第16話 カイトの正体
「ちょっと遅すぎたな」
車は山の中の喫茶店へやって来た。
私と五十鈴さんが初めて出会い、それからいつも同じ時間が流れていた場所。
変化の無い、まるで時間が止まった様な場所で今、確実に何かが変わろうとしていた。
私以外の客を見た事が無かった店先には、赤色と青色の二台のバイクが駐車されており、その間に挟まるように、黒いバイクがこちらを向いて停められていた。
しかし、黒色のバイクは、最早乗り物としての機能を果たしていない様に見えた。
前半分が大きく壊れ、とても走れる状態には思えない。
ガソリンを入れるタンクも左右が大きく凹んでいる事から、とても大きな事故だった事が伺い知れる。
このバイクに渡世が乗っていたのだろう。
私は心配になった。
これだけ車体が壊れている事故なのだ。本人に怪我が無い筈がない。
長い事教師をやっていると、事故に遭った生徒も何人か知っている。
軽傷の生徒もいるが、重傷を負った生徒もいる。
このバイクの壊れ方は、私が知る限り事故の中では最も大きなものだった。
「救急車を呼んだ方が良いんじゃないか?」
「先生、言ったと思うけど、事故は本人が悪い。それに、あいつも私たちも金が無いんだよ」
「金なんて、後でどうにでも出来るだろ」
「まぁ、ここでゴチャゴチャ言っても仕方ない。中に入ろう」
アンナは一人、足早に店の中へ消えてしまった。
「五十鈴さん、どうしたんですか?」
「えっ、はい。降ります」
アンナが峠で止まってから、どうも五十鈴さんの様子が変だった。
心ここにあらずと言った風に、どこか違う世界を見ている様だった。
「先生」
五十鈴さんに呼ばれ、私は振り返る。
すると、彼女は私の服の袖を掴んだ。
強く、彼女の手は震えていた。
「先生……これだけは約束して下さい。絶対に、見て驚いたり、不定的な言葉は使わないで下さい。先生だけは、公平な目で見て下さい。カイトも、私たちも。全部を公平に、お願いします」
一体、この先に何があると言うのだろう。
五十鈴さんは、私に何を伝えたいのだろう。
今までも、詳しい説明など無かった。どれも比喩の様で、明確な情報を与えてくれない。
それには訳があるのだろうが、五十鈴さんも、それにアンナも、ハッキリとした事は何も言わないのだ。
渡世の言葉で聞かせる為に、あえて言わないのだろう。
だが、それもここでハッキリするだろう。
渡世はこの中に居る、それは確かな筈だ。
正体不明の転校生。私はその正体を暴くため、通り慣れたドアを潜った。
「いらっしゃいませ」
アンナがカンターの向こうで、冗談めいた挨拶をして迎えてくれた。
「お前ら遅すぎだろ。昨日の夜に連絡あったんなら直ぐに向かえよ。電話で聞いたぞ、なに優雅に飯食ってんだ」
カウンターで吠えているのは、昨晩五十鈴さんにシメられていたテツだった。
彼は私の顔を見つけると「結局来たんだ」と言って煙草に手をつけた。
彼の隣には大柄な男性が座っており、何故かカウンターに伏せて肩で息をしていた。
「おい、ヨウヘイ。五十鈴が来たぞ」
「ちょっと待って……。今は、無理」
ヨウヘイと呼ばれた彼は、全身汗だくで、その汗が床に滴る程だった。
そんな彼に対して、アンナは勝手に水を出してやっていた。
「何でヨウヘイそんなに疲れてんだ?」
「そりゃ、カイトのバイクをだな……、ここまで押して来たの……誰だと思ってる」
渡世がどこで事故を起こしたのかは知らない。この峠である事は確かな様だが、それでも、この店から少し進むと町に向かおうが都会に向かおうが、直ぐに傾斜の大きな下り坂になっている。
つまり彼は少なくとも一つは、あの事故を起こしたバイクを押して、急な坂道を上ったのだ。
ご苦労様としか言葉が出ない。
「ヨウヘイ、久しぶり」
「おう……久しぶり。元気か? 俺は、元気じゃないけど」
五十鈴さんは居心地が悪そうな顔をしていた。
昨夜のテツとの出来事もあるだろうが、私にはそれだけとは思えなかった。
彼らは全員知り合いの様で、合うのは久方ぶりだと言う。なのに、和気藹々とした空気などどこにも見られず、店内の空気は張りつめた様に、誰も嬉々として口を開こうとしなかった。
