第9話 夜に住む子供達

 満点の星達は、百万ドルの夜景に負け、僅かな星と月だけが、夜の空を総ていた。

 人々は眠る事を拒否したかの様に、日の中以上に活気を見せた。


「本当にここなの?」

「間違いありません」


 大通りに面したお洒落なバー。都会にしては規模は小さいが、それでも田舎と比べると、中々の店構えである。

 紫のネオンが味を出し、道行く人たちに自分の名前を宣言していた。


 フォアギブと言う名のバーはその名の通り、この世の全てを許しているのか、何人であっても受け入れている様だった。


「見た目も何もかも違うんだけど」

「経年劣化ですね」


 冗談なのか本気なのか、五十鈴さんは全く動じていない。


 チラシで見た店の外観は、如何にも都会的な洒落たものだった。しかし、目の前にそびえ立つそれは、数年経っただけとは思えない変貌を遂げていたのだ。


 私は、これから何が起こるのか予想出来ないこの事態に、胸の鼓動を速めていた。


 店の壁はまるでアート作品の様に、スプレーで隙間無く落書きされている。

 店先にも、バーであるのも関わらず、何台もの車やバイクが縦横無尽に立ち並び、入りきれなかった車両は歩道を遮って停められていた。


 開放されたドアの向こうには、潰える事無く笑い声が飛び交い、そのついでと言わんばかりにガラスのボトルも飛び交っていた。

 そして車両と同じく、店に入れなかった客たちは、車のボンネットに腰を下ろして酒を浴びるように飲んでいるのだ。


「本当に渡世はここに?」

「はい。ここに居なかったら私も分かりません」


 店に向かう五十鈴さんの後ろを、私は付き人の様について行った。

 私たちの姿を客は目で追うが、視線を合わせられない私は自然に顔を俯けていた。


 だが、五十鈴さんは堂々たる姿勢で足を踏み入れ、彼女が店に入った途端、人が死んだような静けさが立ちこめた。

 この手の店に良くある、部外者への制裁だろうか。


 明らかに社会生活に適していない出で立ちの彼らは、二つしか無い目を贅沢に、全て私たちに向けていた。

 そしてその中から二人、夏でも寒そうな格好の女性たちが五十鈴さんの前に立ちふさがり、全く同時に飛びかかった。


「五十鈴姉さん、お久しぶりです!」


 女性たちは五十鈴さんの胸に頬をすり付け、彼女の来店を歓迎した。

 そして静けさが居座っていた店内は、先ほどの騒ぎが小鳥のさえずりとさえ思える程、けた違いの盛り上がりを見せたのだった。


「ちょっと、あんた達危ない」

「姉さんが全然顔見せてくれないのが悪いんですよ。今日はどうしたんですか。もしかして復帰ですか?」

「違うよ。家庭訪問に来たの」

「家庭訪問って、こんな場所にですか?」

「そ。カイトのね」


 五十鈴さんが私を見た。

 その視線を追った彼女たちも、当然私の姿を目にする。


 私は全く歓迎されていないようだった。


「あんたが、カイトの担任って? 何話すの。あぁ、退学する様に圧力でも掛けに来た?」

「私は只」

「只、何? 何を話すの。人の事数字と思ってるあんたらと話す事なんか無いんだけど」


 女性の一人が声を上げ、私の素性を店内に響き渡らせた。


「皆、こいつ教師だって!!」


 その瞬間、酒に酔った客達は、私の存在を否定する様に、罵詈雑言を浴びせてきたのだ。


 帰れゴミ!

 死ねカス! 

 お前らのどこが偉いんだ! 


 酒瓶にグラスに火の付いた煙草。手元にある物を彼らは私にぶつけて来た。

 そして坊主頭を染め上げた、腕に立派なタトゥーを入れている屈強な男が、私の肩を突き飛ばした。


「帰れよ、何しに来た。黙ってても金が貰えるんだから黙って帰れ。お前がカイトと何話す気?」

「だから私は、彼の私生活について話を」

「黙れよ、喋るな。お前ら好きだもんな、この言葉。自分の糞みたいな偏見を無理矢理聞かせるのがお前らの仕事だもんな? 保身しか頭に無い馬鹿が教育とか一丁前に語んな、消えろ」 


 男が私の胸元に手を掛けた時だった。彼の頭に手刀が振り下ろされたのだ。


 私は今日この場で誰か死んでしまうのではと本気で心配したのだが、男が振り返ってその犯人を確認すると、私から手を離し、ばつの悪い顔をしながらも引き下がって行った。


「ゴメンね。カイトの先生だって? 五十鈴から話し聞いてるよ」


 私を救ってくれたのは、タトゥーの男より頭一つ背の低い、至って普通の青年だった。

 ボロボロの革のジャケットに目が行くが、コレもお洒落の一つなのだろう。


「テツ、悪いね騒がして」

「いつもの事だろ。じゃあ先生、ちょっと奥に来て。ここじゃあまともに話なんか出来ない」


 テツと言う若者は私を店の奥へと誘う。

 彼は五十鈴さんとは旧知の仲のようだった。


 しかし、それが信用に値するとは言い難く、不安ながらも私は、背中に感じる冷たい視線よりはマシなんだろうと、意を決して不良の巣窟に飛び込んだのだった。

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