第4話 言葉遊びで遊ばれる

 五年生になった不知火ハルカだったが、新学年早々に熱を出してしまった。

 動くのがひどく大義に感じるほどだったので、学校を休むことにする。家で大人しくしていると、午後からは体調が多少は上向いてきた。しかし、まだ起き上がれるほどではない。ベッドで横になり、布団を被って、読書をして時間を費やしている。

「ハルカ、起きてる?」

 ノックの音に、本を伏せるハルカ。母の声だ。ちょっと前に、すりおろしたリンゴとヨーグルトを運んでもらったばかり。何の用だろう。

「はい。何?」

「クラス委員長だっていう子が、お見舞いに来てくれてるわよ」

 ハルカの部屋は二階にあり、ドアを閉じていれば一階の物音はほとんど聞こえない。だから来訪者にも気付かなかった。

「……名前を言わないの?」

「クラスの代表で来ただけだから、ですって」

「直接お礼を言いたいから、上がってもらってほしいんだけど、いい?」

「私はかまわないけれども、ハルカはいいの、そんな格好を見られても」

「別に、恥ずかしい格好はしていないし、内藤君なら問題ない」

「内藤君ていうのか、なるほど。覚えておいた方がいいかしら」

「お母さん、早く呼んで」

 母を階下に追いやってから、ハルカは枕を背もたれ代わりになるよう位置を調節し、上体を起こした。耳を澄ませ、しばらく待っていると、とんとんとんとかすかな響きが伝わってくる。階段を上がってくる音に違いないけど、男子にしては随分と静かに思える。

 程なくして振動が止んだ。二度のノック音にハルカは「はい」と返事した。

「えっと、不知火さん? 僕だけど、開けていいのかな」

「“僕だけど”って、オレオレ詐欺じゃないのだから、名前を言ってください」

「同じクラスの内藤、です」

「どうぞ入って」

 ドアが開いた。ランドセルを背負い、手提げ鞄を持った内藤が、ややおずおずとした足取りで入って来た。学校での様子と比べると、ちょっぴり緊張気味のようだ。

「ドアは開けたまま、それとも閉める?」

「空気が冷たく感じるので閉めて」

「やれやれ。その調子なら、だいぶ元気みたいだね」

「身体は熱っぽくて、寒気を感じるのは朝も今も一緒なの」

 答えつつ、ハルカは自分が普段よりもお喋りになっていることに思い当たった。学校ではもうちょっと口数が少ないのだけれども、今日は半日寝たきりで、好きな本を好きなだけ読めるとは言え、退屈を覚え始めていたのかもしれない。

「お見舞いと言っても、宿題とノートの写しを届けに来たんだけどね。あとお知らせが一枚」

 手提げ鞄を広げ、中からプリント類とルーズリーフそれぞれ数枚を出してきた。

「机の上でいいかな」

「お願いします。あ、でも、何か特別に注意する事柄があるのでしたら、今すぐ聞かせて」

「特別な……ないと思う。お知らせは毎年恒例の春の遠足だし」

「そうですか。ありがとう……内藤君のお家、こっちの方だったかしら」

「方向は同じだよ。クラス委員長だから指名されたんだろうけど、別に苦にはなってない」

「……副委員長は? こういうとき、女子には女子が来るものと思っていましたけれど。山岡やまおかさんも休みだったとか?」

「いや。山岡さんはお稽古事で。実を言えば、他に女子何人かが手を挙げて立候補したんだけど、先生が却下した」

「どのような理由で」

「おまえらが行ったらお喋りで時間を潰して、治るものも治らなくなりそうだからだめ!だってさ」

「そうして代わりに来た内藤君と、こうして話し込んでいては、何の意味もないと」

 微笑した不知火に、内藤も「そういうこと」と同調した。

「じゃ、先生の期待に添うよう、さっさと帰るとしますか」

「待って。退屈し掛けていたところなの。学校で何かあったか、聞かせて」

「え、家では意外とわがままなんだね」

「今日は特別です。常にマイマザーというわけではありません」

「え? マイマザー?」

「“わがまま”を二文字ずつに分解して、無理矢理英語にした表現。知りません? かなり有名な言葉遊びで、マイファザーイズマイマザーって言うの」

「『私の父は私の母です』だと思わせて、『私の父はわがままです』ってわけか。なるほど、そういうのが好きなら、一つあったよ。今日の学校での出来事で」

「聞かせて」

「英語じゃないけど、言葉には二重の意味があるっていうのがよく分かる話。……一応、プライベートなことだから、名前は伏せる方がいいのかな」

「話の芯が分かれば何でもかまいません」

「じゃ……放課後のことだから、またあまり時間が経ってないな。クラスの女子が話しているのが、耳に入ってきたんだ。状況は、A子さんは新しいクラブを作りたくて、B子さんを誘っている。最初にA子さんが『奇術部を作りたい』と言ったら、B子さんは『記述部って何を書くクラブ?』って聞き返した」

