第6話 言葉が壊死

 別に、嫌味な調子で言ったつもりは全然なかったのだけれども、相手が怒ってしまったものは仕方がない。

「来いっ、必殺・招龍拳を味あわせてやる!」

 クラスの男子四、五人ぐらいが、校庭の片隅でごっこ遊びをしていた。その台詞が耳に入って、不知火ハルカは思わず反射的に、

「味わわせる」

 と呟いていた。

 その声が意外と通ったらしくて、一番近くにいた男子が「ああ?」と反応を見せた。

「味あわせる、だろ?」

 聞いてきた、と言うよりも、間違っているのはおまえの方だろと言わんばかりの詰め寄り方をされ、不知火は上体を少し後ろに反らした。

「いえ、味わわせるです」

 その様子にただならぬ気配を感じたか、他の男子もごっこ遊びを中断し、「何だ?」「どうした?」と集まってきた。

「必殺技を『味あわせる』じゃなくて、『味わわせる』だって言うんだ、不知火……さんが」

 学校のルールで、呼び捨てはだめということになっている。そうであっても、つい呼び捨てしそうになる人は結構いる。

「え、嘘だー」

「いくら不知火さんの言うことでも、信じらんねえ」

「『見合わせる』とか言うし」

 反発の集中砲火に晒されたが、だからといって事実を曲げる訳には行かない。

「これで見て」

 持ち歩いているポケットサイズの国語辞典を取り出すと、男子達から受ける圧を押し返すように、前に突き出した。

「くれぐれも言っておきますが、『味わわせる』の項目なんてありませんから。『味わう』の用例を見てください」

 そしておよそ一分後。

「そっちが正しいのは認めるよっ」

 当たり前だが、不知火の完全勝利。それでも、食い下がる者はいる。日下三郎くさかさぶろう、きっかけとなった“味あわせてやる”発言をした男子だ。

「でも、テレビなんかでよく言うじゃん。言葉の乱れが問題になるたんびに、言葉は生き物だから変化していくのが当たり前だとか何とか。『味あわせる』もそういうのに含まれるんじゃないか」

「少なくとも今の時点では、含まれていないと思います。使用例としてまだ多数ではないでしょうし、純粋に文法の間違いから来る誤用ですから。これが別の――たとえば、『押しも押されぬ』なら、誤用が増えていると言えるかもしれない」

「誤用って、どこが? 『押しも押されぬ』で合ってるだろ」

「間違っています。『押しも押されもせぬ』です。もう一つ、ニュアンスの似た慣用句に、『押すに押されぬ』があって、これらを混同したことで生まれた誤用が『押しも押されぬ』だと言われています」

「そうなんだ……。でも、それってつまり、言葉が生き物だっていう見本みたいな話になるんじゃ?」

「『押しも押されぬ』では意味が分かりません。強いて言うなら『押すことと押されないこと』かな。『押しも押されもせぬ』なら、『押しもしないし、押されもしない』となり、この慣用句の意味――実力があって堂々としているという状態に通じます」

「だったら、どんな場合に誤用だった言葉が、正しいものと認められるんだよ?」

「だから、誤りは誤り。誤った言葉を用いる人が多数を占めれば、認められることもある、という程度の認識が妥当でしょう。

 そもそも私、思うんです。言葉は生き物とたとえられる通り、変化していって当然。でも、だからといってそれまでの言葉を無闇矢鱈と死に追いやっていいのかしら、って」


(少し続く)

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