第2話 俺の『呪い』なら、ひとつも証拠が残らないんだから
「ミヤ、きみって暖かいねえ」
と、私の頬で暖を取るライナス王子の手のひらは。
初夏とは思えないほど、ひんやりとしていた。
ひんやりと言うか……ここまでくると、もはや『冷たい』の域。
黒髪であるライナス王子は――紫色のメッシュが一束前髪に垂れているとはいえ、その紫色も決して明るい色ではない。
長く伸びた襟足の髪の毛もまた、漆黒の色をしている。
そして黒服。シャツはおろか、軽く羽織ったジャケットも黒く、下半身も黒。
首元に結ばれたリボンに付属している、フリルタイの白色だけが唯一の明るさである。
加えて肌の青白さ。日に焼けていない、生気すら感じさせない色。
仄暗さを灯す灰色の瞳。
総じて。とにかくライナス王子の外見は、冷たい印象に満ちている。
その上、ひんやりとした体温。……夏は良いが、冬は寒そうだ。近くにいると。
――水色くせっ毛ロングの私が言えたことではないか。
この髪色も充分に、見ていて寒そうだ。
「俺の呪いってさ、身体が発する熱を動力に動いてるらしいよ。だからいつも体温が低いんだって」
「また非科学的な……」
「
ライナス王子は、自身のスタンスを「呪いは存在する」「呪いの否定=面白い思考回路をしている」……といった具合に定めたらしい。
私が初めてライナス王子の呪いを否定した際に垣間見えた、瞳の揺らぎは。あれ以来、一回たりとて発現していない。
――そうであるならば、私が気を遣う必要もない。
私は私のスタンスでいるだけだ。
私の手のひらを、ライナス王子の左頬に押し当てる。
……冷たい。
つまり、末端冷え性ではないと言うことだろう。
「……ミ、ミヤ……?」
ライナス王子の表情には困惑が見えた。
口角を上げようとしているようだが、いびつに歪んでいる。
先程と比べ、心なしか頬もほんのりと赤く染まっている気もするし。
もしかして……私の体温が移ったのだろうか?
だとしたら、体温の低さは致命的なレベルだ。36.5度前後の温度にすら左右される冷たさとは。
ライナス王子の足元がふらついた。
一歩下がる形となり、私の手がライナス王子の頬を離れる。
目線を下に向けたライナス王子が、笑顔を潜め、そっと自身の左頬を撫でていた。
驚きのあまりよろけるほど、私の手のひらが熱く感じたのだろうか……?
先程、私の頬の温度を確かめていたのは。他の誰でもないライナス王子ではないか。
私達の体温の差は、既に理解しているはずでは。
「低体温には食事・運動・入浴が効果的です」
「……うん?」
「温かい汁物の積極的な摂取をお勧めいたします」
「あ、うん……」
へなへなと、ライナス王子の肩が脱力した。ように見えた。
「まあ、分かってたけど……」
何の話だろうか。低体温の治し方? だとしたら、お節介だったかな。
「……ところでさあ、ミヤ。その左手に持ってる紙の束、なに?」
「バーンズ教授が使用される書類だそうですよ」
「また運搬係やらされてるんだ。うちの国は奴隷禁止なのに」
物騒な言葉が飛び出した。
たかが資料の運搬程度で、奴隷とは。
ただライナス王子が過激な言葉を使いたがる理由も、察せなくはない。
バーンズ教授が『私以外に』何かを頼む姿など、一度も見たことがないのだ。
……そもそも私に対し行われているのは、頼み事などではない。『命令』だ。口調が。
バーンズ教授に、悪意を持ってロックオンされている。間違いなく。
原因は言うまでもない。私の出自。
商人の出だからだ。
ドーンブッシュ国立大学。国と教会本部の共同出資により運営されている、我が国唯一の国立大学である。
その成り立ち上、生徒は貴族や騎士、或いは宗教関係者(ほとんどが聖職者の跡取り)に限られている。
しかし抜け道もある。寄付だ。
教会本部へ多額の寄付金を収めれば、一般人も『宗教関係者』として入学を認められる――まあ、金の力は偉大、と言ったところだろうか。