そして一番肝心な、渡世の姿がまた見えない。
幾ら何でも酷すぎると、私がアンナに渡世がどこに居るのか聞くと「トイレ」と言って店の奥を指した。
そして直ぐ、トイレのドアが開かれた。
何やら鼻歌の様なものが聞こえ、取り敢えず無事ではある様だった。
「スッキリだーっと」
渡世は服で手を拭きながらやってきた。
その姿を見て、私は五十鈴さんの言葉を思い出し、出そうになった言葉を飲み込んだ。
まだ、顔にあどけなさが残る、少女がそこにいた。
私は全員から、からかわれていたのだろうか。
「よっ、五十鈴。遅いぞ。隣のおっさんは誰?」
「アンタの担任だってさ」
アンナは業務連絡をする様に、淡々と言った。
すると渡世カイトと言う名の少女は、下から上までなめ回すようにジロジロと、私の事を観察した。
「いつの間に編入出来てたんだ? 全然知らなかった」
「お前、自分の事だろ。何で把握してないんだよ」
「重要じゃ無いからだよ」
テツが悪態をつきながら水を飲んでいる横で、やっと呼吸が落ち着いたのか、ヨウヘイが渡世の前で立ち上がった。
まるで巨人と小人の比較だった。
ヨウヘイが立ち上がると、私の予想の一割り増しで身長があった。百九十センチは越えているだろうか。
方や渡世はと言うと、百五十センチに足りているかどうかも怪しいくらいであり、その頭の天辺は、彼の腹の辺りで止まっていた。
「そうだ、聞こうと思ってたんだよ。学校一度も行って無いそうだな。テツも俺も苦労して、何とかお前をねじ込んでやったのに、何なんだ一体。何をしている?」
「カイトは高校生だろ? そして俺はカイトだ」
「お前……」
「何だよ、ヨウヘイ。折角五人が久々に集まったんだ。ここから全部始まったんだよ。もっと明るくいこうぜ?」
「じゃあ、アンナちゃんから提案があります。取り敢えずカイトは家で待機してて」
「何で? 除け者か」
「折角ゲストが来てるんだから、仕込みしとかないと面白くない無いだろ? カイトは堂々と待っとけば良い。ヨウヘイのバイク借りて町まで行っててくれよ。準備が出来たら電話する」
「何か腑に落ちないけど、まぁ、アンナが言うなら仕方が無いか。ヨウヘイ悪いけど、またバイク借りるよ」
渡世は軽やかなステップで店を後にし、小さな体に合っていないサイズのバイクに跨がって、快音を響かせて去っていった。
これは、本当に詳しく聞かなければどうにも出来ない。 何が本当で何が嘘か。謎が余りにも多すぎるのだ。
「先生さ」
一番初めに切り込んできたのはテツだった。
「忠告はしたよな、中途半端には関わるなって。ここに来た以上は最後まで付き合ってもらうぞ」
「構わないよ、そのつもりだ」
「そんなに軽く捉えてて大丈夫? 多分先生の思っている三倍は話重いよ」
アンナはコーラの瓶を片手にし、ものの数秒で飲み干していた。
「先生なんだな?」
肩を掴まれ振り返ると、大きなヨウヘイが私を見下ろしていた。この距離から感じる彼の威圧は相当なモノだった。
「アンタがどこまで知っているのか俺は知らない。だけど、何とかしてやりたいから、ここに来たって俺は信じる。途中で投げ出さないよな?」
「……ここまで来たんだ。聞かないで帰るなんて出来ない」
やっと出会えた渡世の姿は、常識では考えられないモノだった。
高校生男子の二年生。それとは全く当てはまらない人物が、渡世の名を冠していた。
あの少女は一体何者なのか。本物の渡世なのか。彼らとの接点は何なのか。
私を振り回してくれた渡世の姿が、今ここで丸裸にされるのだ。
「それじゃ、五十鈴。あんたが言いなよ。もう先生は見たんだから、アイツの口からって拘る必要も無いだろ?」
アンナが五十鈴さんを唆し、入り口付近で立っていた彼女は、何かを決心した様に胸を膨らませてから長く息を吐いた。
そして、そこに立っていたのは、機械的な冷たさを持つ、あの五十鈴さんだった。
「では先生、全てお話します。カイトの事、あの子の事。そして、無かった事にされたあの事件の事を」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます