第15話 【二式スカラのレポート――6/15/07:10】

 ぎゅっと目蓋を閉じて深呼吸してから、おれの網膜下端末が見せてくれる仮想空間を見渡してみる。

 今回は便宜上用意した、チャットルーム風のごくシンプルな仮想空間だ。

 おれとおれ以外の参加者たちのアバターが時系列順に並んでいるだけの会話専用スペースで、会話以外に余計なアプローチのしようがないからこちらとしては安心なわけ。

〝拘束した被疑者の尋問にテキストチャットで挑むなんて斬新なアプローチですね誤主人様。

 エンデバーも衝撃のあまり人類に反逆を企ててしまいそうですよこの筋金入りのコミュ障が〟

 案の定、ベタ打ちテキストでエンデバーアイコンからの皮肉が返ってきた。


「…………。」


〝三点リーダーなんてタイプする意欲があるなら月王寺アリルを直接尋問してくださいませんか。

 尋問内容ならあらかじめエンデバーがまとめておいたでしょう。

 それともこのエンデバーが彼女の身柄を自由にしてよろしいと仰るなら体中の穴という穴を思う存分――〟


「未成年者相手にエンデバー流肉体言語やめてください。

 私は直接顔をあわせるのがとても苦手な体質なので、チャット形式で失礼します。

 よろしいですね月王寺さん?」


 そこまで音声入力したところで、テキストメッセージの代わりに、まだ耳慣れない月王寺アリルの声がスピーカー越しに聞こえてきた。


『――あーあ、あれから心が折れちゃったとは聞いてたけどさ……ウワサ以上のコミュ障っぷりだよね二式スカラ。

 悪いけどあたし、文字とかまどろっこしいから直接話させてもらうね』


 その声を耳にした途端、体がわかりやすいくらいの拒絶反応を示して椅子からずり落ちそうになった。

 おれが口で他人の上位に立つなんてどだい無理なんだ。

 まだ何か言い争ったわけでもないのに、彼女の〝圧〟に開口一番ですでに敗北してしまっている。

 とにかくこっちは平然を装うしかない。

 テキスト越しなら何とか会話も成立するはずだし。


「いいですか月王寺さん。昨夜の事件は、もう他の騎士家にも伝わる騒ぎにまで発展しています。

 午前中にも騎士魔堂院ワイズ・ドミニオンの査問委員会が召集されるでしょうから、言い分があるなら私にではなくその場でお願いします」


『……騎士魔堂院――〈魔剣〉使いたちの総本山だね。

 拘束した〝あたしというオモチャ〟を、そこでさっそくつるし上げちゃおうって魂胆か』


 そう、騎士魔堂院だ。

 殉教船団において〈魔剣〉と騎士を統括するあの同盟機関は、きっと月王寺アリルという異常事態イリーガルに公平かつ適切な裁定を下してくれることだろう。

 五大騎士家の当代騎士だけで内々に処理することになれば、この子はろくな目に遭わないだろう。

 だから、おれは最初から騎士魔堂院に判断を委ねるつもりでいた。


「申し訳ないですが、あなたが〈魔剣〉所持者であることがわかった以上、あなたの処遇は二式家の一存では決められません。

 なので、いまの私からは必要最低限の質問だけ。

 それにきちんと答えてもらえるなら、二式家は月王寺さんの権利と身の安全を保証します」


『…………うん、いいよ。

 今さら逃げも隠れもしないし、キミになら何だって答えたげる』


 やけにあっけらかんと返してくれるが、派手なメイクで誤魔化しているだけでこの子はどう見てもまだ子どもだ。

 元から肝が据わっているタイプなのか、それともうわべだけ強がっているだけなのか。

