第12話 【二式スカラのレポート――6/14/21:31】

 スローモーションめいてくずおれていく月王寺アリルの姿を、おれはただ茫然と眺めることしかできなかった。

 ID13で自らを貫いて、震える膝をつくアリル。

 それでも最期の命を燃やして、もう片方のID13を立ち尽くすおれに向け続けている。

 こんな結末にぶち当たるはめになった理由も、理解も理性も何もかもが追い付かなくなって。

 ただ、一向に鮮血で染まらない彼女の傷口と、まだ刃をギラつかせているもう一振りのID13に、ぐちゃぐちゃにバグった意識がある結論へと収束をはじめる。


 ――………………これって……まさか摂理侵犯……なのか?


 未知の〈魔剣〉ID13から放たれた、未知の摂理侵犯。

 だとすればこの現象に辻褄が合う。

 そもそもロータスのもたらした異端技術のひとつである〈魔剣〉とは、物質世界の刃であると同時に、観念世界の刃でもあるのだから。

 でも、だとしても、敵ではなく自分自身を殺める摂理侵犯なんて聞いたこともない。

 そんな力を窮地で発動する目的は何だ。

 顔だちを苦悶に歪めていたアリルが、それでも不敵な笑みを取り繕っておれを射止める。


〝――ついにキミの精神ココロをロックオンしたよ二式スカラ。

 キミとこうして話せるの、あたしずっと待ってた〟


 その声が聞こえた途端、目の前が真っ白に染まった。

 周囲の何もかもが白光に塗りたくられて、遂に〝おれ〟と〝彼女〟だけが取り残されて。

 こいつは――ダメだ。

 ようやく事態が飲みこめてきた。

 最悪の展開だ。

 運よく窮地を救われたと勘違いしたおれは、月王寺アリルの術中にまんまと陥った。

 奇跡的な巡り合わせなんて幻想だったんだ。

 間抜けなおれは油断して、彼女に騙された。

 今おれを取り巻くこの白濁した世界は、ID13の摂理侵犯が見せている現象――おそらく観念世界の光景だろう。

 月王寺アリルは最初からおれをこの術に陥れることが目的で、エッジワースとの対決ごっこを一芝居打ったのだとしても不思議ではない。

 素性もわからない自称・騎士の介入、それも未知の〈魔剣〉を携えての登場。

 最初から彼女を疑って抵抗すべきだったのに、おれはなんて無様なんだ。


〝――……目を逸らさないで、あたしを見て……――〟


 耳をふさごうと頭の中まで鳴り響いてくるアリルの声に、わけもわからずにおれは拒絶しようと足掻く。

 でもこれが摂理侵犯なら、おれはもうこの子の術中だ、絶対に避けられない。


〝ID13の摂理侵犯――〈index of self-sacrifice〉はね、使い手であるお姫さまに契約の傷を刻むための刃だよ。

 そしてこの契約はね、もう片方の刃を突きつけられた王子さま――つまりキミをお姫さまにとっての英雄にさせてあげられる、素敵な魔法がこめられてる〟


 お姫様とか王子様とか、ぜんぜん意味わかんない。

 なんのギャグだよ、そこ笑うとこだよ!


