第4話 【二式スカラのレポート――06/14/20:52】

『――――――二式君っ、まだお部屋にいるよね? ちゃんといてくれますよねっ!』


 うわっ――と声が出て、自分の声にびっくりして飛び起きてしまった。

 思いもよらないタイミングで女の子に囁かれたせい。

 心臓、爆発しそう。


『わたし、夕神ですっ。

 プライベートスペースなのにごめんね、ちょー緊急時なのでっ!』


 積み上がったレトロゲーム山の頂上に降り立ったのは、まさに天使――榛色ヘーゼルの髪を肩口でまっすぐ切りそろえた顔見知りの娘――夕神ユウヒだった。

 しかも今度ばかりはアバター抜きのリアル夕神さん。

 しかもしかも、なんてお格好なの。

 さすがに実体じゃなくて網膜下端末越しの投影映像だけど、他人にさらけ出すにはあまりにリラックスしすぎなショートパンツのルームウェア姿なのもあって、こっちはテンパって呻き声くらいしか出てこなくて。

 なにがなんだかわかんないけど、きわどい。

 元々おれたち船団の人間は、こうして生まれながらに電子的なネットワークでつながりあっている。

 網膜に埋め込まれた網膜下端末なんてその筆頭。

 ただ、こっちは部屋自体が外部から見られないようにカメラとか細工してあるから、当然ながら夕神さん、とても直視しがたいその美貌を無防備にさまよわせてしまっていて。


『…………お部屋のカメラを切っていても、二式君の存在くらいわたしに筒抜けですからね。

 〝夕神は電影の魔女〟だなんてさんざん悪口言われてきたけど、今回ばかりは自分の電戦スキルに感謝!』


 えっ、おれの存在を把握してるってどういうことなの? 当然だけど夕神さんは、ここからうんと離れた場所にいる。

 ただ騎士界でも〝電影の魔女〟なんて呼ばれてきた夕神さんは、この手のバーチャル情報を戦闘に織りまぜて眩惑するタイプの騎士だ。

 それだけに、ありあまるその電子戦術スキルを駆使すれば――おれの部屋にある電子機器をハックするくらいなんでもないのかも。

 半透明な夕神さんが、おれの目線からはちょっと際どい位置で両脚を落ち着きなさそうにバタバタさせている。

 そのおみ足もスタイルどおりの超スレンダー。

 夕神さんは、ご覧のとおり味方がいないおれにとって貴重な――〝同僚〟だ。

 夕神ユウヒは当代騎士として夕神家を率いてきたし、誰とでも分け隔てなく接することができる人格者でもあって。

 それにとにかく顔がよくて、どこか近寄りがたさもある高貴さと人懐っこさを併せ持つ、完璧を凝縮した美女の完全体だ――つまり〈魔剣〉の保有数くらいしか取り柄のないおれとは何もかもが対等じゃない相手ってこと。

 そんな天使で女神なユウヒ様が、積み上がったガラクタの頂上からおれを睥睨してあらせられる。


『…………ああもうそうじゃなくてっ、感謝とかふざけてる状況と違うぞわたし!

 き、緊急事態なの理解してますから!

 二式君が聞いてくれてる前提でお話、続けますからね?』


 虚空とコミュニケーションを試み続けるリアル夕神さん。

 でも、今のおれには相づちを打つことすらできなかった。

 たとえ形だけでも彼女の実像がすぐそばに在るだけで、心臓のあたりがキュッとなって。

 彼女になんて応えても、こんな関係を一瞬でぶち壊してしまうのが今のおれだろうって。


『さっきの緊急召集――わたし、ちゃんと反対票を投じましたからね!

 あんなの絶対に数の暴挙です!

 ぐぬぬっ……水剱キザナめ、あとで絶対に鉄拳制裁食らわせてやる……勝手な都合で欠席したくせに、二式君に露払い役を押しつけやがった他家の皆さんも糞野郎だ――』


 いつも通りの、生真面目で無邪気な夕神さんの態度。

 そんなでも必至に言葉を選んでくれて涙が出そうだけど、おれにとっては未来のないやり取り。


『――あんな不当採決なのに、五大騎士家の総意としてエッジワース側に通達されてしまいました……わたし、認めてませんからね。

 だってエッジワースは船団共通の敵じゃない。

 五家が手を取りあって立ち向かうべき悪なのに、対抗勢力の蹴落とし合いに利用するだなんて!