昨年の秋のことだ。
私が大学進学を父へ相談してから、数日もしないうちに。
父は国立大学への入学権利をもぎ取ってきた。婿を探すことを条件に。
……私自身は民間大学ギルドで充分だったのだが。寄付を収め切った後に、そうとも言えず……。
結果。国立大学へ通う一般人として、周囲より奇異の目で見られながらの通学となってしまっている。バーンズ教授にも目を付けられるし。
大学へ通わせてくれていることは、本当に感謝しているのだが……。
「……バーンズ教授の依頼で、他講義への悪影響が出ているわけでもありません。単位を取得するまでの辛抱ですから」
「健気だなあ、ミヤ。俺にくらい本音で愚痴を言ったっていいのに」
どう考えても、愚痴を言う相手として一番の危険人物はライナス王子だ。
呪いなんて存在しないとはいえ。ライナス王子本人は『呪い』を信じている。
――そして『呪い』により他者を害することを厭わない。
他者を害することに抵抗がない、ということは。
偶然の不運を待たずして、ライナス王子本人が他者を貶める可能性を否定できない、ということだ。
心のブレーキが、効いていないんだから。
「健気なミヤの為に、俺もバーンズ教授の奴隷をさせてもらおうかな」
「お気持ちだけ受け取りますので、絶対やめてください」
「それ、本当に俺の気持ち受け取ってる?」
私から紙の束を奪い取ろうとするライナス王子を無理矢理に避ける。少しふらつくが、資料が無事だから構わない。
腐っても王子なのだ。ライナス王子は。王子に雑用などさせられない。
……というか、そんなことをさせたら間違いなくバーンズ教授に恨まれる。
雑用をさせる、という行為が、ライナス王子への害にあたる可能性を考えたら当然だ。
この国の人間は、私以外全員『呪い』を信じているのだから。
恨まれた結果、不当にバーンズ教授の授業単位を落とされたらたまらない。
金の力で入学した一般人は、一つ単位を落としただけで退学だ。理不尽であるが仕方がない。
「ミヤの心の臓を捌いたらさ、俺が渡した気持ちが出てきたりしないかな」
「……医学部生でないライナス王子に身体を捌かれるのは遠慮したいですね」
いちいち言動が物騒な王子だ。
ライナス王子が法学部生である、という点からしてもどうかと思うが。無免許執刀はしっかり法律違反だ。
別れ道に差し掛かり、ライナス王子がお決まりの文句を口にする。
「ミヤ、きみを害する人がいたら俺に任せるんだよ」
「ライナス王子。その提案は私に対して過度に過保護であること、進言いたします」
「うーん。最も合理的な方法を提示しているだけ、なんだけどな。俺の『呪い』なら、ひとつも証拠が残らないんだから」
――証拠ときたか。法学部生らしい発想と言えなくもないが。
それはつまり、他者を害す前提である、という宣言でしかない。
「それに、ミヤ。きみに頼ってほしいんだ。きみは俺の、大切な人だから」
脱力しきった手をひらひらと振りながら、ライナス王子は去っていった。
別れ際の笑顔。上がり切った口角とは裏腹に、眉間にうっすらシワが寄っていた。
到底、大切な人へ愛のささやきを向ける人間の表情ではない。と思う。
……つまり、ライナス王子の甘言は。真の意味では、私に宛てられた発言ではない。
今は亡き猫ミミンのことを、私に重ねているのだろうな。
有体に言えば――ミミンの代わりなのだ、私は。ライナス王子にとって。
だからこそ過激に、私に害なす者を排除しようとする。
「猫ではないと気付いたら終わりだろうな、」
――この関係は。
私の人生はライナス王子の登場により激変した。けれど、それも束の間の出来事に過ぎないのだろう。
だって私は、猫ではない。
……ライナス王子の求める存在では、ないのだから。
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