第3話 愛する者
2051年。
日本は霊磁研究にさらに力を入れることとなり、国内で一ヶ所目の霊磁研究国立研究所が設立された。
そして翌年の2052年より、日本各地に同じ研究所が設立されていく。
①
ゴトン、と車が大きく揺れた。
「荒い道ですぃません。もう少しで村につきますんで、岡田先生」
独特の訛りが効いた言葉を話しつつ、運転席の男が顔を半分だけ見せて振り向いた。
60歳前後と思われるその男は、これから向かう村の村長だ。
私、岡田健吾は霊磁研究国立研究所の研究員。
大学院を卒業後、研究員として国に雇われてもう7年になるが、ほとんどの仕事が国中の霊磁研究所を回って問題を解決することばかり。
今日もある仕事を言い渡され、その村へ派遣されてきた。
都内から最寄りの駅まで電車を乗り継いで約6時間。その後、村長に車で拾ってもらってすでに30分ほど経っている。
駅ですら周りに何もない田舎だと思ったのに、そこからずっと山道を突き進んでいる。
「結構駅から遠いところにあるんですね」
「霊磁研究所が建つのは、いつだってこんな辺境の地って相場が決まっとりますからねぇ」
霊磁研究所は絶対安全を謳っているが、その実、まだ不確定な要素が多く、人々からは嫌煙されている。
そのため、霊磁研究所が建つことを自治体や住民がよしとしないケースが多く、人口減少が進んだ貧しい地域がしぶしぶ受け入れることが多い。
「なんだか、すみません」
「いんえっ! むしろ我々は感謝しとんです! 霊磁研究所が建ったおかげで多額の補助金が入って、村は潤いましたんで」
「ですが、研究所の原因不明の磁場を生み出すという事故で村の多くの方が眠ったままに……」
「けんど、研究所が停止したらほとんどの人は起きましたんで」
「一人の人間を除いて、ですね」
「ええ……」
これが私が派遣された理由だ。
多くの村人が眠ったままの事故の後、研究所が停止しても一人の男性だけは目覚めなかった。
その男性が未だに目覚めない原因の究明と解決のために私は来たのである。
それからさらに10分ほど車で移動し、長いトンネルを抜けると村へ入った。
村のほとんどは斜面で、黄金色の穂をつけた田んぼが段になって並んでいる。時々、さびれたスタンドや小さな商店、郵便局が道から見えるが、かなりの田舎だと窺える。
点々と建つ立派ながらも古い日本家屋は、もう市街地では滅多に見られない外観で、どことなくノスタルジーを感じた。
「さあさ、こちらの病院です」
比較的大きな白い建物に着いた。
白、といっても長年の汚れが付着し、ほぼ灰色だが。
私は村長と一緒に車を降り、院内へ。
村長が受付に事情を話すと、すぐに看護師の女性が中へと案内してくれた。
エレベーターで二階へ昇り、203号室の病室へと入る。
病室は四人部屋のようだが、三つのベッドは空席。左奥のベッドだけはカーテンが閉まっており、その前に40歳ほどと思われる女性が立っていた。
頬骨がやけに目立って見えるほど痩せた女性だ。黒いセーターから覗く手も骨と皮だけに見える。
私はその女性へと挨拶する。
「失礼いたします。霊磁研究国立研究所より参りました、岡田健吾と申します」
「ようこそお越しくださいました。静川洋一の妻の静川真紀と申します。来ていただいてさっそくで申し訳ありませんが、主人はこちらです」
真紀さんは閉まっているベッドのカーテンを開けてくれた。
40代後半くらいだろうか。真紀さんよりは少し年上と思しき男性がベッドに寝ていた。胸元まで布団を被っているが、その上に出された左手首には点滴が繋がれている。
顔がひどく痩せこけている。仕事柄上、こうして眠ったままの患者を診る機会は多いが、それにしてもやつれすぎている感じがした。
「失礼いたします」
洋一さんの右手首をとり脈を診て、瞳孔に光を当てて反応を確認。
それから、革の鞄から手帳サイズの黒い機械を取り出した。これは霊磁分析装置といい、その場の霊視用の磁界を読み取るための簡易的な装置である。
装置の電源を入れ、画面に出る数字を読む。
「どうですか? 主人は……」
真紀さんに不安げに尋ねられた。
「脈や瞳孔の反応から、身体的には睡眠状態と変わらない。しかし、霊磁分析装置が微弱ながらも反応。事前にいただいていた情報とこの状態から、ほぼ間違いなく”幽体離脱”でしょう」
「研究所は停止したのに、どうしてなんでしょう? 他の皆さんは戻ってきたのに、どうして主人だけ……」
「霊磁装置によって魂が肉体から離れてしまうということがあります。しかし通常なら、魂と肉体は精神の糸によって結ばれているため、霊磁装置の停止からしばらくすれば自動的に魂は戻ってきます」
さて、なぜなのか。
過去にこんな事例がない以上、推測をするしかない。