 …………思い出しただけで腹立ってきた……くそ――』


 夕神さんってば、言ってる途中で冷静な口調が怪しくなりはじめて。


『――くくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそっあのクソどもが――――ッ!!』


 テンションが危険水域に差しかかった直後、彼女の投影映像が暴れ出したかと思えばガシャンと何かを破壊する音が鳴り響いて、映像もろとも消失してしまう。

 船団史上初のテロリスト――エッジワースから五大騎士家に向けた宣戦布告。

 それがこうして二式スカラとの前面衝突にまんまと誘導されたのは、水剱家をはじめとする他家の作為にあるって夕神さんは訴えてくれてるんだ。

 エッジワースとの抗争でおれが消耗するか最悪死ぬかすれば、他の騎士家が嬉しがるだろう。

 いまだにこの引きこもりが独占し続ける六基の〈魔剣〉は、連中にとって喉から手が出るほど欲しいだろうから。

 いまは騎士家間で一種の紳士協定が交わされているから、騎士家間の武力抗争――つまりは暴力的手段で〈魔剣〉を奪い合う事態は発生しなくなった。

 だから騎士同士の決闘は〝決闘試合〟なんていうスポーツ方式に転化された一方、ステージの外では今回みたいな策略上等ってのが現実ってわけ。

 しばらくして夕神さんの、顔をひどく紅潮させて申し訳なさそうな映像が戻ってきた。


『――に、二式くん、申し訳ないです、み、みっともない姿をお見せしてしまい、まして……』


 それにしても夕神ユウヒは不思議な女性だ。

 騎士家を背負う当代騎士とあって、オンのときは表情が読めなくて、しゃべり方ひとつとっても冷淡に見えがちで。

 かと思えばオフで屈託なく破顔することもあるし、今なんてこんな感じで、距離感がかき乱されることばかりで。

 ただ彼女のこんな無防備さにしても、上層階級育ちで警戒心がザルなだけだって知ってるから、ヘンに期待する気力が失せてしまうのがいつものおれで。


『――な、なのでっ……ゆ、夕神家は二式家と共闘する意思ですのでっ!

 たとえウチのみんなが駄目って言っても、わたしだけで二式君ちに急行しますからねっ!

 ひとりでも今すぐ急行しますのでっ!!』


 両手のひらを子どもっぽくパタパタと振って取り乱しつつ、彼女らしからぬ必至さで主張してくれたのは――つまりはおれの助っ人に来てくれるって言いたかったらしくて。


「…………え…………でも、ゆうな……さん、そ、それ……むり……だよ……………………」


 こんなか細い声じゃ聞こえやしないのに、あまりに驚かされたおれの口から飛び出てしまった独白。

 気持ちがすごく嬉しかったからとか、そんな雑念なんてこの際どうだっていい。

 夕神ユウヒがおれを助けに駆けつけるなんて不可能だ。

 だって、彼女がいま腰かけているだろう寝室――というか夕神家の屋敷自体が、ここから遠く遠く離れた場所にあるのだから。

 殉教船団の構成艦船のひとつ、大コロニー船――その二号艦に所在を置くのが、我が二式の邸宅だ。

 そして夕神家が構えるのは一号艦。

 互いの宇宙港からコロニー間を連絡船ゴンドラで乗り継いだとして、最低三時間はロスするわけで。

 間に合うはずがない。

 この瞬間にも屋敷を襲来するかもしれないんだぞ、想像を超えた電子戦術を駆使するあのエッジワースなら。

 それに夕神家が二式家に肩入れする行為自体、彼女の政治的な立場を不利にするんじゃないか。


『――……だからわたしの到着までなんとか持ちこたえ――――二式――く――………………』


 そんな予感が最悪のリアルを呼び起こしたみたいに、夕神さんの存在が目の前で掻き乱されていく様を茫然と見届けるはめになって。

 勝手に憧れてた夕神ユウヒだった声、姿をぐしゃぐしゃに侵蝕していく不正音声ノイズという不正画素ノイズ


「………………………………きた。

 ………………もう……どうでもいい、か………………」


 部屋の外で警報音アラートが唸りを上げているのにも意識が向いていなかった。

 屋敷の総合防衛システムが発動している旨を、網膜下端末が通知してくる。

 外敵の接近を感知して迎撃準備を開始した、と。

 エッジワースの襲来は想定をはるかに越えたスピードだ。

 まるで最初からおれをターゲットにしていたみたいに。

 当然か、二式スカラが五大騎士家においてどういう扱いかなんて、エッジワースも把握済みだろう。

 もう夕神さんに懺悔する時間すらおれには残されていない。


『――…………にし……き……く……ザ――ザザ――――――』


 なのに、おれを捜し求めるような夕神ユウヒが、まだ手探りで必死に訴えかけてくる。

 その左手薬指の付け根に刻印されている皮下侵蝕デバイス――騎士紋が、夕神ユウヒが偽りない騎士であることをその銀の輝きをもって証明している。

 おれに、その手を取ることはできない。

 立派で、圧倒的に正しいその輝きが、ついには掻き消されてしまう。


 そうして薄暗い寝室という現実に取り残されたおれ。

 無意識に指しだしてしまっていた手が空を切る。

 彼女と対等なもんか。

 耐えきれなくなって、自分の右薬指の騎士紋を覆い隠してしまって。

 たとえ間に合わなくても、本当は助けてもらいたかったくせに。

 おれは、罪悪感から彼女を追い返したかったのだろうか。

 残された最後の逃げ場所にすら、ずけずけと踏み入ってくるアラート。

 このままおれの世界が閉ざされてしまうのだとしても、もう何もかもどうでもいい気分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る