第12話

 船酔いが治ったわたしは、甲板に上がった。


 扉を開けると、強い日差しが降り注いでくる。


「わっいい天気……」


 今日は、風がほとんどなく静かだった。


 波のない海は、鏡みたいに太陽を反射していて、連日の大波がウソのように凪いでいた。


 風のある日は、忙しく働いている船員たちも、船がロクに動かないのでヒマらしい。


 そこここで、花札をやったりボールで遊んだりしていた。


 釣り糸を垂らし、鎧のような鱗をもつ魚を釣り上げている船員もいた。


 船首の方へ行けば、歯車みたいなかたちのハンドルがある。これで舵を動かすのだ。


 でも、今は誰もいない。無風のせいで、そもそも船が動かないから。


「船の上がこんなにも退屈だなんて、おもわなかった」


 最初は、海を眺めているだけでも楽しかった。でも、ずっと青。どこまでいっても真っ青で、次第に飽きてきた。


 世界一周する船にいろいろな娯楽施設が詰め込まれているのも、いまならわかる気がした。


 この虚船には、映画館も遊技場もない。もちろんコンビニだって、ゲームセンターだってなかった。


「スマホがあればなあ」


 数歩ごとに、そんなことをつぶやきながら、わたしは船の後尾へ。


 船尾はちょっとしたスペースになっていて、むしろこっちのほうがボール遊びをするのに適してそう、なのに人気がない。


 真ん中にデンとあぐらをかいて座っているヒトがいた。


 というかプリンちゃんだった。


 プリンちゃんは、背筋をピンと立てて座っている。その目は閉じられていて、うすく開いた口からは、ゆったりとした呼吸とともに、近寄ってくるなオーラが漏れていた。


「なにやってるの」


「瞑想です」


 ぱちりと目を開けてプリンちゃんが言った。


 ネコのようにしなやかな伸びをしたかと思うと、あぐらをやめる。


「邪魔しちゃった?」


「いえ、もうそろそろやめにしようと思っていましたから」


 立ち上がったプリンちゃんは、目を閉じた。ちいさな手のひらを空中へと向けたかと思えば――。


 彼女の手のひらの中に、なみなみ水が入ったグラスがあらわれた。


「え」


 プリンちゃんはグラスに口をつけ、無色透明の液体を飲んでいく。そのたびに、コクリコクリと白い喉が波打った。


「ど、どこから出したの、それ」


「言ってませんでしたか」


「聞いたことないよっ」


「夢見です」


「夢見……?」


 プリンちゃんがふたたび目を閉じた。


 次の瞬間、何もなかった空間から、コロンとリンゴが飛びだしてきた。キャッチしたプリンちゃんが、真っ赤な果実を差しだしてくる。


「あ、ありがとう。でも、どうやって?」


「夢見人は念じたものを、生み出すことができます」


「それが夢見ってこと?」


 わたしは頭の中でハンバーガーを思い浮かべてみる。


「でてこないよ」


「なにを思い浮かべているのかわかりませんが、できるだけ具体的に想像してください。味とか匂いとか」


 わたしは頷いて、ハンバーガーのことをレタスの葉脈ひとつひとつ、ピクルスのすっぱさにいたるまで、ことこまかに想像してみた。


 でもやっぱり、できたてのハンバーガーはあらわれない。


 そのうち頭が痛くなってきた。


「ハンバーガー出てこないや」


「では、石ころを想像してみてください。そんなに凝ったものじゃなくて、むしろシンプルなものを」


 そのへんに転がってそうな、灰色のふつうの石ッころを頭の中に思い浮かべてみる。ダブルチーズバーガーよりかはかんたんだった。


 でも、それでも石ころは出てこなかった。


「あ、あれ。おかしいですね、石ころならどんなに才能がなくとも、生み出すことができると思ったのですが……」


「わたしってもしかして、とんでもなく才能がない?」


「いや、才能以前の問題というか」


 なんだか、ショックだ。夢見の力があれば、いろんなものを生み出せると思ったのに。たとえば、百点満点の答案用紙を捏造するとか。


 しばらく、プリンちゃんは考えこむように腕を組んでいたが、いきなり手を叩いた。


「わかりました。たぶん、生身で来たから夢見が使えないのですよ」


「夢を見ていないからってこと」


 プリンちゃんが頷いた。わかってみると、なーんだって感じだ。


「夢見というのは夢見人の特権なんですよ。この世界の存在にはできないことですから」


 たとえば、とプリンちゃんが例を挙げてくれた。


 セレファイスにいる王様は、夢見人であり、覚醒の世界から夢の世界へ移り住んだとか。そんな彼はたぐいまれなる夢見の才能を持ち、故郷をひとつ再現するだけの力があるんだと。


 その人の名前はよく覚えていない。そのホームシックを患ってそうな王様よりも、熱をこめて言うプリンちゃんの方が気になってしょうがなかった。


「その人のことが好きなの?」


「尊敬はしています。すべての夢見人がそうしているように」


「ふうん、わたしにはよくわからないな」


 遠くの海を見つめていると、たしかに夢の世界は覚醒の世界と違っている。アスファルトもなければ車も走っていない。空には鳥の影くらいしかなく、手つかずの自然がどこまでも広がっていた。それで、神様もいて、モンスターもいるっていうんだから、好きな人は好きだろう。


 わたしの心だって、揺さぶられないわけじゃないけれど。


「プリンちゃんも、その人みたいに、この世界へ住みたいの?」


 わたしは聞いてみたけれども、返事はなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る