「霊磁分析装置の数値を見る限り、ご主人の精神の糸が切れてしまったわけではないでしょう。そうなると”何か”がご主人の魂を捕らえてしまっていると考えられます」
「その、何かとは……?」
「現状では、詳しい原因は不明です」
「そんな……」
原因がわからない以上は対処のしようがない。そう思ったのだろう。
真紀さんはひどく落胆したような顔になった。
「けれど、ご安心を。ご主人は必ず目覚めます。霊磁装置は絶対安全だと証明するために、私は全力で仕事をしていますので」
「そうですか、よかった……っ!」
安心させるためだけに言った言葉ではない。
霊磁装置は絶対安全でなければいけない。完璧な存在でなければいけないのだ。
その完全性が損なわれることはあってはならない。
それに私には、洋一さんを目覚めさせるための宛てがあった。無論”何か”の正体についても。
「明日、ご主人を霊磁研究所へ連れて行かせてください。現場で霊磁装置を起動させれば、ご主人の意識が戻る可能性が高いと考えられます」
「ほんとですか……! わかりました」
その後、軽く明日の打ち合わせをして解散。
病院を後にした私を村長が車で民宿へと送ってくれた。
「あの静川さんちはですねぇ、10年前に一人しかいなかったお子さんを事故で亡くしてるんですよ。だから二人しかおらんかったんですがね……」
運転席から顔を半分だけ向けて村長がそう言った。
「それなのにご主人が眠ったままで、一人になってしまっていた」
「岡田先生、どうか静川さんを、よろしくおねげぇします」
熱心な声音でそう言う村長をミラー越し見ると、これまでになく真剣な表情をしていた。
静川夫妻のことが心配なのもあると思うが、村長という立場上、洋一さんには起きてもらわなければ困るのだろう。
霊磁研究所を置いたことの責任。明らかに霊磁研究所によって被害者が出たことにより、施設の運営自体が停止になって、国からの補助金が打ち切られることの不安。
そういった複雑な事情をすべて受け止め、私は頷いた。
「はい、お任せください」
②
翌日の集合時間は午前10時だった。
午前9時半。私は村長に送ってもらい、洋一さんが入院する病院へと到着。
洋一さんを霊磁研究所へ輸送するために、村長を含めた村の男性が何人か手伝ってくれることになったが、彼らもその後すぐに到着した。
一同で洋一さんをベッドからストレッチャーに移し替え、ミニバンに乗せてしっかりと固定し、看護師同伴で移動を開始した。
私たちも別の車で移動する。
この村の霊磁研究所は、小山を登ったところにあった。
研究員のための4階建ての寮と、こじんまりとした食堂や売店。その先に村の病院が5,6個は入りそうなほど大きな施設が見えた。
今日の目的地。日本で4番目に設立された霊磁研究所である。
今は研究所が停止しているため、どこにも人の気配はない。まるでゴーストタウンのような不気味な雰囲気だ。
車を霊磁研究所のすぐ前につけ、洋一さんを降ろし、ストレッチャーで施設の中へ連れていく。
この施設内には霊磁装置がある研究室が8室あるが、ひとまず入り口から一番近くのところへ。
テニスコート二面分の広さで、天井、壁、床すべてがコンクリートの無機質な部屋。その奥の方に、大きなガラスの箱があった。像でもすっぽり入りそうなほどの大きさだ。あれが霊磁装置である。
「ありがとうございます。では、洋一さんの意識を戻すために霊磁装置を起動しますので、皆さんはしばらく外でお待ちください」
研究室に私と洋一さんだけを残して、全員が外へと出て行った。
出ていかせたのは、大勢の人がいることで磁界に影響を与えたくないため。万が一、二次被害が発生するのを防止するため。そして念のため、霊磁装置に関する国が隠したい情報が漏洩するのを防ぐためだ。
「さて、と」
私は作業へと取り掛かった。
ストレッチャーを霊磁装置の隣に運び、記録用のカメラを三脚で設置し、霊磁装置に電源を入れる。
そして、まずは通常の手順で幽霊の観測を試みることに。
霊磁装置で幽霊を観測しようと磁界を発生させるということは、肉体を抜け出した魂を呼び込み磁界の中に閉じ込める行為である。
すなわち、肉体の近くに魂が来れば、あとは精神の糸によって引っ張られ、肉体と魂が再度結び付くと考えたのだ。
しかし、電圧を上げていくと霊磁装置は奇妙な唸りを上げ始め、照明がチカチカと点滅し始めた。
「何か様子が……うっ……!」
鼓膜が破れそうなほどの大音量で、スピーカーから砂嵐のようなノイズ音が響いた。
耳を塞いで耐えていると、ついには照明が消え、真っ暗に。
もう何か起こっているのかわからない。
これも得体の知れない”何か”の仕業なのか……!