〝へへっ……あたしだってそう思う。

 ロータスのってさ、騎士とか魔剣とか、いちいちおとぎ話めいてんだよね〟


 どうしておれがきみの英雄にならなきゃいけないの。

 だいたいきみはどこの誰なんだよ。

 突然現れておいて勝手に契約なんて結ばれても、こっちはただの巻き添えじゃないか。

 いい迷惑だ。


〝今さらキミの気持ちをどうこうしようだなんて、今やキミの一ファンでしかないあたしにゃ過ぎたモンだ。

 だからさ、どんだけヤダって泣き言ほざいても、あたしが今度こそキミを英雄にしてあげる。

 キミひとりじゃ無理だった英雄に、無理やりにでも、ね。

 脱ヒキコモリできて一石二鳥っしょ?〟


 無理やりって何だよ! 脱ヒキコモリしたくなくて、すでに逃げ出したくて泣いちゃいそうだよ! だから、きみは誰なんだよ。

 きみがエッジワースの仲間じゃないって証拠はあるのか。

 結局おれのこと利用したいだけなんだろ。

 なのに、どうしてきみはそんな――


〝――スカラがあたしを覚えてるかどうかなんて、もういいんだ〟


 どうして今そんな顔を送りつけてきたのかはわからない。

 でも、おれを陥れようとしているにしては、あまりに疲弊した表情を見せたアリル。

 ID13を握ったままの拳で、胸元にそっとパンチをくれる。

 こっちこそ油断してる場合じゃないのに、自然とそれを許してしまって。

 彼女が触れてきたのは、おれの胸板というか――普段から身につけている、二式家の家紋を象ったペンダントだ。

 おれがまだ元気だったころは、試合会場でレプリカまで販売されたこともあったかな。

 さっき一ファンとか言ってたし、そういう意味か。


〝――あたしはエッジワースとは違う。

 あたしの目的はね、ロータスに会うこと。

 ロータスに会うために二式スカラを英雄にするの。

 キミの存在理由とも合致してるでしょ?〟


 ここでロータスの名を持ち出されて、途端に我に返る自分がいて。

 だとしても、きみの英雄になる代償は何さ。

 っていうかきみの英雄になるって、どういう意味なんだよ。

 摂理侵犯は、要するにロータスの〝呪い〟の側面に由来する力だ。

 人智を越えた奇跡を実現せしめる摂理侵犯なら、それこそおれまでテロリストの操り人形に変えられてしまうんじゃないか――さっきエンデバーがされたみたいに。


〝――ロータスの力をなんていうなら、キミの手を英雄に届かせない――

 ――そんな呪いを打ち砕くために、このあたしとID13がこうしてキミと出会ったの〟


 うるさい。

 英雄、英雄って、おれは英雄なんてもううんざりなんだよ。

 何もかもが余計なお世話なんだよ。

 おれのことなんかほっといてくれ。

 もうここから出てってくれ。


〝――二式スカラにどんな辛いことがあったのか知ってる人間なんて、この世界に誰ひとりいないよ。

 でも、あたしならキミをわかってあげられる。

 たとえこの世界が英雄キミを認めなかったとしても、ずっと抱きしめていてあげる。

 あたしならそうしてあげられる――絶対に〟


 どうして見ず知らずのきみに、そこまでしてもらう必要があるの。

 無理なんだよ。

 誰に、どれほど祝福されたって。

 無理だったんだ。

 おれには無理だった。

 おれが頑張ることに意味なんてない。

 どんなに足掻こうと、この世界は救えない。

 そういう風にできてる。


〝――――――……そう。それこそが、キミの呪い〟


 だからあたしにも教えてよ、キミは心のなかに閉ざすその〝呪い〟ってやつの正体を。

 そう口ずさんだ彼女の契約――突きつけられたID13の切っ先を、このとき自然と受け入れてしまったのも単におれが弱かったからなのだろうか。

 胸に深々と剣の柄が届いて、限りなくゼロに近い距離で。

 力なく互いの身を寄せ合うように。

 不思議と痛みはなかった。

 受け入れてしまった瞬間、もう何もかもがどうでもよくなってしまっただけ。

 そしてきみに、何もかもが薄れゆくおれが自動的に告げる。


〝――――――…………スワス……ティカ……――〟


 そう、それがキミの呪いの名前なんだね。

 教えてくれてありがとう。

 あとは任せて、あたしがキミをその呪いから解き放つ鍵になるよ。




 踵で自分の体重を支える感覚が戻ったと同時に、全神経を研ぎ澄ませて索敵を再開させる。

 二式スカラ単騎を相手に包囲する擬人兵たち、十二体での実戦運用。

 不動の体勢のまま改造鎮圧銃を向けている。

 司令塔エッジワースの逃走時間を稼ぐための捨て駒だ。

 背後で膝を折り呼吸を乱しているのは月王寺アリル。

 そして眼光を失ったまま仁王立ちのメルクリウス・エンデバーも健在で、二式スカラ――つまり〝キミ〟は咄嗟に〝あたし〟を姫抱きにするとその場から跳躍して、いまだ危険因子に変わりない彼女から距離を開けた。

