第10話

 港にはすでに一隻の船が用意されていた。


 ニュニギ王の命令によって、急ピッチで準備されたというその船は、虚船うつぼふねというらしい。神様によって名づけられたとされる名前は、船体にも達筆な字で書かれている。


 全長はいつか乗った九州から東京まで航行するフェリーくらい。平屋の三倍以上はあり、その上、帆まである。その先端を見上げていたら、首が痛くなってきた。


「こんなおっきな船をわたしたちだけで……?」


「ほかにも船員がいますから、その人たちが動かしてくれるはず」


 プリンちゃんが言うとおり、船の上にはたくさんの人がいた。その人たちもみな、日本人だとわかる顔立ちをしていた。


 着物を着てなかったら、ここが夢の世界だとは気がつかなかったかも。


「やっぱり、ここって日本なんじゃ、プリンちゃんもいることだし」


「……ワタシは関係ありませんが、ここが、人々が思う『日本』っていうものに影響を受けているのはまちがいないですね」


「どういうこと?」


「ちょっと待ってください、船の上からだとよく見えると思いますので」


 言われるがままに、わたしは船上へ。


 潮の香りに包まれた船のうえでは、船員がいそがしそうに働いている。帆の調子を確かめたり、野菜やら果物やらがギッシリ詰め込まれた木箱を運んだりしているのを見ていると、手持無沙汰てもちぶさたにしているのが申し訳なくなってきた。


「こんなことしてていいの?」


「いいんです、今のアナタは国賓――最上級のもてなしを受けるだけの扱いがなされるんですから」


 とにかくアレを見て、とプリンちゃんが言った。彼女のぷっくりとした指の先を眺めてみれば、寺院が建っている。


 赤い鳥居と五重塔、それから、あれはなんだろう。赤ちゃんが鳴らすマラカスみたいなおもちゃを、ドラム缶ほどに大きくしたやつが、風に吹かれてクルクル回っている。風だけじゃなくて、人々によっても回されている。


 巨大な仏像の隣には、真っ白なへびがとぐろを巻いているし、鯉にも似た石像が天へ登ろうとしている。


 なんというか――。


「ゲームの中の日本みたい」


 つまり、日本のことをあんまり知らない人が、印象だけでつくったような感じってことなんだろうか。


 だから、仏像とドラゴンがいっしょくたになっている。あのくるくる回るやつは、インドかどっかでみたことがある気がする。


 その横の、邪悪なガネーシャみたいな像は見ないことにした。見たらネチネチネチネチ付きまとわれ、彼らがゲームと称する悪戯(あそび)に死ぬまで付き合うことになりそうだったから。






 虚船はほどなくして、錨を上げた。


 いかりが上がり、真っ白な帆が下ろされる。風を受けてたわんだキャンバスが、バサバサと波打ち、船がそろそろと動きはじめた。


 最初はゆっくりと。港を離れていくうちに、速度は増していった。


 遠くの海岸線を、船と並走するように子どもが走っているのが見えて、手を振る。


 そんな子どもたちも、島も、海の向こうへ消えてった。


 あたりは青しかない。空の青、海の青。一面の青の中を、船は滑るように進んでいる。


 空には太陽が浮かぶだけ、そのほかにはなにもない快晴だった。


 最初こそは、わたしも楽しかった。こんな船に乗ることなんて、あまりない。旅行するときは飛行機か電車を使ってたから、船旅なんてほとんどしたことがなかった。


 手の届く距離を、ウミネコが飛んでいく。それを見ているだけで面白かったんだけど……。


 すぐに船旅にありがちな地獄アレがやってきた。

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