第28話

「というかですよ」


 と、自分の毛布の上に戻ったプリンちゃんが言った。


「みのりのおじいちゃんは、どんな人なんですか」


「なんで気になるの?」


「だって、あなたが夢の世界にやってきた原因かもしれない人ですよ。むしろ気にならないんですか」


 そう言われて、はじめて、わたしはおじいちゃんのことが気になってきた。いや、もとから何をしている人なのかわかっていなかったところはあるんだけど。


「前にも言ったけど、ミスカトニック大学の講師をやってて」


「それは聞きましたね」


「こっち――日本にやってきてからは、作家になって、色々な場所を見てまわってたよ。それから、古書とか古文書とか集めたり」


「どんなのを?」


「うーんと」


 わたしは思いだしてみる。あの蔵には、本屋か図書館かってくらい本が収納されていた。触れば粉になってしまいそうなものから、何の革で装丁そうていされているのかわからない革の本。


「『ヴォイニッチ手稿しゅこう』とか『サラゴサ手稿』とか」


「……どっちも奇書ですね」


「あとは、『ネクロノミコン』とか『黒の書』。あ、『黄衣の王』って戯曲ぎきょく本もあったっけ」


 わたしは、指折り数えながら、おじいちゃんが持っている本を言ってみた。といっても、もっとあるんだけど、正直よく覚えていない。


 返事がない。もう寝ちゃったんだろうか。


 プリンちゃんの方を見たら、あんぐり口を開けていた。


「わたし、へんなことを言っちゃった?」


「いや、あなたのおじいちゃんの持ってる本が、尋常じゃないものでしたから」


「そうなの? わたし知らないから、おしえてほしいなあ」


「教えられるようなことはほとんどありません。ワタシだって読んだことありません。知っているのは名前くらいのもので」


 プリンちゃんは興奮したように、身を乗りだした。その瞳は、満天の星空みたいにキラキラ輝いている。


「みのりのおじいちゃんには会ってみたいものです。可能なら、世に出回っていない本たちの解説を――」


「おじいちゃんはもう三年前に亡くなってるの……」


 わたしが言うと、洞窟どうくつ内がシンと静まりかえった。パチパチと木の枝がぜる音も遠ざかって、かわりに肌を切りさくような冷気が滑りこんできた。


「それは、ごめんなさい」


「むしろ謝るべきなのはわたしというか。わたしがそういう本を読んでたらよかったんだけど」


 期待していたプリンちゃんを、悲しませちゃって申し訳ない。


 わたしは、おじいちゃんが持っていた本を読んだことがないというわけではなかった。こっそり読んだのは、一度や二度ではない。


 ただ、理解できなかった。内容をまったく覚えていられなかったんだ。


 「娑蛾鎮魂歌シャガイ・レクイエム」という戯曲がある。十八世紀にイタリア人によってつくられたオペラを書き起こしたもので、日本では明治の名もなき小説家によって翻訳されたそうである。


 こどものときになんとはなしに読んだことはあるんだけど、まったく覚えていない。ただ、おじいちゃんにバレてこっぴどく怒られたのだけは記憶している。


「――そういうわけで、ぜんぜん覚えてないんだよねえ」


 って言ったら、プリンちゃんはまたしても唖然あぜんとしていた。まさしく開いた口がふさがらないって感じで。


「それ、ワタシが知ってる発禁本に似ています。なんでも頭の中から虫が飛びだしていったとされる方がつくった本で、あまりにも過激すぎる内容に、魔術的な仕掛けが施されているのではないか、と考えられるようになったとか」


「まったく覚えてないや」


「おぼえていない方が絶対いいです」


 それにしても、とプリンちゃんは言葉を続けて。


「みのりが、夢の世界へ来てしまったのも、わかる気がします」


「ええっどうして?」


「そんな魔導書に囲まれた場所にいたら、なにかしらにぶつかるのは自然というほかありませんから」


 むしろ、今まで超常現象に巻き込まれなかった方が不思議です、とプリンちゃんは言ったけれど、あんまり実感はわかなかった。

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