 ID13に備わるもうひとつの摂理侵犯――〈Epic interpretation of the world〉の発動によって、今この時点での二式スカラキミの主観世界が月王寺アリル――つまりこのあたしの意識下で客観視ハックされている。

 無理やりにでもキミを英雄にしてあげる――って伝えたのは、心が折れちゃったキミに代わって、このあたし自身がキミの物語を綴るって意味なんだ。

 戦闘は継続中――但し目的を果たすための時間的ロスはない。

 さっきの観念世界での体験は、せいぜいゼロの近似値でしかないのだから。

 さあ、この英雄譚の主導権が遂にあたしのものになった。

 いつかロータスの元へとたどり着くその日まで、二式スカラはあたしの剣として物語の先陣を切っていくことになる。

 エッジワースを追跡する必要はない。

 時間稼ぎ用に残された十体を倒せばミッションクリア。

 このステージはあたしの能力のいいデモンストレーションになる、目の前の障害を排除するために全力を注げ。

 開戦の火蓋が切られたのは、エッジワースの位置情報が屋敷から消えたのと同時だ。

 やはり来た――擬人兵からの一斉掃射。

 その銃弾の雨を縫うようにして迫り来たエンデバーを、キミは容赦ない一撃で蹴り飛ばしてのける。


起動boot――行使権有効化activation――――ID7――……」


 十五秒。

 あたしチョイスでブートさせた〈魔剣〉ID7は、ショートレンジだが攻防ハイブリッドの万能型だ。

 操り人形にすぎないエンデバーは動きが単調で、かたや擬人兵たちはエンデバーを攻撃対象から外す設定にしてるはず。

 ここで同士討ちになっちゃ、エッジワース逃走の時間稼ぎ役になんないもの。

 十四秒。

 〈魔剣〉補正でさらなるブーストがかかるキミの神経系。

 全方位から浴びせられる強化ポリカーボネート弾は、電子仕掛けであるあまりゆらぎのない完璧な射角で、かつ規則的に放たれる。

 十三秒。

 それらをID7で正確無比に切り弾いていくキミは、その中で唯一の不確定要素であるエンデバーの肉弾攻撃だけを注視している。

 家族同然の相手から向けられる殺意に動揺するだけだったあのキミが、今はあたしの主観で塗り替えたことで躊躇いなく攻撃を受けかわしていく。

 あたしの英雄にはもう恐れなんてない。

 十秒。

 あらかじめ用意されたかのような弾幕の切れ目を好機に、キミは一気に擬人兵の一体へと間合いを詰め、容赦なくID7の刃で斬り伏せた。

 呆気なく裂ける複合素材仕立ての迷彩服越しに、砕ける人工骨の感触がフィードバックしてくる。

 〈魔剣〉相手にここまでの耐久性を見せるとは、エッジワースの対・騎士戦術はあながち誤りじゃなかったってことか。

 八秒。

 真円状に隊列を組んでいた擬人兵たちの懐へと飛びこんだ結果、彼らの攻撃アルゴリズムに混乱が生じた。

 他の擬人兵が友軍誤射フレンドリーファイアを回避するプログラムを逆手にとって、キミは薄い弾幕を切り抜けながら一体ずつ彼らを殲滅していく。

 でも、そろそろ肩慣らしはおしまいにしとかないとね。


「――放て我が摂理侵犯――……〈流転輪廻ルテンリンネ〉!」


 ID7の摂理侵犯――〈流転輪廻ルテンリンネ〉を発動させたキミは、光を灯した刃で流転する天体現象を宙に描くと、自身に迫り来るあらゆる害意を観念的に反転させた。

 スローモーションでキミを撃ち抜いたはずの弾丸が、瞬きした刹那に擬人兵たちの改造鎮圧銃を損壊させると同時に、放電現象によって通信基板までも焼き切っていた。

 司令塔との通信を無効化された彼らが次々に倒れていく。

 四秒。

 キミの〈流転輪廻ルテンリンネ〉によって崩していた体勢をリカバーしたエンデバーが、人工生命特有の薄気味悪いモーションで再び迫り来ると、無茶なタイミングで大ぶりの蹴りを仕掛けてきた。