次の瞬間――
「なっ!?」
――近くでパンッという破裂音と何かが割れる音が響いた。
と思ったら、照明が戻り、スピーカーから聞こえるノイズも鳴り止んだ。
慌ててまずは洋一さんの様子を確認する。
呼吸、脈拍共に正常。外傷もない。
よかった……洋一さんは無害のようである。
それから霊磁装置に目を遣ると、操作盤から煙が上がっていた。見たところ、中から焼け焦げている。
霊磁装置のガラスの箱も、バキバキにヒビが入ってしまっている。
「ああ、5億円の装置が……これは上に怒られるな……」
半ば諦めつつ、記録用のカメラを見に行くと、意外にもそれは無事だった。
ダメ元だが、後でカメラの映像を確認して今の原因を調べてみよう。
今回の被害状況を鑑みるに、二回目の試行実験をするのは危険だろう。
ひとまず今日は対策を考えることに時間を回そう。
外で待機してくれている村人たちに事情を説明し、洋一さんを連れて病院へと帰る。
病院の入り口には真紀さんが立って待っていたが、眠ったままの洋一さんを視界に収めるなり、疑問と不安が混ざった眼差しを私に向けてきた。
私は霊磁研究所で起こったことを事細かく彼女に説明した。
「……というわけで、ご主人の意識を取り戻す計画は失敗に終わってしまいました。ただいまその原因を究明中です」
「そう……ですか」
「ですが大丈夫です。きっとご主人は目覚めますから」
そう言ったところで、真紀さんの表情の曇りは晴れることはなかった。
きっと私にも洋一さんを眠りから覚ますことはできないと考えているのだろう。
彼女の中で、霊磁装置の技術が不完全なものであると信じて疑わなくなってしまっているに違いない。
私は何とも悔しい気持ちになった。
霊磁装置は絶対安全でなければいけないのに……。
その日の夜、私は民宿の部屋でカメラの映像を確認していた。
ノートほどの大きさの透明な板の電子端末にデータを映し、映像を再生してみる。
霊磁装置を起動して間もなく、異常が発生。
照明が点滅し、霊磁装置はおかしな唸りを上げ、スピーカーからは砂嵐のようなノイズ音。
完全に暗くなった後、破裂音とガラスが割れる音が鳴り響く。
録画映像も無事なようで安心した。
一回見ただけでは何もわからなかった。
次は映像の明度を上げ、暗くなっている部分に何か手がかりがないか探る。
けれど、得るものは何もなかった。
そのようにして映像を編集しつつ何度か見ていると、私はあることに気が付いた。
「ん……? このノイズ、何かおかしいな……」
ノイズの中に独特なリズム、というか波があるのを感じた。
ノイズ除去機能を使い、徐々に音をクリアにしていく。
すると――
「これは声だ……!」
――かろうじてそれが何かの喋り声だということがわかるまでになった。
もう少しノイズを取り除いて聞いてみる。
――…………さ……
声が小さいところがあって何を言っているか断定できない。
最大音量にしてもう一度再生。
――おと……さ…………
これは……お父さん?
お父さんと言っているのか?
確認のためにもう一度再生。
――邪魔するなぁああっ!!!
「っ!?」
小さな子どもの金切り声が部屋中に響き渡り、私は思わず電子端末を投げ出して飛び退いた。
な、なんだ今のは……!
明らかに喋っている言葉が変わったぞ。
心臓が激しく脈打っている。
まずは深呼吸を何度かして気分を落ち着かせ、震える手で電子端末を拾い上げた。
本当はすごく嫌だが、これが何よりもの手がかりだ。
音量を下げて再生ボタンに指をかける。
――…………さ……
さっきのような叫び声ではないようだ。
もう一度最大音量にしてみる。
――おとう……さん……
やはりだ。お父さんと言っている……!
