第30話

 その街の名前を、ヘビ人間たちは教えてくれなかった。そもそも口にするのも汚らわしいと思っているかのように。


 ちょっと小高い丘から街を眺めた感じや、立体映像の全体像を思いだしてみると、円形をしていて、なんだかローマみたい。


「ローマにいったことがあるのですか?」


「ううん。でも、おじいちゃんが大学にいるときに、研究しに行ったんだって」


 その時のことはいやってほど聞かされた。おじいちゃんが酔っぱらったときって、だいたいローマでの調査の日々しか話してくれないんだもん。もう耳にタコができちゃったよ。


「ちなみになにを?」


「地質を、特に火山の調査をしてたよ」


 そんな話をしながら、わたしたちは街を観察していた。


 円形の街は、別に大きなへいで覆われているとか、バリアが張られているわけでもなさそうだったから、入ること自体は簡単にできそう。


 街の中心から、街の外まで放射状に伸びる大通りがいくつもある。例えるなら、パリの凱旋門がいせんもんとそこから伸びるシャンゼリゼ通りをはじめとする無数の通りのような感じ。


 馬車がいくらでも駆けぬけていけそうな通りには、黒い不定形の液体がはいずりまわっている。


 それは、今までに見てきた化け物――ショゴスやムーンビーストとはまた違っている。


 その存在に、意志というものが存在するのかどうかわからなかった。


 地面から噴きだす間欠泉かんけつせん、あるいは片栗粉を溶かした水がスピーカーの上で跳ねているかのよう。


 そこには意志がなく、ただ、粘着質な液体が姿を変えているだけにしか見えない。


 だけど、わたしたちにはそう見えているだけなのかもしれない。わたしたちには理解できないかたちで、彼らは自分の信じる神に対して祈りをささげているようにも思われた。


 そんなアメーバみたいな生物が、道をドロドロっている。それだけだ、ほかに動いている生命体はいない。


「ヘビ人間はいない……?」


「想像通り、この暑さでは動けないらしい」


「でもあなたは動けてるよ」


「この日のために鍛えていたからな」


 ローブの下に隠されていたパフワダーの肉体がちらりと見える。そこには、いくつもの火傷の跡がのこっていた。


 なにをどうすればそんなことになるのかはわからないほどの火傷に、ゾッとした。


 パフワダーたちの並々ならぬ覚悟は、怖いくらいだ。


「どこから侵入するのですか」


「あそこだ」


 パフワダーが指さす先には小さな道路がある。街の外から、中ほどまで伸びていた。


「あの道をはじめとする細い道を通っていき、街の中央に位置する行政区の建物に侵入する」


「あの黒い化け物は?」


「邪神の落とし子だ。よほど近寄らなければ無害だろう。が、私たちにはわからない方法で意思疎通いしそつうをはかっている可能性はある」


「バレてるかもしれないってことかあ」


「そのような知性があるとは思えませんけど」


「私もそう思う」


 わたしたちは、作戦会議がてら小休止を挟んだのちに、潜入作戦を開始した。






 街に入った途端に感じたのは、何ともいえない悪臭であった。


 それは街のいたるところからしみ出してきて、わたしたちをいぶしていく。


「なにこの臭い……鼻が曲がっちゃいそう」


「うっぷ」


「大丈夫?」


「平気だ。これからは臭いをかがないようにする」


 といったパフワダーは、それからというのも、舌をペロペロ出さなくなってしまった。たしか、ヘビって口の中に嗅覚きゅうかくつかさどる器官があるんだっけ?


 静かな嗚咽おえつをもらすヘビ人間を先頭に、わたしたちは、粘液が飛びはねる音だけがひびく街を歩いていく。


 幸いなことに、その細い通りにあの不定形の落とし子の姿はない。


 間近で街を見ていると、わたしたちのそれとあんまり変わらない。灰色の建物が、石畳の両側にぎっしり伸びている。建物だけだとヨーロッパのような感じがある。


 そのどれもが風化し、ボロボロになっていた。補修ほしゅうされていないし、そもそも手入れもされていないんじゃないだろうか。


 道路には、ゴミが散乱していた。びゅうと風が吹き、飛んできた麻袋あさぶくろはひどく汚れている。


 袋はくるくる転がっていったけれども、鼻がちぎれるほどの腐敗臭ふはいしゅうがした。


「ひどい……」


「臭いに敏感なのに掃除もしないのは妙ですね」


「神様を乗り越えたやつらは、あの神様と同じように眠りこけるようになった」


 パフワダーが指さす先には、立体映像で見たあのまがまがしい像がある。ツァトゥグァなる邪神をしたその像は、今にも動き出し、そのコウモリじみた尖った牙で噛みついてきそうに思われた。


惰眠だみんむさぼるようになり、父に対する祈りも忘れ、それどころか何もしなくなった」


「催眠効果でもあるのかな」


「さあ。そのような力があるとは聞いたことがありません」


「なんにせよ、『眠れるもの』がこの場にいないことを祈れ。もしくはいたとしても、眠っていることをな」


 そう言ったパフワダーの足が速くなる。自然、わたしたちも駆け足になった。




 さらに大きな通りに出ると、ついに落とし子が現れて、わたしたちは立ち止まった。


 数メートル先を、マグマのような流動体が、石畳の上に寝そべっている。それはボゴリボゴリと泡立ちながら、ちょっとずつ動いている。


「本当に大丈夫なんですか……?」


「信じるほかない」


 わたしたちは、その横を抜き足差し足で進んでいく。


 とてもじゃないけど、気が気じゃなかった。いつその落とし子とやらが本性を現し、襲いかかってくるのかわかったものじゃない。


 ぎゅっとハクナギノツルギを握りしめる。それだけで、萎えそうになる心が勇気づけられるような気がした。


 はたして、わたしたちは襲われなかった。想定通り、この落とし子たちは原始的な知性しかなく、相互にやり取りするということはないのかもしれない。


 あるとしたら、神様に対するひたむきな崇拝の念だけだろうか。


「どうしたのですか、みのり」


 気がつけば、わたしはじっとその粘液を見ていたみたい。プリンちゃんの声で、我に返った。


 そのときには何を考えていたかなんて覚えてなくて。


「なんでもない」


 先へ進んでしまっているプリンちゃんたちを追いかけた。

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