第2話 字誤の世界

 不知火ハルカは小学四年生にしては大人びていて、同性の同級生とちょっぴり合わないこともある。そのせいだけでもないのだけれど、クラスでは無口な女の子というキャラクターで通っている。

 国語の授業のときだった。

 漢字の読み書きのテストが行われ、終わってすぐに採点に入った。

 今ではこんな方法を採らないところもあると聞くけど、ハルカの通う学校では、隣のクラスメートと答案用紙を交換して、採点する場合がある。今回もそうだ。

「あの、不知火さん」

 先生が板書する正解を参考に、○×を付けていると、隣の男子、内藤ないとう君から困惑いっぱいの声がした。

「何でしょう?」

「ここ、二つも書いてあるんだけれど、これはどういう……」

「あ」

 言われて思い出した。

 “<はじめまして>、佐藤さん。わたしの<なまえ>は鈴木です”という文章の、<>の中を漢字で書けという問題なのだが、最初の括弧の解答欄にハルカは、『初めまして・始めまして』と二行に渡って書いてしまっていた。どちらかを消すつもりだったのに、忘れていたのだ。

「ごめんなさい。×にしておいて」

「うん。惜しいな、ここだけなのに」

 内藤君は赤ボールペンで跳ね印を付けながら言った。

 ハルカも採点し終わり、用紙を彼に返すと、そのときにさらに言われた。

「漢字、得意なのに、何で?」

「……習ったときは、初の方の『初めまして』だったというのは覚えていました」

「え? だったらなおさらわけが分からない」

「……話すと長くなるけれども、先生に怒られても知りませんよ」

「いいよ。今、先生は質問受付中みたいだから大丈夫」

 顎を振った内藤君。確かにその通りで、先生の机には何人かの児童が群がっている。

「『初めまして』を習った授業のあと、理屈では納得できていなくて、家で調べたんです。『お初にお目に掛かります』だから『初めまして』が正しい。それはいいとして、どうして『始めまして』はいけないのか。『これから友達付き合いを始めましょう』で『始めまして』という理屈は成り立たないのか」

「へえ、そんなこと考えてるんだ。僕もちょっとは考えたけど、先生の言うことだから疑問に思わなかった」

「私もそのつもりで理解し、記憶する気でしたが、家で調べてみてびっくり。昔の辞典や辞書には、『始めまして』が正しいとなっている物が意外と多いんだそうです」

「ほんと? 面白いな」

「私も同感で、自分で詳しく調べたくなったんですが、悔しいことにすでに調べた当時中学生の方がいらしたとかで、それならその人の調べた結果の文章を読んでからにしなくてはいけないと思い、探しているところでした」

「なるほどと言いたいところだけど、テストで答二つ書いた理由にはなってないような」

 内藤君は結構理詰めで聞いてきた。なお、彼は学年で一、二を争う優等生で、ついでに女子からの人気もおしなべて高い。単なるガリ勉じゃないってこと。

「理由は、すぐあとの問題にあります」

 ハルカは内藤君のテスト用紙の一点を指さした。

 読み取り問題の一つに、<初孫>があった。二通りの読みを書けというもの。

「ここに二通りとあるから、つられたってこと?」

「違います。『はじめまして』の正解が『初めまして』なら、こんなすぐ近くに『初』の字を含んだ問題文があるのはおかしい。これはもしかしたら『始めまして』と書いた方がいいのかなと変な風に考えてしまって……そしてこのざまです」

 ため息を吐きがっくりとうなだれてみせるハルカ。それを見ていた内藤君は、しばらく顎に片手を当てて考える様子。が、不意に立ち上がると、「テスト、もういっぺん貸して」とハルカの答案用紙を持って、先生の机に向かってしまった。

(わざわざ先生に言いに行くなんて)

 半分呆れながら様子を見守っていると、先生が椅子を離れ、ボードの前に立った。適宜板書しつつ、解説をスタートする。

「問題2の4だが、念のために説明の追加をしておくな。『はじめまして』は授業では『初めまして』だと教えたけれども、本当のところ、歴史的にというか、昔は開始の方の『始めまして』も使われていたんだ。だから『始めまして』も間違いとは言い切れないんだな。ただし、全国模試とか中学や高校といったよそのテストを受けるときは初の方を書く。今ではそちらが優勢だから」

「結局今のテストはどーなるの? 開始の方でも○にしていいの?」

 疑問の声が飛ぶ。

「今回だけ○にする。次からは、初の方に絞るからな」

 先生が言うと、クラス全体が少々湧いた、点数アップになる子が多いみたい。

「よかったね」

 戻って来た内藤君から、答案が返される。くだんの箇所の跳ね印は斜線で消され、大きめの赤丸が記されていた。

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