第21話 【二式スカラのレポート――6/15/11:12】

 張り裂けんばかりの歓声に飲みこまれた中央闘技場――そのステージ中心に立ったメルクリウス・スプートニカが、音声アナウンスを観客席側に轟かせる。


『――この決闘は、当院の騎士憲章に則ったものであるとスプートニカが認めたものであり、公式試合と同等のルールが原則として適用されるものと、ここに通告いたしますわ。

 また、この決闘の立会人も、スプートニカが務めさせていただきます』


 ふわふわと抑揚のない口調でそう告げると、ステージ中央のセンターラインに立ったスプートニカが、錫杖を掲げて観客の注目を促した。

 センターラインと表現されたステージ上を横断する白線は、実際は半透明の樹脂でできた壁で三次元的に両陣営を遮っている。

 そいつを眼前に、肩を並べて開幕を待つおれと月王寺アリル。

 そしてセンターライン対岸にて対峙する相手は、同じくスキンスーツを纏った夕神ユウヒと、長い真紅の髪をした女性――夕神さんのパートナーである夕神家所属騎士・ライカさんだ。

 長辺がちょうど二五メートルとなる長方形をしたステージ。

 騎士同士の決闘はこれまで様々な形式が生み出されてきたけれど、今回のルールならおれもよく知っている。


『――さあさ、今回の試合形式は〈制覇ドミネーション〉の二対二ダブルスにて執り行いましょう。

 ルールは単純明快。

 相手陣に十五秒間、立ち続けられれば勝利。

 あるいは相手騎士に攻めこまれたとしても自陣側でリングアウトさせれば一発逆転勝利――』


 スプートニカが簡潔に説明してくれたとおり、〈制覇〉は一種の陣取りゲームだ。

 この長方形のステージは、見方を変えれば正方形をした二つの陣営をセンターラインで分断したものだ。

 二人一組でペアを組んだ騎士が前衛と後衛に別れて、敵側の陣営まで攻め入る。

 そうなれば当然、敵側の応戦を食らうわけだが、十五秒間カウントされる間に膝を着かなければ相手陣の制覇達成、試合終了の合図が立会人スプートニカから下される。

 これら全てが騎士による〈魔剣〉行使を前提としたルールになっている。

 他にもリングアウトや二名が同時に相手陣に踏みこんだ場合なんかの細かいルールがあるけど、そのどれもが騎士魔堂院という組織が編み出した知恵の結晶――つまり、おれたち騎士が互いに不毛な血を流さないまま技術を高め、競い合うためのものだった。


『――今回のチーム編成は、青袖ブルー・ストライプが二式スカラ×月王寺アリルのペア、赤袖レッド・ストライプが夕神ユウヒ×玖堂くどうライカのペア。

 両者、開幕の合図より、互いに十五秒間のインターバルで健闘を称えあってくださいまし』


 スプートニカが錫杖型デバイスをシャンと打ちつけると、網膜下端末上の両陣営に十五秒ずつのカウントがスタンバイされる。

 同時に、両陣営の四名に、識別カラーである青と赤に対応したシンボル――通称〝袖章ストライプ〟が投影表示される。

 そしておさだまりのフレーズで告げられる、決闘開始の合図。


『それでは――――〝騎士道に恥じぬ剣劇をここに〟――』


 シグナル音と同時にカウントスタート。

 立会人から〝互いに十五秒間のインターバルで健闘を称え合って〟と促されたのは、騎士同士の決闘に盛りこまれることが慣例となった、一種の精神戦だ。


「正式には初めましてぇ――なんて自己紹介すればいいかしら?

 夕神家当代の一番騎士、玖堂ライカですぅ」


 最初に口火を切ったのは、名乗ったとおりの玖堂ライカさんだった。

 センターライン越しに、おれに手を差し出してきた赤毛の女性。

 思わず顔を見てしまって、そんな口調と同様にほんわかとして戦意の抜けた視線を受けとめてしまう。

 けれども彼女の手は両陣営を分断する見えない壁に阻まれて、こつんと音を立てるにとどまった。

 おれは夕神さんのパートナーであるこの女性とは面識が薄かった。

 ネットで知り得た限りでは、玖堂ライカは剣技において夕神ユウヒを上回るほどの手練れであり、そして騎士の中でも相当に規範を重んじる堅物との噂だったのに――ちょっと拍子抜け?

