Ep.18 有栖川姉の憂鬱(4)

「お姉さん、さっきの人は?」

「帰ったよ。あの人、実はちょっと苦手で……」


だろうな。僕どころか、黒江と嶺羽にもバレていた。姉は分かりやすいほうだし、あいつを苦手にならないほうが難しい。


「お疲れ様です……」

「休みの日に突然家に来るなんて、いくら上司とはいえ非常識じゃないですか?」


黒江が怒りを露わにした。僕も全く同じ気持ちである。

そんな職場、早くやめてほしい。

僕にそんなことを言う権利はないが。


「そうなんだけど断れなくて」

「上司の立場を利用して……パワハラにもあたりそう」

「でも、大丈夫」


何が大丈夫なのだろう。姉よ、さっきより5歳くらい老けてる気がするぞ。

……言ったら殴られそうなので言わないが。


「もう……やめるつもりだから」

「……え?」

「継路、ごめん。お姉ちゃん、もう耐えられない。職場ではもっと酷いの」


姉がポロポロと涙を流し始めた。

電話がかかってきた時のあの表情、クソ上司からかけられる心労は並みじゃないだろうと思っていたが、姉をそこまで追い詰めるとは。


素直に、くたばれクソ野郎とでも言っておけばよかったな。


「言葉もそうだけど……ボディタッチも酷くて。お酒飲めないって言ったら、二次会と称してに連れて行かれそうになったこともある」


通報案件だったか。

姉からそんな話を聞くとは思わなかった。


「はぁ!?やっぱ俺一発殴ってくるわ!」

「黒江くん待って。もっと効率的に社会から抹殺する方法があるはず。殴ったらこっちが悪くなっちゃう!」


2人を止めたいが僕も怒りが抑えられない。

というか本音を言うなら僕が上司を殴りたい。


「ありがとう……なんか、元気出た!」

「お姉さん……」

「2人とも、今日は帰ってくれない?明日も良かったらまた来てよ」

「……分かりました」

「継路、2人を駅まで送ってあげて」


姉が僕の耳元で、ボソリと呟いた。


「一人で泣きたい気分なの」

「……行ってくるよ」


僕は荷物をまとめた2人を連れて、駅まで向かった。


「真結さん大丈夫かな……」

「姉はひとしきり泣いたらスッキリする。昔からそうなんだ」

「……覚えとこ」

「黒江くん、彼女はいらないんじゃなかったの?」

「いや別に彼女にしようとは……それに、真結さんと結婚したら継路と兄弟になるじゃん」


うわあ吐き気がする。というか結婚前提に話を進めるな。怖いぞ黒江。


「じゃあ、明日もお願いね、継路くん」

「明日までに単語少しでも覚えてくれよ」

「えー」

「constructは?」

「……反対する!」

「組み立てるだ。明日は他の単語聞くからな」


まあ英語なんて単語さえ覚えておけば最低限の点数は取れるだろうし、この2人は赤点さえ回避すれば充分だ。


「それじゃ、また明日!」


電車に乗った黒江たちを見送り、僕は家に帰った。




「おかえり!」


姉の目は赤く腫れており、しかしすっきりと笑っていた。


「ただいま」

「さっきはごめん。今晩御飯の支度するね」


満足するまで泣いたのだろう。姉は立ち上がり、キッチンへ向かった。




今回の事の顛末はというと。


姉は心労的に限界を迎え、すぐに今の職場をやめた。姉の学生時代の友人が新たな職場を紹介してくれるらしく、再就職もすぐにできそうだ。


そして、僕たちは。

死ぬ気で英単語を覚えてきた2人は、なんとか赤点を回避した。若干得意分野の点が下がったらしいが、成績面では大丈夫だろう。


僕はいつも通りの点数を収め、教師からまた嫌味を言われる羽目になった。


ということで、まあ、僕たちの勉強会は一旦区切りを迎えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る