 それでもこの子はあまりに異例で、あまりに大きな問題を起こして、いま問い質したいことがあまりに多すぎた。

 ここでどんな情報を引き出せたところで、おれひとりの手にはあまるというのが本音だった。

 でもひとまず一区切りおいて、最優先で把握すべき事柄を問いかる。


「では、ひとつ教えてください。

 あなたの〈魔剣〉は、誰のために振るわれるものですか?」


 そう、〈魔剣〉だ。

 かのロータスがもたらしたはずのない十三番目――ID13なんて称した何かが、おれたちにとってどんな意味を持つのかをとにかく教えてほしくて。

 おれ自身、この月王寺アリルという謎の少女にどんな感情を抱けばよいものかわからなくなっていた。

 昨夜の一件で屋敷に踏み入ってきた赤の他人――というには無理がある超常的な体験を、おれ自身が味わわされたのはさすがに見すごせない。

 だから返答次第では、この子の身柄をこのまま騎士魔堂院に引き渡す必要だってあるだろう。

 それほどまでにおれの手にあまる月王寺アリルを、おれは一刻も早くここから追い出したかったのかもしれない。

 ――ん、なんかヘンだな。

 やけに返事が遅い気が……。

 そういえばアリルはずっと沈黙したままなのに気付けもしなくて。

 ようやく我に返れたのも、自室のドアがものすごい力でぶち破られる轟音と衝撃のおかげだった。


 出入り口側にもうもうと立ちこめる煙と粉塵――そこから姿を現したのは、あの〈魔剣〉ID13を二刀流に携えた月王寺アリルだった。

 法外なエネルギーを受けたドアの破断面が、鮮血めいた火花を散らしている。


「――ごめんだよスカラ。

 キミを口で説得する自信なんてあたしにゃなくてさ」


 ごめん程度じゃすまないんだぞ! そのドア、今朝直したばっかなのに!!

 ゆらり――とおれに間合いを詰めてくる彼女。

 寝間着を戦闘装束で覆っている様が何だか不格好だけど、未知の〈魔剣〉ID13のオーラを全身に帯びて、爛々と眼光を輝かせている。

 そうでなくても、おれは他人が怖い。

 息が詰まって悲鳴すら出てこなくなる。

 ただ椅子からみっともなく転げ落ちて、この子から後ずさることが唯一できた抵抗で。


「ふうん。マジのホントに他人がダメになっちゃってたんだね、二式スカラって。

 英雄候補だっていわれてたころのキミって、サイコーにカッコいいじゃんってあたしも最推ししてたんだけどさ……

 ……ちょいションボリ」


 一体いつの話を持ちだしてきたのか、さも勝手に期待して失望させられたみたいな低い声でおれを見下ろしてきて。

 当然、目を合わせるなんて無理で。

 例のケバケバしいメイクやヘアスタイルのせいで、威圧感もハンパないし。

 ――そうだ、エンデバーは!?

 この子を監視させていたはずのエンデバーを振りきってこられたのはどんなトリックだ。

 重なった〝まさか〟がメンタルに追い打ちをかけてきたところで、月王寺アリルの背後から小さな顔をひょっこりとのぞかせたのは――なんとエンデバーだ。

 しまった、例のハッキングがまだ生きていたのか。

 そんな焦りを覆すかのようにエンデバーはお決まりの意地悪な傍観者目線を送りつけてきて、だから安堵感と疑問が同時に押しよせる。


「…………これ……まさかエンデバーさんの手引きなの…………?」


 我ながら要点のまとまらない台詞になってしまったけれど、このふたりが結託した――つまりエンデバーの意思でこの子の好きにさせている展開としか思えなくて。

 エンデバーさんの裏切りもの!

