第13話 私の嘘

「五十鈴、ついでに煙草買ってきて。カートンで。あと冷たいコーヒー、カフェオレ三本とブラック二本。いや、やっぱカフェオレは四本」


 アンナはトイレに行こうとしていた五十鈴さんを捕まえて、ついでには多すぎる注文をしていた。

 五十鈴さんは見て分かる嫌そうな顔をしつつも、しっかりとお金は受け取った。


 とある山の道の駅で、私たちは朝日を拝みながら一時休憩する事にした。

 澄んだ空気が鼻を通り抜ける。こんな空気を吸ったのはいつぶりの事だっただろうか。


 まるで心が洗われる様な輝かしい朝日が、分け隔て無く私たちを出迎えた。

 朝日を浴びたアンナは、頭に巻いたタオルを外した。


 その中から背まで伸びる長いブロンドの髪が現れ、それが優雅に風に靡いていた。

 彼女は立って煙草を吸っていた。それだけで十分すぎるほど絵に成っていた。


 映画のワンシーンの様な光景に私が見とれていると、アンナは昇る朝日を眺めながら「惚れた?」と言ってきた。

 私はそれを否定し、今自分が思った事をそのまま彼女に話した。


 するとアンナは「当然だろ」と素っ気なく答えた。


「私は誰よりも優れているんだ。それも映画の様な嘘じゃない。現実の私は誰よりも優れているんだよ、先生?」


 傲慢過ぎる発言だったが、私は何故か納得してしまった。

 それは彼女が、余りにも突き抜けた発言をしたからなのだろう。


 普通なら驕り高ぶった発言をしても、少しは逃げ道を用意するものだ。だがアンナにはそれが無い。

 自分に対しての絶対の自信を絶対だと言い切る気持ちの良さがあったのだ。


「それで先生、カイトに会ってどうするつもりなんだ?」


 どうすると言われ、私は答え倦ねた。

 どうするも何も、私はまだ彼の事を何も知らないのだ。


 勢いのまま、こんな所まで来てしまったが、これからどうすべきかなど分かる筈も無い。

 どうにかしたいと、曖昧な理由のみが、今の私の原動力だったのだ。


 だが、もしかすると、私はもう教師で居られないかも知れない。昨夜の事をキチンと処理しなかったのだから、どんな結果でも文句は言えない。


 渡世と会い、私は何を言えば良いのだ。教師としてなのか、大人としてなのか、同じ目線でなのか。


「先生、人生つまらないだろ?」 


 不意を突かれ、私の胸が激しく痛んだ。

 私はそれを何故か隠してしまった。


「何で、そう思う?」

「考えてるから。何を口にすれば良いかって。そんな人生はつまらないに決まっている」


 胸の痛みは激しさを増した。彼女の言葉が深く刺さったからなのだろう。

 だが変だった。


 自分の予想に納得出来ないのだ。


「相手の気持ちを考える何て、何も考えていない奴のする事だ。それをああ言えば駄目だとか、こう言えば傷つくとか、何様なんだ。それで何が変わる? 何かを変えるにはどうにも出来ないくらい相手を叩きのめすしか無いんだよ」   

「それは虐めって言うんだ。人間はコミュニティーの中でしか生きられない。その輪から外す行為は暴力と変わらないさ。互いを尊重しあう事が大事なんだ」

「先生ってロマンチストだろ?」


 不意に投げ掛けられた言葉は、不定したくとも出来なかった。

 どうしてと聞くと、アンナは吸っていた煙草から新しい煙草へ火を移していた。


「理想なんだよ、先生の言葉は。そうあって欲しいって空想なんだ」


 また胸が痛くなる。この痛みは一体なんだ。

 私はこの痛みを隠した。


 だが、アンナは見破っていた。


「先生今、痛いだろ。でも、それは私のせいじゃ無い。痛いのは先生が痛くしてるんだ」

「私が、だって?」

「もういい加減認めたら? 押さえつければ反発するのは当然だろ。反発する先生とそれを押さえつける先生。だから治せるもの先生だけだよ」


 アンナが何を言いたいのか、分かりたくなかった。

 今までも本当は分かっていたのだ。それを嘯き隠していた。自分で自分に嘘を吐き、仕方が無いと諦めていた。


 だが、もう隠しきれない。

 私は大人になりたかった。私は大人になれなかった。


 違うのだ。


 本当はまるで違う。だがこれ以上隠す事は最早恥でしかない。


 本当は、私は、大人である事を認めたく無いのだ。


 気が付くと私は山に向かって叫んでいた。

 詰まったモノを押し出すだけの、意味を持たない叫びを上げていた。  


 声は木霊し、響き渡る。

 それで世界は変わりはしないし、私も変わらない。


 けれど、今、確かに私は、叫ぼうとして叫んだのだ。


「ほら、違うだろ? 小さな事なんだよ。それが視界を大きく変える。大事なのは認める事だ。言葉じゃ無くて本心で、認めてから手を考える。これからデカい事をするんだろ? 取り繕うとか、保身とか、そんなもん考えている内は中途半端な事しか出来ない。自分は悪党だって気持ちを持つくらいじゃ無いと、カイトをどうするか何て出来ないよ」


 アンナは笑っていた。


 実に子供じみた、裏表の無い様な顔だった。

 そして私は、格好付けた様に鼻を鳴らした。


 大人の振りをする子供じゃない。

 子供じみた大人の私が。


 山に向かって、私たちは静かに笑った。 

 その様子を、手に一杯荷物を抱えた五十鈴さんは「気持ち悪い」と一言で片づけた。

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