第7話 言葉の源

「……」

 男子達は戸惑った顔同士、見合わせた。

「む、難しいこと言われても、俺らに分かるわけねーべ」

 ふざけた口ぶりでそう言い残して、みんな離れていった。


 と、かような具合に、学校では周りから浮いてしまうことが結構多い不知火ハルカであったが、五年生になってからは話の合う友達も出来た。

 源怜香みなもとれいかといって、五年になって初めて同じクラスになったけれども、その名前は以前から時折聞いたことがあった。校外の作文コンクールで、源はしょっちゅう入賞していたのだ。四年の夏休みには小説を書き始めたとも聞く。それも、人が死ぬような推理小説だとか。

「あっ、では、絵が下手だから漫画をあきらめて、小説にしたというのではないんですね」

「もちろん。漫画も好きだけど、小説には小説のよさがある。そう感じたから、小説を選んだの」

 親しくなって最初の頃、源は堂々と述べたあと、小さな声で「絵は確かに下手だけどね」と付け加えた。

 学校で二人が交わす話の内容はだいたい小説関連が占めるが、それに次ぐのが言葉についての諸々である。

 不知火が男子達の言い間違いを思わず指摘してしまった日の放課後、教室でお喋りする二人の話題は、必然的にそのことになった。夏休みが近付いてきており、室内には他に誰もいない。町内会のお祭りに備えてか、どこかで太鼓を練習する音がどんどこどんと控え目に聞こえてくるくらいだった。

「『味わわせる』も『押しも押されもせぬ』も、小説を書くようになる前はきちんと覚えていなかったわ。意識してなかったというか」

「小説を書き始めたからと言って、間違いに気付くとは限らないと思うのですが……」

 源の話に首を傾げる不知火。源は鞄から帳面を出したあと、補足する。

「私って、手書きもするし、機械で打つのもするの。機械だと漢字にしてくれるでしょ。そのときに、『あじあわせる』だとおかしな変換になるし、『おしもおされぬ』だと誤りだよって注意が出る。だから気付けた」

「それなら小説を書こうとしなくても、いずれ気付きますね。大きくなるに従って、携帯端末やパソコンなどで文字を入力する機会は増えるばかりでしょうから」

「そうかもね。あ、でも音声入力になると、また違うみたい。勝手に修整してくれるのもあるらしいわよ」

「あら。それでは間違いに気付くチャンスがないではありませんか。技術の進歩もよし悪しだと痛感します」

「――そういえば、私が家で使っている、というか家族共用のパソコンでワープロを使っていたときのことなんだけれども、国の名前で『ベネズエラ』を入力しようとしたの。それなのに、片仮名にしてくれない。おかっしいなと思って、ようく考えてみて分かった。私、『べねぜえら』って仮名入力していたのよ」

「はい?」

「話し言葉だけでは聞き分けづらいよね、やっぱり」

 源はノートを開き、ページの隅に鉛筆を走らせた。

 不知火の方に向けられたノートには、「べねずえら」と「べねぜえら」が書いてあった。

「ああ、そういうことでしたか。言われてみると確かに、『ベネズエラ』は音声だけで聞くと、『べねぜえら』に似ていますね」

「耳での記憶だけを頼りに、『べねぜえら』って打ったから、変換されなかったってわけ。これなんか辞書で引かない限り、下手したら永遠に誤りに気付けないかも」

「永遠は大げさな気がしますが、なかなか気付かない恐れはありそう。源さんの話を聞いて、私も一つ、失敗を思い出しました」

「聞かせて。不知火さんの失敗は興味ある」

「源さんは推理小説を自ら書くほどだから、当然、ご存知でしょう。鉛筆とノート、拝借しても?」

 手で差し示しながら求めた不知火に、源は「もちろんいいわ」と答えて、鉛筆を渡す。

 不知火は、先程の「べねずえら」「べねぜら」の近くに、『黄金虫』と書いた。

「このタイトルの短編推理小説なのですが」

「もちろん知ってる。エドガー・アラン・ポーの書いた暗号ミステリよね」

「この題名、どう読みました?」

「え? 『こがねむし』だけど、違った?」

 瞬きの回数が増え、不安げになる源。不知火は大きくうなずいた。

「普通は『こがねむし』ですよね。私は最初、『おうごんちゅう』と読んでいしまいました」

「えっと、まさか、最初から大人向けの装丁の本で読もうとしたの? 私が読んだのは平仮名がほとんどだったよ」

「はい。辞書を引きながらでしたが、どうにか読めました。そんなことよりも、ポーのこの作品の読みは、『こがねむし』でも『おうごんちゅう』でもかまわないみたいなんです」