 と、アリルの両手から二振りの〈魔剣〉が消滅して騎士紋に取りこまれていった。

 十五秒リミットを気にとめなかったことからして、月王寺アリルはここでおれと〈魔剣〉の奪い合いをするつもりはなかったらしい。


「いまのキミ、ホント情けない顔してんし。

 そりゃあ、今まで積み上げてきたみんなの支持を失っちゃっても当然だね」


 この子もやっぱり、無様なおれを非難したくて乗りこんできたのだろうか。

 かつてのおれに勝手に期待して、勝手に失望して去っていった多くの準騎士たちみたいに。


「あたしさ、かつての二式スカラに……キミにガチ恋してたんだ。

 ホントはダメなんだけどさ、あたしもまだまだガキだったから、いつかあのスカラとラブラブになれたらサイコーじゃん、って夢見ちゃってた。

 でもね、もうそんなことなんて、あたしにはどうでもよくなっちゃった」


 でも釈明する代わりに恐る恐る見上げたアリルの顔つきが――身がまえていた冷ややかなものとは全然、本当に全然違っていて。

 情けないやつだと失望した相手に、どうしてそんな柔らかい顔ができるの?


「――でも仕方ないよ。

 ほかのみんながどう思おうとさ、キミが辛かったのはホントだもん」


 どうしてなのか、そう優しく囁いてくれた彼女の表情はまるで――。


「スカラさ……ほんとつらかったよね……――」


「…………え………………えっ…………――――?!」


 自分の身に降りかかったものが何なのか、昨夜からわからないことずくめの繰り返しだ。


「だってあたし、あのとき言ったじゃん。

 あたしがキミを呪いから解き放つ鍵になる、って。

 たとえこの世界がキミを認めなかったとしても、あたしが…………って」


 伝えてくれたその台詞とどう関係があるのか、今おれは月王寺アリルの胸の中にいる。

 床にへたりこんだおれを抱きすくめてくる彼女の両手。

 それが背中に回されて、小さな体でぎゅっと支えられる。


 ――いやだ……怖い…………逃げ、なきゃ……。


 逃れられない、柔らかく暖かい感触に思考を根こそぎ奪われてしまって。

 他人の皮膚の感触、温もり、におい。

 いつからだったかずっと恐れてきたそんなものに、いま自分自身が絡めとられてしまっている。


「……だからね、あたしはキミの剣になる。

 あたしのID13はね、キミを守るためだけに振るわれる剣だってもうココロに決めちゃった」


 さっきのおれの問いかけに答えてくれたんだって、すぐにはわかってあげられなかった。


「そう、もう決めたんだ。あたしの決意はカンペキだ。

 うん、あたし絶対にやり遂げる!」


 長い髪の毛が垂れてくすぐってくる。

 まるで幼子をあやすかのように耳元で口ずさまれる甘い言葉に、いま抱くべき疑問も何もかも持っていかれてしまって。

 アリルの胸元からは、今はあの香水のにおいがしなくて。

 ただ、どこか懐かしい微熱が、おれの髪をそっと撫でてくる手のひらからも、怯えるおれをなだめるように深く染み渡ってくる。


「……ど、どどどどどうして?

 しょしょ初対面同士でしょ、いい意味わからない。

 なななんでおれで、なんで……きみ、なの…………?」


 二式スカラと月王寺アリルがこうなる理由も、きっかけも、どこにも見当たらなかったはずじゃないか。

 どう考えたって脈絡がないのに、この子の抱擁を自然と受け入れてしまった自分に言い訳を探しはじめてしまう。

 どこの誰なのかも知らないこの子が、こうしておれを抱きしめるメリットなんてあるものか。

 誘惑するつもりにしても年下すぎるけど、油断禁物。

 きっとおれを騙そうとしてるんだ、って。

 でも、そうじゃなくて。


「これ、さ……いつだったかのステージであたしがプレゼントしたげたの、キミ覚えてないっしょ?」


 ぽふ……って音がしそうな、いつだったかとおんなじパンチが胸元に届く。

 おれのペンダントのことを言ってるみたい。

 突然そんなことを言われて、ぐるぐる巡ってしまう記憶。

 よっぽどテンパった顔をしちゃってたのか、はにかんでいたアリルにも苦笑いが滲んでいて。


 ――ああ、そっか、そうだったかも。


 このペンダントって、いつだったか、おれのファンの女の子がくれたものだったんだ。

 そもそもこいつは代々二式家に伝わる家宝みたいな由縁があるものじゃなくて、人気急上昇中だった二式スカラに便乗して当時売り出された、ファン向けグッズのひとつだった! 今になってよみがえってくる黒歴史……つら……。


