第32話 【月王寺アリルのレポート――6/20/01:37】
明かりを失った街を駆け抜けたあたしは、ひたすら彼の姿を探し求めた。
あの夢で見たのと似かよった光景。
前に進むたびに死体を乗り越えるはめになった。
たったひとりだったあたしではどうにもできなかったけれど、でも今回は少なくとも信頼に足りる仲間がいることが救いだ。
あとを一任したエンデバーが可能な限りのサポートはしてくれている。
『この連絡路を道なりに進んでください。
私が合図するまで逸れないように。
そうしないと、あなたが探し求める二式スカラまで最速でたどり着けませんので――』
そしてこんなふざけたタイミングであたしの視界に現れやがったのが、例の黒猫小悪魔風のアバター――自称ロータスだ。
「わーってるっての!
あんた、なんで急にナビしてくれる気になったのか知んないけどさ、ホントにこの先にスカラがいんでしょうねっ!」
この期に及んであたしを惑わせるつもりなら、こいつを信じた自分を心底恨むっきゃない。
だとしても、あたしをスカラと引き合わせたのもこいつだ。
本物のロータスなのか自称のニセモノなのかは知んないけど、ここまで追い詰められた状況じゃ大博打でも打つっきゃない。
救助活動を続ける生存者たちの姿や、駆けつけた準騎士たちが応戦する中をあたしは走り続けた。
そうしてあたしが彼を見つけられたころには、全てが次の段階に移り変わっていた。
何がトリガーだったのかまではわからない。
この不毛な殺しあいがきっとそうなのだろう。
何がどうあろうと、エッジワースがロータスの脆弱性をついて文字どおり〝バグらせた〟ってわけ。
殉教船団は、ロータスのテクノロジーによって成り立っている。
ロータスが願う必要最低限の秩序が保たれなくなれば、正常状態への〝揺り戻し〟が強行される。
夜闇が瞬時に中断されて、代わりに一面の白い世界が到来した。
――こんなのがエッジワースの言ってた〝バーチャルゲームのリセット〟現象なの?
でも、あたしはもう知ってしまったのだ、この世界の秘密のヒミツを。
居住区の商業エリア――モノレール駅前の立体交差広場で、ついに彼を見つけた。
「いた、スカラっ――――――!!」
空中歩道から飛び降りて、彼のそばに駆け寄ろうとしたけれど、それはできなかった。
二式スカラはへたりこんで地面に頭を垂れたまま、まるで意識がないみたいなありさまで。
その隣にはエンデバー――いや彼女と入れかわっていたスプートニカが、糸が切れた人形のように横たわっている。
「……スカラ……それに、スプートニカが……これ、なにがどうなってんの?」
地面に伏せたままのエンデバー/スプートニカの元に、視界にいたロータスの黒猫アバターが駆け寄っていく。
小さな猫の顔であたしに振り返って、爛々としたエメラルド色の瞳で訴えかけてくる。
『――まだ気付きませんの?
これ、私ですので。
人間は本当、形象だけで他己を認識しがちで困りものですわ』
こいつの言ってる意味はあたしにゃ皆目わからんが、とにかく
つまり――
「はあっ?!
あ、あんた、スプートニカの差し金かなんかだったの!
自分でロータスだ、つったのぜんぶ嘘だったのかよ!!」
――このっ、最初からあたしを騙してやがったな!