起動boot――行使権有効化activation――――ID2――……」


 連続チェインブート、持ち替えたID2。

 あたしとのペアリングによるカウントリセット十五秒。

 キミを殺す命令で動かされているわけではないだろうエンデバーの挙動。

 その姿は見ていてあまりに痛々しくて、だからこれ以上このメルクリウスをエッジワースの好き勝手させるのはキミにとっても酷だよね。

 でもさ、今のキミに躊躇いなんてない。

 心の弱さを克服したキミだから、今ここで騎士たちの戦場に再び躍り出るの。


「……さあ、このあたしの前で乗り越えてみせなさい二式スカラ、キミをずっと縛り続けてきた呪いなんてブチ壊しちまえっ!」


 あたし自身の心の高ぶりは、そんな声にさえも出てしまって。

 そうだ、キミはこの戦いをきっかけに尊厳を取り戻す。

 今夜こそがロータスを目指す旅の第一歩。

 宇宙の果てに沈みゆく殉教船団で遂に幕開けた、〝十三基〟の〈魔剣〉を巡る英雄譚の。


「――放て我が摂理侵犯――……〈揚羽残鞘アゲハザンショウ――――」


 しなやかに湾曲したキミのID2の切っ先が、エンデバーという障害の喉頸を狙いすます。

 一撃で切り飛ばし、彼女の苦しみもろとも無効化する結果だけを導き出す――そのための摂理侵犯。

 〈揚羽残鞘アゲハザンショウ〉による時間軸のフレーム操作を意識下で構築――改ざん――再現。

 一瞬の死だけを研ぎすませてイメージする。

 そこでキミの戦争はハッピーエンドを迎えるんだ。

 なのに――――――


〝――――――そんなの絶対にだめだっ――――!!〟


 あたしの頭の中に鳴り響いたのは、つんざくようなキミの叫びだった。


 〝あたし〟の――ううん、〝おれ〟のなけなしの理性が、発動しかけていた〈揚羽残鞘アゲハザンショウ〉に辛うじて歯止めを掛ける。

 引き抜く寸前のトリガーをゼロに戻しきれなくて、勢いあまった刃が訓練場の壁を一閃に切り裂いてしまっていた。

 それからおれは――。


『……ああ…………マス……ター…………ご……しゅじん……さま……』


 網膜下端末を通じておれだけに聞こえてきていたのは、彼女の――エンデバーの悲鳴だ。


「ちょっマジ――――キミさ、どうやってあたしの摂理侵犯、振りほどいたの……」


 エンデバーを失うなんて嘘だ。

 彼女が呪いだなんて間違いだ。

 だからおれは、悪いけどきみを――月王寺アリルを拒むしか道はなくて。

 おれは起動していたID2を騎士紋に戻すと、その隙に掴みかかってきたエンデバーを全身で受け止めた。


「ばかっ、ナニ考えてんの二式スカラ――――?!」


 おれを床に組み敷くと両脚で羽交い締めにして、再び彼女の小さな手が首根を締めてくる。

 人間性も何もあったものじゃない獣じみた攻撃で、なのにエンデバーの無機質な瞳越しにちゃんと伝わってきて。


『…………たす……けて、………………

 …………けて……やだ……マ…………スタ…………』


 だからそれでもおれは、再び途切れゆく意識のさなかで、ただエンデバーの頬に触れ、あの真っ白で綺麗な髪を撫でつづけて――――――――

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