 仕える夕神家より〈魔剣〉を賜り、夕神ユウヒを守る一振りの剣となった玖堂ライカ。

 夕神さんに近づく輩なんて片っ端からぶっ殺すぞ的なニュアンスだ。

 このひとからの柔和な視線を受けて、でも知らないひととどうコミュニケーションすればいいのやら、瞬時に辛くなってしまって。

 何か返事くらいしたほうがいいはずなのに、礼儀正しい言葉ひとつ出てこなくなる。


「……なるほどなるほど、最初の三〇秒はセンターラインを越えられないシステムって聞いてたけど、本当にカチカチな感触なのねぇ。

 じゃあ、このおしゃべりが終わった瞬間に二式スカラをズパン! と斬り捨てるのが最善策かなぁ――

 ――ね、ね、どう思うユウヒちゃん?」


 殺意のない口調のまま、さも残念そうに言いきると、そのか細い拳が恐るべき速さと打撃力をもって壁面に打ちつけられた。

 ――ああ、やっぱこのひとも見てくれがどうあれ騎士なんだ。

 この口調だってただの演技で、おれに対する挑発なのかも。

 もしかしたら夕神さんよりタチが悪いタイプなんじゃ?

 そもそも、おれはこの手の〝称え合い〟が苦手だった。

 ライカさんの積極的なアピールにも、視線を逸らし沈黙を貫くだけ。

 おれには雑念を拭い去るしか、最低限の自分を保つすべがない。

 戦意のスイッチが入ったまま無心でいないと、一瞬で〝あの呪い〟がおれをダメにしてしまうから。


「――やめなさいライカ。

 調子に乗っちゃいすぎです、自分自身に跳ね返ってきますよ?」


 夕神さんからのいさめる声が届いて、ようやく一歩身を引くライカさん。


「この試合の主旨は、言うなれば月王寺アリルさんに対する騎士魔堂院としての〝身体検査〟なのです。

 ライカがここで武勲を焦る必要などありません」


「はぁい、お嬢の仰せのままに。

 この決闘ではまことに残念ながら〈魔剣〉の授受は認められないのでしたものねぇ。

 まったく、運営側の怠慢ですが、わたくしにもその主旨は理解できますので」


 などと大人びた顔だちなのに、子どもみたいな不平の目線をスプートニカに送りつける。

 公平中立を願う騎士魔堂院側の配慮で、おれたちはこの決闘によって〈魔剣〉を失う可能性は取りのぞかれた。

 純粋にこのステージでアリルの証言――つまり月王寺アリルは〈魔剣〉ID13を保有する〈ロータスの騎士〉であることが事実だと証明できれば、この子は無罪放免となって査問委員会は閉会となるだろう。


