Ep.17 有栖川姉の憂鬱(3)

僕達は部屋に籠もり、静かに勉強の続きをしていた。


「俺さ」

「どうしたの?」


ペンを置いた黒江が、僕を見て真剣な顔で言った。


「真結さんより、ツグミちゃんのほうがタイプなんだよ」

「へー……」

「でも実在しないんだよなぁ」


非常に残念そうに黒江が言うが、実在はしているのだ。

中身が僕なだけで。


「継路が女装してもああはならないだろうし」

「そうね……」


駄目だコーラ吹き出しそう。嶺羽の面の皮が厚すぎる。


「本当に継路にあんな妹がいればよかったのに……」

「そんな話をしても仕方ない。さっさと勉強しろ」

「はーい」


口を尖らせてペンを動かす黒江。

英語の提出物は数が少ないので、すぐに終わるだろう。


僕が自分の勉強に取り掛かろうとしたとき、チャイムが鳴った。


「今出ます!」


姉の声がして、扉の向こうからバタバタと走る足音がした。

例の先輩が来たのだろうか。


僕は2人を静かにさせて、耳をそちらに傾けた。


「わざわざお越し下さり、ありがとうございます」

「今日はこれ、渡しに来たんだ。どうぞ」

「ありがたく頂きます」


少し高めだが、男の声だ。年齢はそこまで若くないな。

紙袋の音も聞こえる。


「上がっていい?」


上司からそんなことを言われても、断れないだろう。

渡しに来ただけならさっさと帰れ。


「……どうぞ」


下手に断るわけにもいかないし、姉の判断は正しい。

男が家に上がっていったようだ。


「お茶、すぐ出しますね」


ちゃんともてなさざるを得ない相手だ、姉の声も緊張している。

……僕なら初手でぶぶ漬けを出しているが。


「部屋着もかわいいね」

「……ありがとうございます」


アパレル店員は家での服装も見られるのだろうか。だとしたら僕には絶対に務まらないな。務める気もないが。


「玄関に家族の写真が置いてあるなんて、家族思いだね。将来絶対いいお嫁さんになるよ」

「そう言ってもらえて光栄です」

「ここは……シンプルだね。自分の部屋はどこ?」

「えっ?ああ、一番奥に……」


ちょっと待て。こいつ人のプライベートにズカズカ踏み込み過ぎじゃないか?

セクハラギリギリの発言もあったと思うが。

……いや、捉えようによってはセクハラか。

嶺羽ならセクハラって言いそうだな。


「最近どう?彼氏とかできた?」

「いえ、まだ……」


アパレルにもこんな上司いるのか。今のは間違いなくセクハラだ。


「真結は仕事熱心だけど、早く結婚も考えたほうがいいよ」

「そうですね、一応……プランはあって……」

「へー、どんなの?」


姉がここで返答を間違えた。そんな曖昧なことを言ったら、会話が広がってしまう。

僕はどうすればいい?どうすれば姉をこのクソセクハラ上司から解放できる?


「継路くん」


そもそも僕がどうにかしていいのか?姉が自分で決めた職場で偶然出会った上司だ。

そういうクソ上司は世の中にいくらでもいるだろう。姉だって、覚悟はできてるはずだ。


「継路ー?」


働くとはそういうこと。嫌な上司とも、上手く付き合っていかなくてはいけない。

今回はそれを学習できたということで、もういいじゃないか。


「「継路(くん)!!」」


肩を思い切り両側から叩かれ、僕は我に返った。


「ごめん、どうした?分からないことがあるなら、いくらでも……」

「そうじゃない。継路くん、お姉さん……」

「真結がどうかした?」

「あの男やべーって。セクハラだって!」

「ちょっと私が一発殴ってやろうかと思ってるんだけど、どう?」

「俺も手伝う!」


待て待て待て待て。2人とも、あの会話を聞いていたのか?

指を鳴らして不敵に笑う嶺羽が恐ろしくて仕方ないんだが。


「いや……僕も聞いてた。でも、僕達がどうこう言えるようなことじゃないだろ」

「このままじゃお姉さんが可哀想だと思わないの?せめて、帰らせるよう誘導できない?」

「……僕は」


僕はどうしたい?


決まっている。


あのクソ上司を追い出したい。




僕は部屋を出て、姉と上司が話しているリビングへ向かった。


「それでさ、真結。うちの息子も独身で歳が同じくらいなんだよね。サーフィンが趣味なんだけどさ……」

「そうなんですか……」


僕の足音に気がついたのか、男が振り返って僕を見た。


思っていたより見た目が若い。30代くらいか?いや、話し方からして若作りか。


「……こちらは?」

「弟の継路です」

「初めまして」


上司はニッコリ笑って、こんな台詞を吐いた。


「へえ、似てないね!」

「……よく言われます」

「でも、そっか、弟さんも今日いたのか……悪いことしちゃったなあ」

「いえいえ」


よくもまあ、抜け抜けと。

姉にあんなことを言っておいて、こいつこそ面の皮が厚いと言えるだろう。

僕は恨みをたっぷり込めて、本心とは真逆の言葉を紡いだ。


ごゆっくり今すぐ帰れ二度と来んな!」


僕の悪意と敵意、伝わっただろうか?


僕はそのまま踵を返し、部屋に戻った。




「ただいま」

「……なんで継路くん、追い出さなかったの?」

「あの反応だ、僕がいることがわかったら自然に気まずくなって帰るだろ」

「にしても、ごゆっくりって……」

「もういい。勉強しよう」


3人で集中して勉強を進めていると、姉が僕の部屋の扉を開いた。


「もう大丈夫、ありがとう」


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