら?」
「ライナス。お前のために言っているんだ」
ライナス王子の口元に貼りついていた笑顔は、すっかり消え去っていた。
私をすり抜け、背後へと向けられたライナス王子の視線は。これまで見たことがないほど冷え切っていて。
自身に向けられた殺気でもないというのに――背中の肌が粟立つのを、止めることができなかった。
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