「…………あの、二式君、今日こそ本気でかかってきてください。

 わたし、あのときみたいに手加減されてしまうのは本当に傷つくので……

 ……ちょっと泣きそうになってしまうので……」


 思わずハッとして顔を上げると、心の底から悲しそうな夕神さんと見つめ合う構図になってしまい、切り替えられたはずの意思がネガに逆戻りしかけた。

 そんなタイミングで、おれの右手にもうひとりの手が重ね合わせられる。

 アリルの熱を帯びた手のひら。

 細い指が絡められて、不安が瞬時に解きほぐされた気がした。


「ふぅん。てゆーことは、夕神ユウヒが後衛バックス、そっちのあんたが前衛フォワードってことね」


 品定めするようにライカさんを見すえると、アリルは不敵な顔でおれに向き直って、


「んじゃ、ここできっちり証明してやろっか、スカラ。

 キミがもう大丈夫だってこと」


 そして突き出された右手のこぶし。

 どうあれ、おれたちは互いに同じ右手に騎士紋を宿すもの同士だった。

 ただ隣り合い並び立つだけでは、決してペアリングできない〝いびつ〟な関係。

 だからこうやってちゃんと向き合わないと、パートナーとして成立しない関係。


「うん……もうやるしかなくなっちゃった。

 でも、あくまできみに自由になってもらうため、だからね」


「フフン――――素直じゃないキミもあたし好きだし、さあやっぞ!」


 完全に見透かされた力強い声とともに、持ち上げた互いの右拳が打ち合わされた。

 十五秒ずつ、計三〇秒のインターバル終了の通知と同時に、大歓声を割るような試合開始のシグナル音が鳴り響いた。

 透明な樹脂壁が瞬時に床下へと格納され、真っ先に躍り出たのは月王寺アリルだ。


「いっくよ――――――起動boot――行使権有効化activation――――ID13――……!」


 月王寺アリルの騎士紋から瞬く間に実体化する、二振りの〈魔剣〉ID13。

 連鎖反応として展開されるID13の固有戦闘装束。

 両手に携えられたレイピア型とマンゴーシュ型は、まだ十四歳の少女が振るう姿をとっても、観客たちのどよめきを誘う程度にはイリーガルな佇まいだ。

 黒のスキンスーツを覆う戦乙女のごとき純白の戦闘装束も、アリルの飾り立てたファッションに不思議と調和している。

 このステージ自体が観客席と隔離された構造になっているから、中継映像でしかない観客席側の反応はごく断片的だ。

 伊斗や水剱が今どんな顔で観戦しているのか知りたかったけれど、戦況に思考が遮られる。

 同じくアリルのID13起動に意識を奪われていたらしい玖堂ライカが、ようやく我に返り自らの〈魔剣〉を抜いた。


「えぇ、二刀流の〈魔剣〉なんてありなのぉ!? ――起動boot――行使権有効化activation――ID5!」


 相手陣営の集中力を揺さぶれたのは明らかだった。

 後衛の夕神ユウヒは思い出したかのように跳躍して後退し、前衛の背を守ることに徹するスタンスだ。

 前衛のライカも、未知数のID13を警戒して一歩距離を引き、まだ踏みこんでは来ない。

 その手にはバスタードソード型のID5。

 アリルと同じ西洋剣型でレンジも同じながら倍近い刃幅で、運動エネルギーで叩き潰すバスタードソードに対してレイピアは刺突型だ。

 真正面から斬り合うにはこちらの不利に見えた。


「気をつけなさいライカ! 一旦ボーダーラインまで後退して迎撃を。

 二式君がまだ動きを見せていません。

 敵陣のポジションが読めない……」


 二対一では不利だろうと判断したユウヒの指示で、ボーダーラインの境目まで後退するライカ。

 ボーダーラインとは、センターラインを中心に半径五メートルのオレンジ円で塗られた領域で、相手陣を制覇するにはこのラインを突破してから十五秒間持ちこたえるルールになっている。

 一方おれたち陣営は、事前の打ち合わせどおりの作戦に出た。

 ポジションに前衛も後衛もなく、おれとアリルが同軸に並んで攻めこむスタイル。

 両者の間を抜かれて自陣を攻めこまれることなんて、最初から考えないことにした。


「……いいよぉいいよぉ、なら月王寺ちゃんの〈魔剣〉が贋作レプリカでないって、みんなの前で証明してみせてねっ!」


 ライカが吼えると、刺突の構えでID5を向ける。

 重量級に見えるID5だが、ロータスの製造技術による〈魔剣〉に見てくれどおりの物理法則が働かないことを、騎士なら誰もが思い知っているはずだ。


「あっそ。

 騎士あんたらがこだわってる〝ホンモノ〟がどうとかってやつ、あたしにゃどうでもよすぎっ――」


 なのにアリルは自ら挑発に乗ったかのように、ライカに真正面からぶち当たっていった。

 二秒でボーダーライン境界上まで到達したアリルが、待ち受けていたライカと衝突する。

 互いの切っ先が触れ合う間合いで急制動――運動エネルギーを相殺するように腰を低く落としたアリルが、相手同様に刺突体勢で突きつけていたレイピア型に重ね合わせたマンゴーシュ型で、ライカのバスタードソード型を横弾きにする。


