第3話 素語彙当て字
「この前、学校で夏目漱石をやったんだけどね」
御坊田育人がそう切り出して、続けようとするのを、不知火ハルカはストップを掛けた。
「あまりにも情報が足りてないよ。学校で、夏目漱石作品の劇をやったのか、偉人伝の朗読で夏目漱石役を演じたのか、それとも一番ありそうな国語の授業で夏目漱石作品を取り上げたのか。はっきり言ってくれなきゃ」
「ごめんごめん。ハルカちゃんにはかなわないな」
後頭部に片手をやる御坊田。
週末、親戚が集まって夜の食事をしたあと、御坊田家を不知火の一家が訪ねていた。御坊田の家は家電販売を営んでおり、閉店時の売り場スペースは子供らにとって、いい遊び場になっていた。
今は、マッサージ機能付きの椅子に座って、彼ら二人で話し込んでいる。
「三番目だ。国語の授業。ただし、作品を読むというよりは、昔の文豪の使った当て字がテーマだったんだけど」
「何それ、面白そう」
「漱石の『それから』に、馬に尻と書く単語が出て来るんだ。ちょっと待ってて」
話だけで説明するのがいちいち手間だと感じたか、御坊田は椅子を離れると、レジの近くの机から紙と鉛筆を持って戻って来た。
「“馬尻”と書いて、さて何という意味でしょうか」
「そのまんまではないんだよね。当て字なんだから」
少し考え、髪に手を当てるハルカ。
「もしかして、ポニーテール?」
「はは。クラスの大半がそう思ったよ。僕もその口だ」
「じゃあ……カランかな」
「え。どうしてカラン? どこからそういう発想をしたの」
「そんな反応するってことは、間違いなんだ……。確か馬は英語でホースでしょ? 同じ綴りじゃないと思うけど、ゴムホースのホースと掛けて、そのホースのお尻と言ったら、蛇口に差し込んである側だから。でも蛇口をわざわざ馬尻って言い換えるのは変だし、カランかなあって」
「ユニークだね。クラスでそんな発想したのはいなかったな。でも英語に拘っていたら、正解には辿り着けない」
「英語がだめということは、日本語? ば、ばしり、ばじり――バジルって夏目漱石が健在だった頃から日本にあったのかしら?」
「さあ? なさそうだけど、とりあえず正解ではないよ」
「うーん」
「ハルカちゃんは女の子だし、結構お上品なところがあるから無理かもな」
「う? つまりはその反対、下品であれば解けるって意味だよね。馬……じゃじゃ馬? それとも馬鹿?」
「一旦、馬から離れようか」
「じゃあ、尻。普通、尻っていうだけで下品と言えば下品なんだけど」
「脱線するけど、尻の上品な言い方って知ってる?」
「お尻、じゃないよね。えっと聞いた覚えあるのよ。どんな字を書くかまでは記憶してないけれども、おいど、かな」
「そうそれ。一応、関西方面の方言てことになってるけど、昔は全国区だったらしい」
「……バケツ?」
「いきなり正解出す? まあ当たりだけど」
「ふうん。バケツかあ。何か、馬とか尻とか全然関係ないのね。文豪だから、少しは元の意味を想像させる漢字を使うものと期待しちゃってた」
「はは、形無しだねえ。じゃ、漱石センセーのためにもう一つ、発音したらほぼ答なんで、最初から書くけど」
午房田は紙に印氣と書いた。
「これは何を表現してるでしょうか」
「発音が近いってことだから、インキ――インク?」
「早いな。簡単すぎたか」
「うん、バケツよりはずっと。ただ、印は書き記すとか印刷を連想させるから、インクのイメージがなくもないね。私は好きだわ」
「授業で習って初めて知ったんだけど、夏目漱石は当て字を多用したことで有名らしい。ロマンを浪漫としたのもそうだって」
「え、それ凄い。雰囲気あるよね、浪漫て」
「一方、現代では甘露栗と書いてマロンと読ませる……」
「栗だけでマロンなのに、甘露って。まあ分からなくもないけど」
「しかもこれ、女の子の名前」
「え。付けたいのなら片仮名でいいのに」
「否定はしないんだ? この手のいわゆるキラキラネームって、あんまり評判よくないけど」
「うーん、私も好きじゃないわ。ただ、割り切ってるところもある。いざとなったら名前、変えることができるよね、確か」
「そうだね。手続きは面倒だろうけど」
「それに、言葉は生き物だから変化して当たり前っていう人は多いのに、人名には目くじらを立てるのって、筋が通らない気がして」
「ははあ。そういう理屈か。まあ、世間一般がキラキラネームをよしとしないのは、読めない、ペット感覚で付けてる、といった理由が多いだろうな」
「中には、読めて、子供のためを思って真剣に付けたって言うのもきっとあるよね。即興だけど、天下を取って最高の世界を作って欲しいと願いを込めて、
明確な基準を持てないことで、居心地が悪く感じてしまう。
「感覚で判断するとしか言えないんじゃないか」
「ううーん、それでいいのかなあ。その内、
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