第35話

 その神は、親と同じようにヒキガエルのようなからだをでっぷりと引きずるようにしている。前足はなく、後ろ脚にはクレーンゲームのキャッチャーのような鋭いかぎづめが伸びていて、石畳に傷をつけている。


 肩からは、コウモリをほうふつとさせる翼がある。バサバサと揺れるたびに、突風が起きて、無事だった木をなぎ倒す。そして、その巨体は浮き上がった。


 なにより、ツァトゥグァと違うのは、顔だ。そこにあるべき顔はない。だけども、ヘビのような触覚が伸びていて、勤勉に動き回っている。


 生きたムチが床をなめたかと思えば、倒れ伏したヘビ人間をからめとり、貪るように食す。


 その姿は怠惰たいだなどではない、むしろ、暴食だ。


 食すのはヘビ人間だけではない。そこここにたまっている不定形生物――落とし子もまたその対象になる。


 触手によって器用に持ち上げられた落とし子は震える。そして、悪臭を放つ邪神のお腹の中へと消えていった。


 わたしとプリンちゃんは息を呑み、それを見ていた。あまりにも非現実的な光景だったし、なによりわたしたちは、この世界が夢であることを理解していたから、叫ばずにすんだ。


 だけど、敵とはいえ仲間を捕食されたパフワダーは違った。


 その口から、同類の死に対する叫びが轟いた途端。


 神様の頭から伸びる触覚のようなものが、ピンと伸びた。わたしたちがいる建物の方へと。


 触手だけではない、太陽を覆い隠す雲のような巨大な羽根をはためかせ、神がこっちへ飛んでくる。


 わたしは、一瞬悩んだ。


 建物の中で粘るか、あるいはこの街から一刻も早く逃げるのか。


 籠城ろうじょうするか、逃走するか。


 あんな巨大な化け物じみた神に、立てこもったって意味がない気がした。あのぶりんとふくらんだお腹でボディプレスされただけで、ありとあらゆるバリケードが突破され、建物はボキリと折られてしまいそう。


「逃げよう!」


 プリンちゃんは困惑していたけれども、走り出している。わたしは正気を失ったパフワダーを肩に抱えてそのあとを追いかけた。






 背後から、突きさすような視線が迫ってくる。


 あまりにも早い。夢の中だっていうのに、なんて速さだ。


「わたしたちも速くなれないの!?」


「そんな呪文しりませんっ」


 どたどたと、めくりあがった石畳の上を駆けていく。


 絶対に転べない。転んだらそれまでだ。だからこそ、血眼になってでっぱりを探して、それに足を取られないように走りつづける。


 追ってくる邪神は、風のように速いというわけではなさそうだ。それでも、かなり速いのは間違いなくて、いつかは追いつかれそう。


 道はまっすぐ伸びている。


「なんでこんな時に横道がないんだっ!」


「あれです」


 プリンちゃんが指をさす。400メートル先くらいに、路地への道が見える。


 背後をちらっと窺えば、ズヴィルボグアとの距離は50メートルほどに縮まっていた。ありとあらゆるものを煮詰めて腐敗ふはいさせたような悪臭が、背後から濁流だくりゅうのようにやってくるのを感じずにはいられない。


「マジでヤバいかも」


 わたしはハクナギノツルギに手をかける。いざとなったら、これで――。


 プリンちゃんが逃げるくらいの時間くらいは稼げるだろう。


 柄を握りしめ、わたしは立ち止まろうとした。


 でも、できなかった。追いかけてくるそいつを直視したくなかった。あの冒涜的な邪神の手にかかりたくなかった。


 なにより、死にたくなかった。


 死ねなかった。


 頭の中がフリーズする。恐怖というバグがよって、真っ白になって。


 ――わたしは、散乱したがれきに足を取られた。


 マズいとも思わず、ただ、礫に覆われた路面をゴロゴロと転がった。肩に抱えていたパフワダーもわきに転がっている。


 体を起こせば、そこに神がいる。


 頭から伸びる細い触手をビタンビタンとうち震わせながら、ばっさばっさと重量感のある飛翔を繰り広げる神。


 わたしの眼前に今まさにやってきて、神の触手がわたしめがけて飛んでくる。


 剣を構えることすら、できなかったわたしへと。

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