スプートニカが送りつけてきたアバターにまんまと誘導されてたってさ、あたしバカだし最悪じゃん。
『スプートニカへの苦情なら後回しにすることを提案しますの。
私はしょせん
あなたがこの世界にやって来た本当の目的とやら、今こそここで遂げるべきでは?』
そんなあたしたちに背を向け、ずっとうなだれたままの二式スカラ。
今すぐにでも彼の背中に飛び付きたかったのに、あたしにはまだそれはできなかった。
彼の前に、居住区全体を蝕みはじめていたあの黒いやつが、うずたかく積み上がりつつあったから。
あたしの夢に紛れこんできた彼の過去の記憶――それと同じ、絶望的に救いのない結末。
「……よく、がんばったよね。
キミはこうなるって知ってたのに、それでもたったひとりでいっぱい無茶して、なんとかしようとしてくれたんだね……」
でも、今はあの夢と一つだけ違う奇跡があるんだ。
「でもね、もうだいじょうぶだよ。
今はあたしがキミの隣にいるから。
たとえこの世界がキミを認めなかったとしても、あたしの英雄は大好きなキミなんだから」
悲しくて、つらくて、もう泣き出してしまいたいくらいの感情は、もう彼の思い出の中で枯らしてきたあたしだから。
だから彼の力ない背中をそっと抱きしめてあげる。
むかし泣き尽くした分だけ、彼の涙をぬぐい続けてあげる。
「――もう、おっそいじゃん月王寺アリル。
ぼくはお先にいっちゃうけど?」
力ない声に振り返れば、水剱キザナが壁によりかかっていた。
「水剱キザナ――ううん、今はエッジワースか。
でもあんた……そいつは……」
寄りかかっていたビルの外壁を染めている黒が、キザナの右半身にまで染み出ていた。
「ほんとにこんなのがバグなのかなあ……ああ、きもちわるいね……
…………これでぼくも本当のリアルワールドに帰れるのかなあ……
……ちゃんと帰りたいなあ……」
まるで暗闇に意思が宿って、ヒトに寄生しているかのようだ。
身動きできなくなったキザナのかたわらに、女の子のものらしい誰かの靴だけが置き去りにされていて。
あたしは目を背けながら、それでも気持ちを奮い立たせる。
この瞬間のためのあたしなんだって。
「うん、ホントに絶望的な結末だよね――――でも、戦おっか、スカラ。
キミがひとりぼっちの英雄としてこの世界の〈呪い〉を乗り越えるために、こうしてあたしが来てやったんだっ!」
寄り集まって、じょじょにカタチをなしていく黒い塊。
「
ついには車よりもデカくなったそいつが、闇色のボディを持った旧世界の戦車を象った。
「――放て我が摂理侵犯――……〈Epic interpretation of the world〉」
主観接続――同調――――ID13を通じて、キミの物語はすべてあたしのものになった。
キミを怖がらせ続けてきたあの〝呪い〟の正体――黒い〈
それでも今、キミは立ち上がる。
もう、立ち上がれる。
あたしを背に、瞳に光を取り戻して。
「…………ごめんね、アリル」
呪いによって抜け落ちてしまっていた二式スカラの意志に、今この瞬間だけあたしが火を入れる。
彼がこうあってほしいなんていうただの願望じゃなくて、昔のあたしのそばにいてくれたあのひと――本当の二式スカラをあたしが再演させてあげる。
「ん、どうしてキミが謝んの?」
「だって、きみをあそこに置き去りにしてきた」
「ま、そうだね。
でもどうにもなんなかったじゃん。
あたしが置いてかれる前提であれこれ段取りしてくれてたの、実はエンデバーとスプートニカだったり」
横たわるエンデバー/スプートニカのそばに佇む黒猫アバターが、尻尾を揺らめかせている。
きっとキミにあいつは見えていない、あたしだけの秘密のままかもだけど。
「うん、そっか。
エンデバーとスプートニカが助けてくれてたんだ」
足もとに横たわったままの、抜け殻になったエンデバーの身体。
エンデバーの魂は今どうなっているのかわからないけれど、それだってきっと、この世界の秘密のヒミツと関わっている。
「――まだ目が覚めていない気分なんだ。
でもね……
「へえ、よかったじゃん。
で、何を思いだせたのかあたしにも教えてみそ?」
「いや、それはナイショだけど。
まだ頭の中にもやがかかってる感覚だし――」
そんなあたしたちを邪魔するデカブツが、軋み音を上げてうすらデカい砲身を向けてきた。
「――あいつらがロータスの呪い――通称〈スワスティカ〉。
ロータスがもたらしたシンギュラリティ越えの揺り戻し現象らしいね。
ぼくたちがロータスから奇跡の恩恵を受けたぶん、スワスティカって呪いが奪っていくんだ」
回頭すると、地鳴りを上げ、路面を削り取りながら黒い戦車が後退をはじめる。
射程圏内にあたしとキミを収めるためらしくて、何とも律儀な〈呪い〉にちょっとおかしくなる。
「――そうやってぼくたちの世界は奪われ続けて、みんな悲劇を忘れたままロータスが元どおりに再生させてしまう。
これの繰り返しが何年続けられてるのかまでは、ぼくにも正直わからない。
でも、これはバーチャルゲームなんかじゃなくて、もっと凄惨なリアルだった。
彼は、本当に馬鹿をやった……」
戦車が踏み砕いた路面に、眼鏡のフレームが落ちていた。
エッジワースのものだ。
あいつも現出した呪い――スワスティカに飲みこまれてしまったのだろうか。
「でもさ、これまで前世界周期の記憶なんて継承されてこなかったはずなのに、きみだけどうして違うの?
