第17話 名無しの少女
「三年前の話です。始まりは彼の好奇心からでした」
淡々とした彼女の口調を、私はとても懐かしく感じていた。
今のこの顔は、彼女の大人の顔なのだと私はやっと気が付いた。
何かを隠す為の仮面があの冷たさなのだ。
その何かとは、現実を受け入れられない自分であり、それを完全に内に隠す為の過剰な演技だったのである。
五十鈴さんと共にいて良く分かった。
彼女はとても弱い、そして優しすぎるのだ。
だからいつまでも過去に引きずられ、永遠に前に進めない。
そして優しすぎるが故に、他人の為に自分を殺していたのだ。
「私達はいつの間にか集まったグループでした。全員が家庭に何か問題を持っていて、帰る家を失った者同士の集まりでした」
「因みに補足すると、テツとヨウヘイは日常的に親から暴力を受けてた。そして、私とカイトは生まれた時から親が居ない」
冗談の様にアンナは言うが、冗談で済ませて良い話では無い。
当事者だから笑えるのだろうが、この話で笑う様な輩は感性が終わっている。
重い過去を持った若者達。五十鈴さんの話はさらに、彼らを迷宮に引きずりこんで行った。
「先生も知っての通り、カイトは男です。では何故あの子がカイトと名乗っているのか。切っ掛けはカイトが持ってきた情報でした。満天坂の隠された道、それが全ての始まりでした」
五十鈴さんは一息つく為に、煙草に手を伸ばした。
だが、小刻みに震える手では煙草を持てず、結局ヨウヘイが手伝って何とか煙にありついたのだった。
吐く息は単発的に、小さく短い煙が何度も吐かれていた。
「五十鈴、無理だ」
テツが五十鈴さんの元に駆け寄ろうとすると、アンナが「おい」と制止した。
「テツ、甘やかすな。お前もヨウヘイも、最後に五十鈴が逃げられる道を作るから、コイツは今でもトラウマなんだろ。もう止めろ。いい加減答えを出さないと駄目なんだよ、私たちは」
「そんな簡単に決めて良い事じゃないだろ。どう転んでも全員がハッピーエンドって訳にはいかないんだから」
「だから保留か? それが幸せ何て思える頭は不幸だよ。それに、幸せを求める必要も、もう無いだろ。目的の為には何をするべきか、アイツは身を持って教えてくれたじゃないか。仲間の中で決断出来たのはアイツだけだった。ここにいるのは弱虫ばかりの役立たず。自分が可愛い出来損ないだろ」
「テツ、私は大丈夫だから。それに、聞かないと駄目だから。仲間内じゃない、第三者の意見ってモノを」
「……無理は止めろよ」
「大丈夫、大丈夫だから」
五十鈴さんがコップ一杯の水を一気に飲み干した。
何度も何度も、息を吸って吐いてを繰り返し、五分程経って、やっと話を再開した。
「すみません先生。では、続きから。満天坂の隠された道からでしたね。それを見つけたのはカイトでした。私たちは興味も無かったのですが、カイトは違いました。彼は見たんです。黒塗りの高級車が列を成して、そこへ消えていく所を。彼は特別な事に飢えていました。常に何か新しい事を探し、追求しないと気が済まない性格だったんです。そしてある夜、彼は一人でその道を走り、見つけてしまったんです。何も無い山の奥に、ひっそりとそびえ立つ屋敷。彼は性格が災いし、勝手に中へ忍び込みました。そして、出会ったんです。あの、少女に」
「その少女が、今のカイトなのか?」
「はい。先生、もう一度聞きます。構いませんね? この先を話させて頂いても。もう引き返せませんよ」
もう何度目だろうか。彼女たちの親切心なのだろうが、同じ内容の確認に、私はほとほと食傷気味になっていた。
まだ疑われているのだろうか。信用が足りていない事は確かな様だった。
「最後まで聞くよ」
答えると、アンナ肘を付きながら私に聞こえる様に「あーあ」と小馬鹿にした様に言った。
「……分かりました、では続けます。その少女は、光の届かない真っ白な部屋に監禁されていました。カイトから少女が監禁されていると聞いた私たちも、次の晩に忍びこんで彼女の姿を見たんです。真っ白な肌。今まで一度も日を浴びていない程の白さでした。彼女の部屋は厳重に鍵がされていて、中からの脱出はまず不可能でした。そして厳重なドアには覗き窓の様なモノがあり、そこから中を確認し、彼女と接触出来たのですが、彼女は言葉を知りませんでした」
「虐待されていたって事か」
「いいえ」
五十鈴さんが強く言った。
虐待で無ければ何なのか。私は幾つかの予想を立てたが、真相はそれらを大きく上回る凄惨な事実だった。
「あれは、飼育です。後で分かったのですが、あの子は戸籍がありませんでした。生まれたと証明する、個人を断定するモノが何も無かったんです。あの子は何者でも無い、幽霊と同じでした。何故あそこで監禁されていたのか、何故戸籍が無いのか、そして、あの子をそんな目に遭わせているのは誰なのか。私たちは手分けして調べました。そして分かったんです。あの場所で何が起こっていたのかが」
そして、五十鈴さんはまた口を閉ざしてしまった。
今度は誰も割って入ったりせず、彼女が話し出すのを待っていた。
その間に、私は疑問に思った事をアンナに聞いた。
「監禁なら立派な事件じゃないか。警察に言わなかったのか?」
するとアンナはクスクス笑い「馬鹿だな、先生は」と言って、最早中毒になっている煙草を手にした。
「警察になんて行ける訳無いじゃないか。まず私たちの話なんて信じないし、仮に先生が警察に駆け込んでもアイツ等は捜査なんてしない。逆に、通報した先生が捕まるよ。いや、消されるかな?」
「消されるって、なんだ」
「この世の正義は権力と金って事だよ」
「ハッキリ言ってくれないか? 誰なんだ一体」
「コーレンって美容会社があるだろ。そこの社長、比内恵理子があの子を監禁してたんだよ。そんで、そいつの旦那は現職の与党議員。さらに、あの子はそいつ等の実子だ」
理解し難い情報の波に、私の頭が追い付かない。違う、考えたく無いのだ。ヒントの様に小出しにされる情報を紐解いてしまうと、あってはならない現実にたどり着いてしまう。
「何を言ってるんだアンナ。実の子を、何でそんな、実の娘なんだろ?」
「娘だけど、あいつ等にとってあの子は子供じゃない。あの子は、只のスペアとして手元に置いていただけだ。まぁ、本当なら生まれる事さえ無かった筈なんだよ」
アンナは立ち尽くす五十鈴さんの肩に手を置き、そっと座る様に促した。
「私も鬼じゃないからさ。頑張ったな五十鈴。じゃあこっから先は私が話すよ」
「おいアンナ、五十鈴を奥にやってからにしろよ」
「うるさいテツ、さっきから。何度も言うけど、甘やかすな。自分の口からは流石に酷だろうけど、聞きたくないは逃げだ。もう起こった事だし、知らなかったとは言え、半分は五十鈴が原因だろうが」
アンナはカウンターから身を乗り出し、鼻と鼻が触れる程の距離まで顔を近づけて来た。
そして私に耳打ちする様に、ヒソヒソと声を潜めてとんでも無い情報を口走ったのである。
「本来あの場所に監禁されていたのは五十鈴だったんだ。それを誰かが逃がしたから、あの子が五十鈴の代わりに囚われていた。五十鈴とあの子は姉妹で、あの子は逃げた姉の代わりとして無理に作られた子なんだよ。母親の為のドナーとして、若く死ぬことが初めから決められていたんだ」
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