「にゃ、にぃっ――――?!」


 思いもよらなかった現象が起きて、虚を突かれたライカが上げた素っ頓狂な声。

 自分の三分の一程度しかない細身の短剣で、大柄なバスタードソードを軽々と弾き飛ばしたからだ。


「なるほど、そういう特殊効果付きの〈魔剣〉ねっ――月王寺ちゃん、生意気いえちゃうだけあるっ!」


 状況を理解して、即座に体勢を立てなおしてみせるライカ。

 急転した運動エネルギーと自重で持ち上げられてしまったID5を取り落とさないよう、軸足を組みかえて踏みとどまる。

 ID13のマンゴーシュ型は、攻撃用のレイピア型を補う防御剣だ。

 その役割のとおり殺傷能力が低い一方で、剣術における〝刃合わせバインド〟した対象物の運動エネルギーを相殺、状況に応じて反転させる特殊効果が付与されている。


「ほらほらラスト四秒よぅ――――!!」


 動揺を誘うつもりなのか、ライカが声を張り上げた。

 この間合いからだと、アリルはもう一撃が限界。

 頃合いか。

 焦ったおれはアリルの元へと向かう。

 二人とも〈魔剣〉のタイムリミットはほぼ同時のはずで――

 ――直後、閃光がほとばしった。

 チリチリと火花みたいな粒子エフェクトが舞い散って、アリルとライカの間を光り輝く多角形ポリゴンの壁が遮ってしまった。

 〝電影の魔女〟などと呼ばれてきた夕神ユウヒの幻術――彼女のID3の摂理侵犯〈電花鳥影風月ピクセルフィリア〉だけがなし得る、網膜下端末への強制介入能力だ。


「――スカラ、しくじっちゃった。

 もっかいペアリング!」


 飛びすさっておれと合流したアリル。

 騎士紋を再度かち合わせてID13のカウントリセット。

 〈電花鳥影風月ピクセルフィリア〉によって改ざんされた前方視界は、相手陣ボーダーラインの半円上をフラットな白で完ぺきに塗り替えていた。

 当然、幻影の向こう側を隠ぺいする目的だ。


「退いてアリル。

 あっちは幻影越しでも攻めてこれる――――――――……ID2」


 ここで一太刀目のID2を起動、カウントスタート十五秒。

 打刀型を水平に構え、白一色に欺まん化された向こうの相手を誘う。

 一撃必殺の〈揚羽残鞘アゲハザンショウ〉発動を警戒しない騎士はいないからだ。

 十四秒――狙いどおり、相手側が即座に動いた。

 幻影越しに突き刺されてきた切っ先はID5のもの。

 玖堂ライカがこちらの誘いに乗ってきた。


「残念、ID2それだけは使わせてあげないわよっ!」


 十三秒。

 滑りこませてきた剣先を受け、刃をこすり合わせたID5とID2が火花を散らせる。

 白い幻影に隠れることをやめ躍り出てきたライカが、体重と剣の重みを追い風にのしかかってくる。

 西洋剣型相手では、華奢な刃しか持ちあわせていないこっちが圧倒的に不利だった。


「でも二人がかりなら違うけどねっ!」


 十二秒。

 おれたちの懐に飛びこんできたのはアリルだ。

 小柄な体格を武器に、斬り結ばれた〈魔剣〉の橋を潜りざまに、マンゴーシュの一撃で弾き飛ばす――ただしフレンドリーファイア。

 アリルに吹っ飛ばされたのは何故なのかおれの方だった。

 辛うじて受け身はとれたものの、転がってリングアウトするスレスレまで追いやられてしまったおれ。


「ぐっ………………なんでおれになんだよアリルっ?!」


 辛うじてID2を手放さなくて済んだものの、膝立ちして前方を見やれば、


「ほんとに本物だとしたら、おもしろい〈魔剣〉ね。

 だけどモーションの隙も大きい!」


「ひゃっ――――――――?!」


 あのまま体勢を崩したせいでライカに蹴り上げられるアリルの姿が視界に入った。

 再びセンターライン側へと押し戻されるアリル。

 呻き声をもらして立ち上がれなくなっている。

 そもそも肉弾攻撃はマンゴーシュでカウンター不可能だ。

 さっきの一撃はおれを守るためだったのだとしても、あまりに捨て身すぎた。

 ――いや、これはそういうのじゃない。

 アリルは勝機を導いてくれたってことか?

