第12話 事故報告

 こいつは教師などでは無い。この男が子供に教育など施してはいけない。

 この男の思想がもし正しいと言うのなら、私は教師で無くても良い。


 五十鈴さんは咄嗟に私の腕を掴んで止めようとしてくれた。だが、私はそれをふりほどき、奴に向かって駆け出していた。

 車のヘッドライトが私の背を照らす。夜の世界が昼間の様に明るくなり、高山の顔が夜の闇から引きずり出された。


 驚き口を開け、手で顔を隠していた。今更私はコイツを許したりはしない。

 しかし、高山が恐れていたのは私では無かった。


 背後の車の走行音は、スピードの落とさず近づいてくる。

 奇妙に思い振り返ると、私の視界は真っ白に、この世の全てが消えてしまった様だった。


 その場で仰向けで転けてしまい、目を瞑って何とか視界を回復させる。

 ぼやけながらも何とか世界を取り戻した私の目が見たモノは、眼前を埋め尽くす巨大な車の顔だった。


 黒い中型のトラックのようだが、流れ聞こえる音楽は、何とも激しい英語の歌だった。

 数センチ。それが私と車との距離だった。


「探したぞ五十鈴、乗れ。あいつ事故った」

「カイトが!?」


 聞こえてきた会話は何とも物騒な話だった。

 カイトが事故った。

 それを聞いて、私は自分が今すべき事を判断した。


「あの、私も連れて行って下さい!」


 運転席の窓に手を掛け、私はその人に懇願した。


「は? お前誰よ」


 とても冷めた声だった。仕方ない事だ。私は渡世に関係する人たちからすれば部外者なのだから。


「お願いします、私は渡世の担任です」


 少しの沈黙の後、その人は低い声で「乗れ」と言ってくれた。

 急いで乗り込もうとした時、高山が大声を上げて車の前に立ち塞がっていた。


「橘先生! これって殺人教唆ですよね。だってそいつと知り合いだったら先生が唆さないとそんな事しませんよね! あんたが俺を憎む要因なんて山ほどあるんだから、証拠なんて勝手に出来上がる。出来損ないを使って卑怯な真似をした教師が、二度と教壇に立てると思わないでで下さいよ!」

「何だあれ」


 トラックの人は軽く舌打ちをすると、車から降りてきた。ドアにしがみついていた私は飛ばされ尻餅を付き、その人を見上げる形で視線を合わせた。

 女性だった。


 頭にタオルを巻き、汚れた作業着を見せつけ、腰には工具が幾つもぶら下がっていた。

 頭に巻いたタオルの隙間から見える髪は、ハッキリとしないが黒では無い事は確かだった。


 それに彫りの深い整った顔。女性は流暢な日本語を話す外国の方だった。


「アンナ、止めときなって」

「あんなのに言いたい放題させてたのか?」


 アンナと呼ばれた女性は、胸ポケットから煙草を取り出し、流れるような動作で口にくわえる。

 安物で無いと分かる金属音を響かせて、ライターの火を煙草へ移した。


 そして彼女の口から一番に出た言葉は「おいゴミ」だった。


「いつまでも壊れた猿の玩具みたいに騒ぐな」


 突然暴言を吐かれた高山は、自分にその言葉が向けられていると、直ぐには理解出来ていなかった。

 それが自分に向けられた言葉だと分かると、態らしくとため息を吐いて見せた。


「ゴミはお前らだろ? お前たちみたいな奴らとこの俺の言葉だったら、周りはどっちを信じると思う?」


 高山は応戦した。しかし、本気にはしていないのだろう。まだ彼の言葉には抑揚を付ける余裕があった。

 不必要に鼻に付く話し方で、自分が優位だと印象づけしたいのだろう。


 だが、アンナはそれ以上に挑発しなれていた。


「何だ。誰かの助けが無いと自分が正当だと確信が持てないのか? 周りの意見が無いと、お前は自分が正しいと言えないんだな。本当に自分が正しいと思ってるなら、今ここで説き伏せれば良いだけだろ。それを無駄に引き延ばすのは、自分で分かってるんだろ。言えよ、無能ですって」


 高山の顔が一瞬崩れる。しかし、直ぐに余裕を持たせた柔らかい笑みを見せた。 


「お前みたいなのと関わると、直ぐに暴力を振るうからな。大人は賢く物事を解決するんだ」

「お前が賢いって? 笑わせるな。悪いが暴力を振るうなんて考えは私は思いつかなかったなぁ。お前は何で直ぐにそう思ったんだ。殴られ慣れてるからか。虐められてたんだなぁ、可哀想に。人より有利じゃ無いと会話すらままならないんだろ。だから執拗に人を下に見ようとするんだ。中途半端に人を選んで、お前ら、みたいな奴ら、と自分で口にしないと怖くて仕方が無いんだろ。有能で無い自分を知っているから、選り好みして、下に見れる可能性がある奴としか関われないんだよお前は」


 アンナはケラケラと高山を一蹴した。

 相手の急所を的確に刺す様に、アンナは高山の性質を一瞬にして分析し、彼が何にコンプレックスをつつき回したのである。


 高山は唇を噛み、絞り出す様な声で「五月蠅い」と言った。

 アンナはそれを聞き逃さなかった。


 高山が言葉を発した側から鼻で笑い飛ばし、まだ吸いかけの煙草を彼に向かって指で弾いた。

 赤く燃える火が回転しながら、高山の顔面に向かって飛んで行く。


 高山が嗟にかわすと、アンナは彼の事をそのまま無視し、車に乗り込んだ。

 五十鈴さんも直ぐさま乗り込むと「先生も早く!」と急かされた。


 老体に鞭打ち、膝を労る余裕もない。

 すし詰めの車内に入り込むと、アンナは私がドアを閉めるよりも前に、車を全開で発進させた。


 前には高山と、彼に寄り添う木下がいた。

 車は速度を落としもせず、真っ直ぐ彼らに向かっていく。


 私は悪い男だ。

 一瞬でも、そのまま轢いてしまえと思ってしまったのだから。


 結果的に彼らは無事だったようだ。

 言い切らないのは車はそのまま走って行ってしまった為、彼らの安否については推測に過ぎないからである。


 目まぐるしい夜だった。

 この車がどこまで行くか分からない。


 しかし、もう決めたのだ。もう戻らない。

 やるべき事をやりきるしか、私にはもう無いのだ。

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