ふと、昨日の村長の言葉が頭に蘇った。
――あの静川さんちはですねぇ、10年前に一人しかいなかったお子さんを事故で亡くしてるんですよ
そうか、この声は……。
つまり、洋一さんを捕らえているのも。
翌日、私は静川夫妻の家を訪ねた。
「洋一さんを捕らえている”何か”がわかりました。聞いてほしい声があります」
そう電話で告げると、ひとまず家へ来てほしいと言われたのだ。
静川家も例にもれず古い日本家屋のようで、所々修繕して暮らしているようだった。
家に上げてもらい、居間へと通された。
八畳ほどの部屋にテレビや棚、テーブルがあり、所々に家族写真が飾られている。
奥の和室には仏壇があり、幼い女の子の写真や衣服が置かれているのがちらりと見えた。
私は真紀さんとテーブルを挟んで座布団の上に座った。
お茶を出してくれたが、それに手を付けるより前に私は電子端末を出して音声を聞いてもらった。
「恐らく”何か”の正体だと思うのですが、どうでしょう……? この声に聞き覚えは?」
「これは……っ!」
音声があの声の部分になるなり、真紀さんが驚愕に目を見開くのがわかった。
そして手で顔を覆い、小刻みに肩を震わし始める。
その反応だけで充分だ。
私は推測が確信に変わるのを感じた。
真紀さんはティッシュを引っ張ってきて目元を拭い、湿った声で言う。
「間違いありません……娘の声ですっ」
「やはりそうでしたか……」
「岡田さん、我が儘を聞いてはもらえないでしょうか?」
「何でしょう?」
真紀さんは涙を綺麗に拭い、姿勢を正して充血した目で真っ直ぐに私を見てきた。
「主人を、このままにしておいてはいただけないでしょうか? 10年前に娘を亡くし、私たち二人は心の中にぽっかりと穴が空いてしまったようでした。食事はあまり喉を通らず、二人とも睡眠障害に。乗り超えようと努力して、積極的に旅行に行ってみても、どうしても忘れられなかった」
真紀さんは居間の隣の縁側越しに庭の方を見た。
庭の植木や田園風景。その奥には霊磁研究所のある小山が望める。
真紀さんはその小山の方を見つめ、微かに笑みを浮かべた。
「ですので、今主人は娘と再会して幸せなんだと思います。同じ苦しみを背負った私ならわかるんです。それに、恐らく娘も主人といられて幸せだと思います。だから……」
「わかりました。今回の件から私は手を引きましょう。今後”国の機関”がご主人に手出しをすることもありません」
「ありがとう……ございます」
真紀さんは心底嬉しそうに頭を下げ、また嗚咽を漏らした。
すべてが丸く収まって、国の研究員としての私の仕事もここまで。
さて、ここからはもう一つの仕事の時間だ。
③
私はその夜、タクシーを呼んで一人で霊磁研究所へと来ていた。
研究所の入り口でしばらく待っていると、一台のクラシックカーが敷地内に入ってきた。
最近では専門の博物館にしかないガソリン車である。
その車は私の前まで来ると停車し、後部座席から赤毛で色白の男が降りてきた。
年は26歳。黒地に赤い彼岸花が刺繍されたシャツを着ていて、大変ガラが悪い。
細長い目からは狐のような印象を受ける。
「こんな山奥まですみませんでしたね、賀茂君」
彼の名前は賀茂祐介。
パッと見はヤクザのようだが、これでも霊媒師である。
賀茂はニカッと歯を見せて笑い、わざとらしく肩を揉みながら関西訛りで言う。
「ほんまっすわ。うちの後輩に休憩なしで運転させても片道5時間半って。こりゃ報酬も弾んでもらわんと割に合いませんね」
「もちろんです。そこは安心してください」
先輩、と私のことを呼ぶ賀茂は、二年前、霊磁研究国立研究所の研究員だった。
だが、ちょっとした事件を起こしたことにより、採用からたった二ヶ月で研究所をクビになったのだが、むしろそれがきっかけで私は彼のことが気に入り、こうして未だに関わりをもっている。
「そんで話にあった幽霊はどこに?」
「こちらです。ついてきてください」
賀茂を研究所の中へと案内した。
電子端末のランプ機能で辺りを照らして通路を進みつつ、賀茂に今回の依頼の補足事項を話す。
「調べてみたら、昔この霊磁研究所が建つ前は公園だったようで、静川夫婦と娘さんはよく遊びに来ていたようなんです。娘さんにとっては思い出の場所だったそうで、事故で亡くなった後もここに魂が残った。その後この霊磁研究所ができ、最近起こった事故により、多くの村人が夢の中に捕らわれた。その時に、再会したんでしょう。洋一さんと娘さんは」