 内藤は立て板に水とばかり、すらすらと語った。聞き手の不知火としては、すぐには飲み込めず、小首を傾げた。

 彼女の様子を見て察したか、内藤はランドセルからノートと筆入れを取り出すと、ノートの空いているところに鉛筆で「奇術」「記述」と書き付けた。

「これで分かる?」

「はいはい、分かりました。この二つの単語、単独ならイントネーションで区別できそうだけど、後ろに『部』を付けると差がなくなるのかな」

 そう言って不知火は、キジュツブ、キジュツブと口の中で繰り返し言ってみた。

 そこへ、内藤が「これにはまだ続きがある」と愉快そうに付け加えてきた。

「続きって、言葉遊びとしての?」

「うん、そうなると思うよ。A子さんはB子さんの勘違いを打ち消して、こう説明する。『その記述じゃなくて、マジックの奇術だよ』って。これを聞いたB子さん、『マジックって、やっぱり書くものじゃないの』と反応した」

「あはは。そっかあ、二段構えで被るのね。奇術と記述する、マジックとマジックペン」

「そこまでしか聞かなかったんだけど、多分、B子さんは分かっていてわざととぼけたみたいだった。少なくとも、マジックペンのところは」

「分かった上でそのやり取りができるのでしたら、A子さんとB子さんは息ぴったりね。――あ、同音異義語で『いき』って結構複雑だと思わない?」

「『いき』? さっき言ったのは呼吸の『息』だよね。他には……息を合わせるは同じか。ああ、『活きがいい』というのがあった。生活の活だ」

「まだあるわ。『意気に感じる』『心意気』と、『粋なはからい』」

「ふうん。何となく、意味が似通ってるような」

「内藤君もやっぱりそう思う?」

 布団から少し乗り出す不知火。内藤はちょっとびっくりしたみたいに、頭を引いた。

「う、うん。完全に同じってわけじゃないけれども、同じ線上にあってつながっているというか」

「でしょ。そうなのよね。多分、根っこが同じ言葉なんじゃないかなって気がするんだけれども、ちょっと調べたくらいじゃ判断がつかなくって」

 身振り手振りを交え、興奮してきた様子の不知火を前に、内藤は小さく息を吐いた。

「あんまり根を詰めて考えたら、熱がぶり返すんじゃないかな?」

「うう、それは嫌」

 布団を被り直し、横になる。一旦目を閉じたが、あることが頭に残って、すぐさまぱっちり開く。口調を戻して言ってみた。

「ついでに思い出した話の種があるんですけれど。一度、男子に聞いてみたかったんです」

「しょうがないな。最後だよ」

「聞いて、引かないでくださいね」」

「うん?」

「たとえば……宣伝のためのチラシを作って、町のお店に置いてもらえるよう頼みに行く場合を思い描いて」

「――思い描いた」

「お店の人にどんな風に言って頼む?」

「『このチラシを置いてもらえませんか』じゃないかな」

「そうではなくって……食べさせてとか、当たらせてとか、そういう表現にして欲しいんだけどな」

「最初から言ってくれなきゃ分からないよ。えっと、このチラシを置かさせて……あれ?」

「ふふ、今なんて言ったの? チラシを?」

「おか……」

 ※このときの内藤君、別の漢字変換が頭に浮かんで、離れなくなっていた。

 顔を真っ赤にして打ち消す。

「違う! これはえっと、そう、『さ入れ言葉』だっけ? あれだよ。必要ないのに『さ』を入れちゃうっていう誤り」

「はいそうです。引っ掛かってくれて嬉しい。正しくは?」

「『チラシを置かせてください』、だろ」

 軽く呼吸を乱しつつも、どうにか答えた内藤。

「まだ油断してはだめよ。方言とまで言っていいのか知らないのだけれど、『見せて』を『見して』、『眠らせて』を『眠らして』みたいに違う言い方をする場合があるわよね」

「う、うん。――分かった。もう続きは言わなくていいよ」

「『置かせて』をこれに当てはめるとどうなるでしょう?って言いたかったんですけど、気が付いたのならやめます」

「まったく……そんなこと考えてるとは、全然思わなかった」

「くれぐれも、引かないでくださいね。あくまでも言葉遊びの一環なのですから」

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