第37話

 その神は、ズヴィルボグアよりも、親近感のある見た目をしていた。いや、どちらにせよ人間からはかけ離れた姿をしていたけれども、イグというヘビの神の方が、まだ人間に近かった。


 あの、リンカロスのいた部屋の天井画そっくりだったというのもある。わたしやプリンちゃんなんか丸のみされてしまいそうなほどな大蛇。からだはアオダイショウのように深い緑色をしているが、その頭部には精悍な男の顔がある。


 男の鋭い目はヒトのそれと同じでありながら、それを超越した威厳いげんがあった。


 ズヴィルボグアが気圧けおされるほどの視線。そこに込められていたのは、自らを信奉しているものをおびやかす存在への確かな怒りであった。


 彼が視線をひとたび動かすだけで、白い蛇たちは、白く輝く三角形が刻みこまれた頭を振りあげ、肥満体へと突きたてる。冷たくゆるんだ肉体からは血は出ていない。


 ズヴィルボグアはからだを揺さぶり、翼を必死にはためかせ、群がってくるヘビたちを振りほどこうとした。


 だけども、ヘビはあまりに数が多かった。コンクリートに叩きつけられ、足のカギ爪に切り裂かれようとも、次から次へとやってくる。しまいにはその体はヘビに覆われ、白いぬいぐるみのようになった。


 そして、最後にはその動きは緩慢かんまんとなって、止まった。


 わたしたちは、ただ、見ていただけ。言葉を口にするのだってはばかられた。


 神々の戦いに口を出すなんてそんなことができるだろうか。そもそも、わたしたちの理解を超えていた。だからこそ、見ていることしかできなかった。


 白蛇は今もなお、倒れた神の上でうごめている。それをちらりと横目に、大蛇がわたしたちの前までやってくる。


 ズリズリという音は夢なんかじゃない。夢だというのにリアルだ。


 目の前で、イグは体を起こし、わたしたちを睥睨へいげいする。


 途端、弾かれたようにパフワダーがひれ伏した。わたしもそれにならう。恐怖はもちろんあったけれども、どちらかといえば、畏敬いけいの念の方が大きかった。


ヘビ人間むすこよ」


 その声はやわらかく、ヘビが発した言葉ではないように思われた。


 呼ばれたパフワダーは今や頭を地面にこすりつけるようにしていた。


「お前の働きは見ていた。裏切り者の手から、仮面を取りもどそうとしたこと。私のことを信仰しつづけたこと」


 パフワダーがははっと声を上げた。


 イグの目がこっちを向いた。わたしと、それからプリンちゃんの方を見て。


「おぬしらの働きも見ておった。その剣――」


 避雷針ひらいしんみたいに天へと突きあげっぱなしにしていたハクナギノツルギを、イグはとっくり眺めて。


「いつだったか、私が人間にさずけてやったうろこに似ておるな?」


 わたしはわからなかった。この剣は、ヴァクワク王からもらったものだし。


 イグは、器用にとぐろを巻いて、しっぽをわたしたちへ向けてくる。そのとんがった先端は、平べったく波打っていた。


 その尾が石畳を打つ。濃緑の鱗がバチンとはがれて、大地に突きささった。


 それは、色味こそあお色で違うし、文字も刻みこまれていなければさやもない。


 けれど、長さも形はハクナギノツルギといっしょだ


「なるほど。ご先祖様は蛇の神を信仰していたとヴァクワク王が言われていました」


 同時に、わたしは白蛇信仰のことを思いだした。ブライアンおじいちゃんが日本にやってきたのも、それを研究がきっかけだって聞いている。


 古来、日本ではヘビを神だとあがめていた。


 そして、古代の日本にどことなく似ているヴァクワク島もまたそうだった、というわけだ。


 イグはプリンちゃんの言葉に頷いて。


「確かにそのような覚えがある。あやつらは、今もなお私に対する信仰を途絶えさせていないようだな」


 神の目がギラリと光る。


 もし、途絶えていたらどうなったんだろう。


 あの白蛇に噛みつかれ、毒を流し込まれて、苦しみながら死に絶えることになったのかもしれない――そう考えるとゾッとした。


「息子を助けたこと、まことに感謝する。おぬしらの働きがあって、仮面を取りもどすことができた」


「いえ」


と、プリンちゃんが控えめに返事をした。


「あなたがいなければ、ワタシたちはあの邪神に……」


「おぬしらの働きがあったからこそだ。恩に報いるため――それに、あやつらには灸をすえなければならないと思っていたところなのだよ」


 イグが微笑む。


 その背後では、白蛇がようやってお、倒れたズヴィルボグアから離れていこうとする。星の彼方よりきた邪神は、すでに影も形もない。ヘビに捕食されたのか、あるいは星の彼方へと逃げてしまったのか。


 ヒトであるわたしにはわからなかった。

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