 八秒。

 間合いに踏み入ってきたアリルにリソースを割かざるを得なかったのはライカも同じだ。

 既にユウヒとのペアリングを済ませていたとしても、ターンはおれに移っている。

 雑念を打ちはらい、思考を研ぎすませる。

 タイミングを外せば勝機を失うことになる。


「――放て我が摂理侵犯――……」


 時間軸のフレーム操作を意識下で構築――改ざん――再現。

 この切っ先は必ずあそこまで届く、そして玖堂ライカの〈魔剣〉を打ち負かせる結果だけを導き出す。

 〈揚羽残鞘アゲハザンショウ〉。

 おれの腕に鈍い感触がフィードバックした刹那に、消し飛んだ時間軸の果てに到達していた。

 宙を舞っていく銀の輝き――主人の手を離れたID5が、そのままステージを越えて観客席側スクリーンへと突き立った。


「あら…………らら…………わたくし、食らっちゃった??」


 破損したスクリーンが瞬いてブラックアウトする。

 光へと還ったID5が茫然としたライカの騎士紋へと吸い寄せられていく。

 八秒。

 玖堂ライカの手からID5を弾き落とすことに成功していたおれは、摂理侵犯を発動したペナルティで、すでにID2をタイムアウトさせていた。

 しまった――と今さら気付いても遅かった。

 ボーダーライン上の幻影がいつの間にか解けていて、後衛側で待ち構えていた夕神ユウヒの姿がかすかな電光に揺らいで。


起動boot――行使権有効化activation――――ID7――……」


 次なる〈魔剣〉を起動、カウントリセット十五秒。

 罠にかかったのはこっちも同じだ。

 あっちにいるユウヒが幻影にすり替えられている。

 十四秒。

 なら、本物の彼女は一体どこに。

 周囲を見渡して警戒する。

 アリルは負ったダメージから戦線復帰できていないのか、一時介入したスプートニカに保護されていた。

 すでに〈魔剣〉を失い行動不能に陥っていたライカも、ルールに従いステージ外へと撤収済みだ。

 十三秒。

 つまりは、いつの間にか二式スカラと夕神ユウヒの一騎打ちになっていたわけだ。

 ユウヒに残されたタイムリミットはいくつだ。

 互いにパートナーが戦線離脱してペアリング不可能な戦況。

 ID3ひとつきりのあっちが不利だけど、対してアリル不在のおれではまたあの夜の二の舞ではないのか。

 十二秒。

 夕神さんの術は、姿まで消せるわけじゃない。

 何か見落としている。

 でも、どうしてなのか思考がうまく働かなくなってきて。

 十一秒。

 おれは自分ひとりでは何ひとつやり遂げられないんじゃないか。

 そう思った瞬間、何か途轍もない違和感が溢れ出してきた。

 十秒。

 聞こえてくる歓声が不快だ。

 みんなおれを罵っている。

 気持ち悪い。

 やっぱりこれは〝呪い〟なんだ。

 抗わなきゃ、抗わなきゃ。

 九秒。

 見えない恐怖心が、ぞわぞわとした感触をもって迫りくる。

 夕神さんの姿を追い求める視界が暗くかすんで、ぐらぐらと揺れはじめている。

 ――やっぱり、まだ駄目だったんですか。

 八秒。

 そんな夕神さんの声が耳元を通りすぎていったかと思えば、おれはいつからそうしていたのか、ステージ上にへたりこんでいた。


 ――ごめんね二式君。今回はわたし、少々ズルをしてしまいました。


 ID7が床に転がっていて、すでにおれの手にないそれが砕け散ると騎士紋に戻ってくる。

 靴音が近づいてくる。

 次第に視界の薄膜が開けてきて、膝折ったおれを見下ろす影はきっと夕神さんのものだ。


 ――二式君がその……心が辛くなるスイッチを入れるための視覚効果を、〈電花鳥影風月ピクセルフィリア〉を使って密かに見せていたのです。

 二式君はステータス異常に陥っただけなので。