「あれ? そうだったっけ?」

「ミステリファンの方達は、『こがねむし』だと昆虫のイメージが強すぎてミステリっぽくないからというような理由で、『おうごんちゅう』と読みたい派の方が優勢なようですが、どちらも間違いではないとのことです」

「そうなんだぁ。最初に読んだときの印象が強いからかな、私は『こがねむし』だわ。うん? 不知火さんの話だと、どこも失敗してないけれども?」

「続きがあるんです。まさしく最初に読んだときの印象につながることなんですが。私はこの漢字――」

 ノートに書いた『黄金虫』を、鉛筆の先でちょんちょんとつつく。

「――を『おうごんちゅう』と読むものだと、半ば条件反射的に自動変換する頭になってしまったみたいで、『こがねむし』と読むべき場面でも、『おうごんちゅう』と言ってしまうんです」

「あはは。それは厄介な癖がついちゃったね」

「漢字のテストに出たらどうしようかと、今から心配でたまりません」

「そういうのなら、私もあったわ。色々ありすぎて、思い出せないくらい……あっ、『よくい』よ」

「『よくい』とは?」

 再度、首を傾げた不知火。その仕種がおかしかったらしく、源は唇の両端を上に向けるも笑いを堪えたようだった。

「折角だから考えてみてよ。私が何の漢字を読み間違えたのか」

「謎掛けみたいなものですね。面白い」

 この謎掛けを解くには、かなり試行錯誤を繰り返す必要がありそうだわと予感した不知火は、自分のノートと鉛筆を取り出そうとランドセルを手に取った。友達のノートを落書きみたいなもので汚すのは忍びない。

 と、そうしようとした不知火を源が止める。

「いいよ。私のを使ってくれて」

「ですが、色々書いて、だいぶ無駄になるのは確実……」

「いいんだってば。不知火さんの考える道筋って言うのが分かるかもしれない。その方が面白いなって」

「うーん、ではお言葉に甘えて、白いところを思い切りよく使いますよ?」

 不知火は鉛筆を構えると、ちょっとだけ考え、呟いた。

「先程の源さんのイントネーションから、多分、漢字二文字でそれぞれ『よく』と『い』と読めるんでしょう。『よ』と『くい』の可能性もゼロとはしませんが、後回しにするのが効率的なはず」

 そして書き出し始める。まず一文字で「よく」と読める漢字は……翌、欲、浴……意外と少ないようだ。

 一方の「い」は、逆に多すぎる。井、以、意、異、伊、医、委、衣、亥、居などなど、枚挙にいとまがない感じ。

(これらの組み合わせなのは確かだとして、よくい……意欲? 違うなぁ。そもそも、源さんが読み間違えたという漢字を、私が絶対に知っているという確証がないわけだし)

 そこまでもやもやと考えて、ふと、思い出した。

(さっき、源さんはいくつも似たような誤りをしたことがあるという意味のことを話していた。たくさんあってすぐには思い出せないほどだったのに、突然、『よくい』を思い出した様子……何かきっかけがあったのかも)

 記憶を呼び覚まそうと、軽く握った拳の親指側で、自分の眉間の辺りをこつこつ叩いた。そのリズムが、小さく轟く太鼓の音につられて、同じような拍子になった。

「――分かったかもしれません」

「ええ? 本気で言ってる?」

 半分笑いながら、それでも目をぱちくりさせて驚く源。

 不知火はノートを左手で抱えるように持って、相手からは見えないようにしてから、さらさらと単語を書き付けた。

 そして源に見せるために、ノートを反対に向ける。

「これではありませんか?」

「あっ、凄い。当たり!」

 源は手をぱちぱちと叩いてくれた。

 ノートに書いたのは『浴衣』の二文字。

「でもどうして分かったの? これじゃあ考える道筋なんて、分かんない。閃き?」

「いえいえ、違います。何をヒントにして思い付いたのか、源さんに当ててもらいたいところですが」

「それだと終わんないよ~」

「かもしれませんね。それじゃ、早速種明かしをします。先程、源さんが誤った読みを覚えてしまった漢字を思い出したときのことを考えてみたんです。いくつもある事例の中から、どうして『よくい』を思い出したのか。それは太鼓の音が聞こえていたからではないでしょうか」

「……そうかも。実は自覚してなかったんだけどさ」

 一瞬きょとんとなった源だが、じきに得心顔になり、両手を合わせた。

「太鼓の音が聞こえて、お祭りを連想し、そこから浴衣に辿り着いたのね、きっと」

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