第26話

 洞窟は、大地の裂け目のような谷の底に存在していた。


 見上げれば、赤い空が広がっている。


「ここは?」


「東方の大地だ。ヒトはここを<禁じられた地>と呼んでいる」


「セレファイスの王様が立ち入りを禁じている場所ですか……」


 セレファイスというのは、ここから西方に存在する国だ。ヴァクワク島で見た地図には、ウルタールの近くだった覚えがある。


「どうして禁じられているの?」


「キケンな生物が多く生息しているからだ」


 パフワダーが天を指さす。見上げると、空を黒い影が駆けていった。わたしなんか丸のみにできそうなほど、大きなシルエットだった。


「おれも名前は知らない。だが、多くの同胞がやつらに食われた」


「……そんな中を旅しなければならないとは」


 不運ですね、とプリンちゃんが呟く。確かに不運だ。あの大渦メイルシュトロームから生き残ることができた反動なのかも。


 そういえば、あの時の傷はほとんどなくなっている。わたしたちが気絶している間に、ヘビ人間たちが手当てしたらしいけど、そのおかげに違いない。


 それで出発前に、リンカロスに感謝を伝えたら、


「怪我が治ってなくて、作戦が失敗に終わったら嫌じゃからな」


 と返ってきた。


 確かにその通りだった。数十秒前のほっこりした気持ちを返してほしかった。


 洞窟を出てすこし歩くと、粗末そまつな小屋があった。いや、壁は穴だらけで小屋というにはどこもかしこも穴だらけ。ボロボロだったけれども一応は屋根があって、その中にはロバがいた。


「こいつらに乗っていく」


「ロバでの旅ですか。ということは目的地はけっこう遠い?」


 プリンちゃんの問いに、パフワダーが頷いた。


 この世界においては、遠出の際は、ロバを使うらしい。


 ロバに荷物を手早く括りつけていく二人。わたしには、そんな西部劇チックなことは当然できないので――というかロバなんか触ったこともないよ――手際のいい二人の仕事を眺めていた。


 それが終わり、わたしたちはロバに乗る。


「そうですそうそう。はじめてなのにうまいですね」


「ウマなら乗ったことあるからね」


 昔、お母さんといっしょにウマで森の中を駆けまわったことを思いだす。最終的にはしないで追いかけまわされ、あげくにはお尻ぺんぺんされちゃったんだけど、そんな恥ずかしいことは、プリンちゃんには秘密だ。


 ロバはウマとそんなに変わらない。むしろゆったりとしていて、乗りやすい。


 なにより耳がかわいくて、癒される。ヘビ人間といっしょってことを忘れられ……いや、なかなか忘れられないや。


 ロバに乗って谷間を抜けていくと坂道に差し掛かる。長い長い坂道。ダラダラと伸びるその登り道を抜けた先には、真っ赤な大地がひろがっていた。






 禁じられた地。


 そこがどのような場所であるのか、やってくるまではわからなかった。


 でも、実際に来て、見てみると。


「たしかに<禁じられた地>だ」


 そうとしか言えない光景が、目の前には広がっていた。


 空には真っ赤な太陽が、触手を伸ばすかのように、灼熱しゃくねつの光線を、大地へと降りそそいでいる。草木は生えず、赤いだ土があらわとなった地面には、見わたすかぎり人工物はない。それどころか動物一匹だっていなかった。


 西には、遠くに緑が見え、川が見えた。あのあたりにセレファイスやらウルタールやらが存在しているのだろう。


 北には、うっすらともやがかった山脈があった。雪のベールに包まれたその峰々は、東へ移るにつれて、白から赤へと転じていく。真東ともなれば、灼熱と見まごうほどの鋭い山が待ち構えていた。


 あるいは、多くの宗教で語られている地獄ってやつが存在しているとしたら、こんな感じなのかもしれない。


「どっちへ行くのでしょうか」


「北だ。とにかく北へ」


 わたしたちは、会話をせず黙々とロバを進ませる。


 深紅しんくの大地は、見かけにたがわぬ熱に支配されていた。


 会話するだけで、熱気が口の中を蹂躙じゅうりんし、喉を乾燥かんそうさせて、水が飲みたくなってくる。


 空に浮かぶ不吉な火球たいようが、わたしたちをあざ笑うかのように、おどっている。熱と奇妙なダンスを見ているだけで、頭がおかしくなっちゃいそう。


 異様な光景を直視しないように、フードを目深にかぶって、わたしたちはただひたすらに進んだ。


 どのくらい進んだかはわからない。


 禁じられた地はどこもかしこも似たような感じで、先へ進んでいるのかさえ、不確かなほど。


「あとどのくらい……?」


「半分」


「そんなあ」


 真っ赤な太陽がその赤みをさらに強めて、今ではもう黒に近い。


 そんな太陽は、あたりを黒に染め上げながら、山の向こうへと消えていった。


 そうすること、暑さはだんだんと引いていき、体がブルブル震えるほどの寒さになる。ロバの歩みも遅くなり、そのキュートな鼻づらには、しもがびっしりついていて、かわいそう。


「きょ、極端すぎる」


「今日はこれくらいにして、あの洞窟で休む」


 ランタンを手にしたパフワダーが指さす先には、ぽっかりと口を開ける洞窟があった。


 わたしたちは急いで、その洞窟の中へと入っていった。


 ロバから降りたわたしたちは、洞窟の奥でたき火をした。


 その暖かな火に当たりながら、ごはんを食べる。


 深くもない洞窟の入り口の向こうには、寒空が広がっている。わたしの知っている星の配置とはまったく異なる星々。その中でも変わらず、月は神々しく輝いていた。


 あの月から、黒いガレー船――不気味なムーンビースト御一行がやってきた。


 少し前のことなのに、遠く昔の出来事みたいに思えるから不思議だ。


 たき火を囲みながら、わたしたちは質素なごはんを食べる。


 なんだか、物足りない。


「ああ、ハンバーグとかカレーが食べたいな」


「はい」


 次の瞬間、わたしの前にはホカホカのカレーが現れていた。プリンちゃんが夢見で生み出したのだ。


 わたしはプリンちゃんに頭を下げて、そのカレーをスプーンですくって、口まで運ぶ。


 もぐもぐもぐ……。


 咀嚼そしゃくするうちに、熱が口の中で爆発して、舌を破壊していった。そのカレーはあまりにも辛くて、痛い。痛すぎて、口の中にハリセンボンを突っこまれて、飲みこめと言われているかのようだ。


「み、水」


 わたしは水筒をひっくり返す勢いで水を飲む。それでも、のどのビリビリは止まらない。心臓がドキドキする。汗が噴き出して止まらなかった。


「なんてものを食べさせるんだっ!?」


「普通のカレーですけど」


 そう言って、プリンちゃんはカレーを食べはじめる。辛すぎて刺激物の域に入っているであろうそれが、彼女のちいさな口の中へ吸い込まれていく。その手は止まらない。顔にも汗はかいていない。


「……なんで、平然と食べられてるの」


「これが、ワタシの家のスタンダードでしたので」


「舌ぶっ壊れてるよ」


 ちなみに、プリンちゃんはパフワダーにも同じものを食べさせていたけれど、何も言わずに寝てしまった。いや寝たというよりかは、昏倒こんとうしたに近い。


 ヘビ人間さえもノックアウトさせるカレー。それを平然と食べるプリンちゃん(の味覚)は、やっぱりおかしいよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る