それをぼくに思い出させてくれたなんて、きみっていったい何ものなの……」
キミとあたしはやっと再会できた――という雰囲気でもなかったらしくて。
そっか、残念――くやしいけれど、そうならそれで仕方ないや。
会えただけで御の字だもん。
「んーん、何でもないよ。
ま、ひとりぼっちの
殉教船団と命運をともにした人類は、使命を果たしやすくするために、替えがきく肉体を望んだ、ロータスに魂を預けたものたちだったらしい。
地球圏を離れてから一六〇三四年後の今――あたしたちの魂の記憶は今もずっと
人類の守護者たるロータスにとって、スワスティカの発現は目の上のたんこぶだった。
だから回避策をいくつか講じてきたみたいだけれど、これまでは何をどうやっても船団滅亡を回避できなかったというのが現実だ。
ロータスがあたしのID13に与えた本当の能力は、魂の記憶を継承させること。
連続性の損なわれたいくつもの世界周期で繰り返し再生し続けてきたキミ――二式スカラを、あたしだけがちゃんと覚えていられるってヒミツ。
「ちゃんとあたしを思い出してくれるまではさ、キミには教えてやんない。
んなことより、さっさと終わらせちゃおっか。
今回はさ、あたしって勝利の女神サマがいるもんね――ほら行ってこいっ!」
「うわっ――――と?!」
戸惑うキミの背中をスパンと引っぱたいてやる。
と同時に、適切なポジション取りを済ませたらしい戦車が砲口を向けてきて――――
「わかった、やるよアリル――――――――
ずん――――という爆音とともに巨体を鳴動させる戦車が視界に映りこんだ刹那に。
「――――放て我が摂理侵犯――……〈
反射的に起動させた西洋剣型の〈魔剣〉――ID0の摂理侵犯を発動させるキミ。
「
発動と同時に、主砲からの砲撃をID99の一刀にして弾き返してみせた。
戦車砲は鈍い悲鳴を上げて弾道を混乱させ、物理法則無視の回転ベクトルにすげ替えられて白化したビル群の狭間に転がっていく。
戦車の装甲が瞬時に打ち砕かれる。
それがID250とID4096のどちらの仕業だったのか、あたしにはもうどうでもよくなってきた。
一瞬でひしゃげた主砲もろともに、キミが〈魔剣〉を振りかざしただけでボディから真っ黒な内包物が飛び出てしまう。
漏れ出た呪いとともに、形を維持できなくなったスワスティカの黒が地面に降り積もっていく。
やがてそれは白い塩の塊みたいに色褪せて、都市を形づくる白と同じに戻った。
「――まだ全然終わってないよアリル。
スワスティカは、ロータスたったひとりだけになるまで、あらゆるすべてを滅ぼし続けるからこその〝呪い〟なんだ」
キミの言葉を証明するように、街の空を思わぬ轟音が横切った。
真っ黒な影を落として飛び去っていったのは、半月型の大きな翼にスクリューの付いた飛翔機械――おそらくは太古の宇宙船の類だ。
やはり黒に染まった機体で都市上空を旋回飛行しながら、砲弾型のデバイスをあちこちに投下していく。
爆撃――あたしたちが取り残された都市に、無数の爆煙が上がった。
それに遠巻きに聞こえていているのは、さっきのと同じ戦車のものだ。
それもひとつやふたつどころではない。
それでもキミは怯まない。
あたしの手を取って、絡め合わされた騎士紋同士が時間を分かち合う。
十五秒間。
無限に続き繰り返される、十五秒刻みの剣戟だ。
キミは戦い続ける。
たとえこの世界がキミを認めなかったとしても、こうやってひとりで戦い続けてきたんだ。
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