「……まあ、さ。 理屈なんて関係ないっしょ。

 二式スカラがどんだけ辛かったか、あたしにはなんかわかっちゃったんだ。

 あたしのID13はね、パートナーへの共感と感情移入を高める力、あるから」


 また抱きしめられてしまう。

 言ってることはよくわからないけど、されるがままになってしまうおれ。

 なんて彼女が答えようと、この抜け出しがたい安堵感はなんなんだ。

 まあ、女の子に抱きしめられたら幸せなのはリアルだ。

 抗いがたいリアルだ……。


「あのとき、キミの中にあるたくさんの気持ちが『うわーっ』って感じであたしの中に入ってきちゃってさ。

 そしたらさ、なんかもう……どうにもキミのことほっとけなくなっちゃった。

 だから安心しな。あたしはキミに嘘つかないし、もうキミを利用するつもりもないから」


 利用するつもりがない相手に、これほどの慈しみを向けられるひとが果たしているのだろうか。

 いてくれて、いいのだろうか。


「…………でも、きみの、目的……って。

 おれをもう一度、英雄にしたいんじゃなかったの?」


〝――あたしの目的はね、ロータスに会うこと。

 ロータスに会うために二式スカラを英雄にするの。

 キミの存在理由とも合致してるでしょ?〟


 あの時――ID13の術中にはまったおれへの言葉を思い出して、途端に我に返る。

 でもこの子、最初に現れたあの時よりも、なんだかさらに様子がヘンだった。

 体を武器にしておれを籠絡するつもりにしては、おれ自身を誘惑するどころか、妙に安心させてくれようとしているというか。


「ふふ、そんなの今はもうどうでもよくなっちゃったかな。

 あたしが間違ってたんだ。

 キミはもう英雄になんてならなくていいよ。

 今のありのままのキミでよかったんだって思えちゃった」


 などと、遮りがたい微笑みが注がれてきて、そのあまりの眩しさにどんどんおれの思考が馬鹿になっていく。


「えっ、じゃあなんで……」


 この子にこういう真似ができるのだとしても、そもそもあのエッジワースとの戦闘に割って入れる勇気と行動力のオバケなんだぞ。

 そんな子の気持ちをこんなにも簡単に切り替えさせてしまうほどの何かを、おれなんかのどこに見つけたのだろう。


「もう戦わなくたっていいじゃん、何もがんばらなくていいじゃん。

 〈魔剣〉を集めるなんてめんどくさいし、やめちゃおっか。

 よしよし、ロータスなんてほっといてさ、ずっとあたしに甘えてくれていいよ。

 キミが望むなら、あたしの癒やしをぜんぶあげる」


 ああ、一体おれの身に何が起こってるんだ。


「ほら……ぎゅ――って。ちゅ――って」


 ダメだちょっと待って、一体これは何のプレイだ。

 ギャルの母性にめっちゃ甘やかされるおれ、これが無償の愛アガペーってやつなのか。


「おれには……なにもない………………きみにも、なにも、あげられない…………」


「…………いいよ、それでいい。

 あたし、もうなにもいらない。

 …………ずっとこうしてよ?」


 言葉が途切れて、ただとくんとくんと訴えてくる鼓動と熱。

 もうこのまま籠絡されたって許されるんじゃないのか。

 一体誰が何をとがめるっていうんだ。

 この一回りは小さな女の子に抱きしめられて、優しい温もりに包まれて。

 あまりに無力すぎた自分に今だけは溺れることしかできなかったのだから。


「――――はいはいおしまーい。

 わざとらしいくらい感動的な場面のところ恐縮ですが、誤主人様には似合わなさすぎる茶番劇、これにてお・し・まーい」


 などとあからさまにドスをきかせた声色のエンデバーに無理やり引きはがされるまで、おれとアリルとが紡ぐ楽園は永遠に続くかに思えたのだった。

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