第6話 教師として、人として
「結論から言いますと、カイトは今日戻って来ません」
「……それは、初めに言って欲しかったですね」
五十鈴はフワフワとした言い方で「すみません」と言った。
結局意味の無くなった訪問に、私は酷く脱力した。
「渡世は一体何をしているんですか。今日の事は知っているんですよね?」
「どうでしょうかね。でも、知っていても結局来ないと思いますけど」
「五十鈴さんと渡世は、どんな関係なんですか?」
そう聞くと、五十鈴さんはニヤッと意地悪そうな顔を見せ、自分の髪を指でクルクルと巻き「ライバル」と意味深な言葉を吐いた。
どう言う意味なのか聞くと、また指摘されそうなので私はあえて聞かなかった。
「じゃあ、いつ頃帰ってきますか?」
「先生が先生をしていれば、会う事は無いと思いますよ」
「えー……よく分からないんですが」
「あの子は難しいんです。だから、丸裸にならないと無理ですね。先生が肩書きを振りまいて会おうとする内は、絶対に避けますね」
それでは永遠に家庭訪問は出来ないし、学校に来る事も無い。
一部の若者に良くある現象と言えばそれまでだが、それを放置して平気な顔をしていられる程、私は図太くは無い。
「失礼ですけど、ご両親は?」
「あの子の前でその話は絶対に止めて下さいね」
その言葉で詳しくまでは分からないが、家庭で何らかの問題がある事は分かった。
私にも会わない所を見ると、親に対してだけで無く、大人全般を信用してないのだろう。
こう言った生徒の事を学校では問題児と一括りにするが、私はその言葉が嫌いだった。
子供に問題があるのでは無い。その行動や言動に仮に問題があるのだとすれば、それは全て彼らの置かれている環境に問題があるのだ。
突然暴れ出す生徒、自分を売る生徒、酷い虐めを繰り返す生徒。
彼らの声を聞き、彼らの顔を見て、彼らと何度も向き合えば、彼らに何の問題も無い事が分かるのだ。
特に多かったのは虐めだった。都会の学校では数えるのも嫌なほど、その場面に出くわしたものだ。
虐められる側にも問題があると、他の教師は慣れたように見て見ぬ振りをしていたが、私はきちんと向き合おうとした。
いや、若い私は向き合おうとしていたのだ。
彼らの声を、当事者達の言葉を、意見を聞きたかった。
なのに、彼らの人生の問題なのに、邪魔するのはいつも大人だった。
彼らの人生を何故親が決めるのだ。何故高学歴で無ければ失敗した人生なのだ。
幾度も同じ事を繰り返し、同僚も「関わっても無駄だよ」と、とんでも無い言葉を平然と吐き捨てる。
私は、拗ねてしまったのだ。
そう、今の私は教師ですらなかった。私は国に食わせて貰っている公務員であり、決して教師などにはなっていない。
久しぶりの感情が、私を動かそうとしていたが、何年もあぐらをかいていた気持ちは、素直に立ち上がろうとはしなかった。
また無駄に終わるかも。もう面倒事はゴメンだ。
若いあの気持ちを、楽を覚え年老いた私が、悪魔の様に囁き続ける。
給料が変わらないのに、頑張っても無駄だ。どうせまた徒労に終わると。
直ぐに決断出来ない情けない私がここにいた。
損得に浸りすぎた人間は、もう感情で走り出す事は無いのだろうか。
「先生は、勉強って何だと思いますか?」
哲学の様な質問に、私は正しいとされる答えを返そうとした。
だが直ぐに、それを言ってしまえば、この感情がまた元の私に戻ってしまうと危惧し、何とも稚拙ながら、私は私なりの言い分を述べた。
「学ぶって言うのは、点数を競うものじゃ無いと思います。確かに、目に見える成果があれば、それを励みにより頑張れるとは思いますけど、それを只点数を稼ぐ為に行うのであれば、勉強とは呼べないと考えています。深く知りたい、もっと知識が欲しいと言う、純粋な知識欲が、学びたいと思える何かを見つけた時、それが始めて勉強になると思うんです。例えそれが運動でも、手品でも、極端に言えば犯罪紛いな事であっても、知りたいと思う事を追求すれば、それは全て勉強なのではないでしょうか」
我ながら、何と子供じみた意見なのだろうと、情けなく思っていたが、五十鈴さんはいつもの様に、私を貶しては来なかった。
形容し難い顔のまま、五十鈴さんは少し口を開けていた。
「こう、考えているんですけれど、何か間違っている所は……?」
「はい……。間違いだらけですね。そんな事では現代社会を生き残れませんし、人生とは競争です。他人を蹴落とす手段が点数ならば、それを求めて悪い訳がありません。最も簡単に最も効率的に人生を成功させる手段が学歴であり、それを決めるのが点数なのですから、勉強=点数と教えた方が宜しいと思います」
やっぱりかと、いつもの調子の五十鈴さんに私は自分の発言を恥ずかしく思った。
しかし「でも」と五十鈴さんは続けた。
「その先生の考えで、救われる生徒はいます。それは千人に一人かも知れませんけれど、先生に会えて良かったと思う生徒はいると思いますよ。子供っぽい感情だけの理論でも、それが本心なら、先生の言葉はずっと残るんです」
「そう言う、モノですか?」
「そう言うモノです。極論間違っていたって構わないんですよ、それが本心の言葉なら。子供は大人が思うほど馬鹿では無いんですから、本当に違うなら自分で改善出来ます。大切なのはマニュアルではありません」
五十鈴さんは立ち上がって、本棚から一枚のチラシを取り出し、私の前に置いた。
日付を見ると数年の前のモノであり、それは都会でオープンしたと宣伝するバーのチラシだった。
「これは何ですか?」
「ここですよ」
五十鈴さんはチラシを指で叩いた。
「渡世カイトはここにいます。先生が先生で無く、橘正志として会いに行くなら、私も同行します」
私はどうやら彼女の信用を少しは得たようだった。
しかし、都会まで出て行かなければならなくなった現実を前に「面倒だ」と今の私の言葉がまだちらつくのであった。
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