 汚いやりかたしちゃったのは、わたしのほうなので。


 何をそんなに悪びれているのだろう、夕神さんは。

 ようやく働き出した思考でやっと顔を上げられると、視線の先にいた彼女はちょっと泣きそうな笑顔で迎えてくれていて。


「月王寺さんのID13と、二式君の状況はおかげさまで把握できました。

 だからとりあえず、今回は降参してもらえるかな?

 気持ちのケアが必要ならわたし、いっぱいお手伝いしますので。

 騎士生命を賭けても二式君の復帰に協力したいので……」


 ――だからお願いです、ここまでで諦めてもらえませんか。


 そう夕神さんが宣告すると、ID3のヒリつく感触をおれの喉元へと突きつけてきた。


 …………おれは……負けたのか?


 そうだ、おれはあっさり負けたんだ。

 引きこもってろくに鍛練も積んでこなかったくせに、ずっと現実世界で戦い続けてきた夕神さんに少しでも勝てる気でいた自分が情けない。


〝――――――まだじゃんっ、スカラは負けてないっ!!〟


 刹那におれの意識を混濁から呼び覚ましてくれたのは、雷鳴めいたアリルの叫びだった。


「――放て我が摂理侵犯――……〈Epic interpretation of the world〉」


 ID13の摂理侵犯発動と同時に、因果がひとつになって反転する主観おれ主観あたし

 二式スカラの英雄譚が、〝あたし〟の意識のもとで完ぺきに物語られる。

 キミの心を蝕むあの〝呪いスワスティカ〟ってやつに、もう怯えることなんてないんだよ。

 〈魔剣〉を振るうのが怖いなら――勝利の先の未来に暗闇しかないんだとしても、そんなのどうだってよくなるくらいにあたしがキミの強さを全力で叫び続けるから。

 そして夕神ユウヒもキミの異変に気付いたみたい。

 でも、今さらもう遅いんだよね。


起動boot――行使権有効化activation――――ID11――……」


 キミの首に突きつけていたID3を、キミが瞬時に具象化したID11で跳ね上げて。

 いまのキミの瞳には、英雄としての意志が戻っている。

 ひとりじゃ心が折れそうなキミを、あたしが一緒に支えてあげてるから。

 何が起こったのか理解できないといった顔の夕神ユウヒ。

 甲高い金属音を上げてその手から取り上げられたID3の軌跡を追うこともなく、ただこの女は茫然とキミだけを見つめている。


「いったいなにが……二式…………くん……?!」


 こいつの瞳の奥にある感情が何なのかは、あたしはよく知らない。

 そう、キミだって同じ。

 まあなんでもいいや……へへ……ざま~みろっての。

 ――ゼロ秒、ID13タイムアウト。

 〈Epic interpretation of the world〉終幕。

 あたしは薄れゆく意識の中、この物語エピソードの結末を見届けている。

 想定外の反撃に戦意消失して、ステージにへたり込んでしまった夕神ユウヒ。

 そして同様に〈Epic interpretation of the world〉から解放されたキミが、急なことに慌てふためく夕神ユウヒの胸にスローモーションでくずおれていくその一部始終。


「きゃっ――――だ、だいじょうぶですか二式君っ!

 ライカ、はやく救護班を――――」


 もはや決闘の体をなさなくなって、ID3消滅を期に試合終了を宣言したスプートニカ。

 周りがわけのわからない歓声と慌ただしさに飲みこまれていく。


 ――ああ、うるさい場所だなあ。


 あたしはただ、ステージの冷たくて砂っぽい床にキスしたまま、深く深く眠りに落ちていくしかなくて――――――……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る