ことばのかたり録

小石原淳

第1話 返す言葉はある

 小学四年になる不知火しらぬいハルカは、テレビドラマを観ていて、ふと引っ掛かりを覚えた。


<お言葉ですが、アーモンド臭とはあの香ばしい香りではなくて>

<お言葉を返すようですが、アーモンド臭とはあの香ばしい香りではなくて>


 青酸系の毒物についてはさておき、「お言葉ですが」と「お言葉を返すようですが」の二通りの言い方があることに。

 調べてみたけれども、違いがよく分からない。むしろ、違いはないと言っていいかもしれない。

 調べた本によっては、「お言葉ですが」は「お言葉を返すようですが」の誤用から転じた、としているものもある。

「ねえねえ、御坊田ごぼたさん。どちらが正しいっていうのはないの?」

 御坊田育人いくとは、ハルカの親戚の学生で長期休暇のとき限定で勉強をみてくれる。

「どちらも通用する、でいいんじゃないかな」

 勉強から脱線する話に苦笑いを浮かべつつも、御坊田はまともに取り合った。

「でもまあ先に生まれた言葉を正しいとするのなら、想像だけで言うけど、多分、『お言葉を返すようですが』の方が先だろうね。『お言葉を返すようですが』なら意味はだいたい伝わってくるけれども、『お言葉ですが』は、予備知識なしにストレートに解釈したら、何を言われているのか分からない。だから、省略形と見なすのがすっきりするように思う」

「それは私も思った。何でもかんでも略すのが当然みたいな傾向があるから。ただ、別のことも考えてみたわ。聞いてくれる?」

「僕が聞かないと言ったって、君は聞かないでしょ」

 言葉遊び風の返しに、頬が緩む。

「『お言葉ですが』の方が先に生まれた表現だと仮定したら、どんな場合があるかなって考えたの」

「へえ。そんななさそうな仮説をありそうに仕立てるって?」

「うん。昔は今よりも言葉に対する感覚が鋭かったんじゃないかしら。だから『お言葉』と言うだけで、相手の言葉って分かるでしょ。相手を立てた上での」

「うん? それは現代でも同じ」

「それはそうだけど、意識は薄いでしょう? 昔の方がより敏感に感じ取っていたと」

「出だしから苦しいなあ。まあ、認めてあげるよ」

「敏感な昔の人は、『お言葉ですが』という言い回しだけで、お、何だこれは?とぎょっとしたと思うの。敬意を表す『お言葉』に『ですが』という否定的な表現が引っ付いているんだから、ただ事じゃない」

「……なるほど。一理ある」

「推し進めると、『お言葉ですが』っていうだけで、あなたの言葉、拝聴しましたが、それはちょっと違うんじゃないでしょうかというニュアンスを含んでいることは誰もが分かたのかも。だとしたら、『お言葉ですが』が先に生まれたんだけど、時代があとになるに従って、言葉に対する感度が鈍い人が増えてきた、あるいは言葉を新たに学ぶ人が増えてきた。そういう人達には『お言葉ですが』ではぴんと来ない。だから、もっと分かり易い言い方として『お言葉を返すようですが』が生まれ、広まった」

「ふうん、ちょっと面白い。学術的にどうこう言えるレベルじゃないけど、言葉についての考え方として面白い」

「よかった」

「こましゃくれた女の子に、口先で丸め込まれた気もするけどね」

「ひどいなあ。喜んでたのに」

 ハルカがふくれ面をすると、御坊田は「やめなさい」と笑いながら注意した。

「僕には判断する材料がないから。でも、そういう探究する感覚を身に付けているのは、いいことだよと、これぐらいは言える」

「たんきゅう? ちょっと待って調べるから」

 ハルカはポケットサイズの国語辞典を取り出し、該当する項目を探した。

 言葉に関して色々と興味を持っているおかげで、学齢にそぐわない難しい言葉を知っていることもあれば、簡単な言葉を知らない場合もあるのだ。

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