「ほーん。で、ターゲットはその娘さんと?」
「はい。霊磁装置で強制的に霊を消すことも可能ですが、そうすれば洋一さんの魂も消しかけない。だからといって娘さんの霊を除霊したら、洋一さんを”向こう”へ連れて行ってしまう可能性があります。そこであなたに依頼したい」
「平然と残酷なこと言いはりますね。つまり、その娘さんの霊を消せっちゅうことやろ?」
「話が早い」
そう、霊媒師である賀茂に今回依頼したことは、静川夫妻の娘の霊を祓うこと。
もっといえば、魂を完全に消し去ることである。
「まあ、子ども消すんは初めてやないから任せといてください!」
「よろしくお願いします」
霊磁装置が置かれた研究室へと到着した。
細かくヒビが入った霊磁装置。昨日も使った研究室である。
霊磁装置を起動後、娘の霊が確かにここに呼び出された。
ということは、まだ魂が近くにいる可能性が高いと考えたのだ。
「恐らくここでいいでしょう。では、お願いします」
「おん、ほな先輩はそこで休んどいてください。あー、耳は塞いどった方がええと思いますよ」
私は賀茂の忠告通り、スーツのポケットからイヤホンを取り出して耳に押し込んだ。
すると賀茂は、持っていたビジネスバッグから大きな蝋燭とお札を4枚取り出して並べた。
蝋燭に火をつけ、何かを読み始める。
以前に少し聞いたことがあるが、経に似ているものの、内容がまるで違った。
古い呪詛を改良したものだと賀茂が言っていたので調べてみたことがある。けれど、どれだけ資料を探ってもそれらしいものは出てこなかった。
きっと、歴史上は確かに存在したのに、”なかったこと”にされたものの一つなのだろう。
どんなものにも闇の一面は存在する。
もちろん霊磁分野においても、この私のような闇が。
賀茂がお札を一枚手に取り、蝋燭の火に被せる。
お札に火が付き、燃え尽きると同時に、イヤホン越しにも響くほどのノイズがスピーカーから響き渡り始めた。
風もないのに蝋燭の火が揺らめく。
賀茂は構わず、そのまま二枚目のお札を火に当てた。
そのお札が燃え尽きると、地鳴りが来たように辺りに振動が走り始める。
賀茂は表情一つ変えずに三枚目のお札を燃やした。
するとこれまでとは違い、スピーカーからの音は鳴り止み、床の振動も収まった。
イヤホンをしているせいでわからないだけかもしれないが、すっかり静まりかえっていた。
しかし、賀茂が最後のお札を火にかけた瞬間、スピーカーから耳をつんざくような子どもの悲鳴が聞こえてきた。
お札が燃えている間その悲鳴は息継ぎもなく続き、燃え尽きた時、スッと鳴り止んだ。
声と共に何かが消え去った気配がする。
賀茂が大きく一つ息をついて、私に何かを喋りかけてきたが、イヤホンをしているので何を言っているか分からない。
彼がトントンと耳元を叩く仕草をするのでイヤホンを外すと、彼はニカッと八重歯を見せて笑った。
「さあ、終わりましたよ」
「いつも通り仕事が早いですね。これで明日には洋一さんも目を覚ますでしょう」
片付けをして、賀茂と共に研究所の外へ出た。
帰りは賀茂の後輩の車で送ってもらった。
さすが田舎というべきか、どの家も早寝で、まだ0時過ぎだというのに村中は真っ暗だった。
そのおかげで仕事がしやすくて助かった。
「ところでこのこと、奥さんにどう説明しはるんですか?」
民宿の近くで降ろしてもらい、別れを告げようとしたところで賀茂にそう訊ねられた。
「別に、特に説明なんてしません。娘さんの霊は、自然と消え去っただけですから」
賀茂は一瞬何を言っているんだ、という顔になったが、すぐに理解して声を出して笑う。
「そうでしたね。ほな、報酬はまた例の方法で」
「はい、ありがとうございました」
④
「岡田さん! 大変です! 今すぐ来てください!!」
翌朝、民宿の部屋を激しくノックされたので開けると、ひどく興奮した様子の村長が立っていた。
急いで出かける支度を済ませ、村長の車で病院へと飛んでいく。
院内に入るなり、看護師が案内をしてくれ、洋一さんのいる203号室へ。
呼吸を整える暇もなく、村長がドアを開ける。
左奥のベッド。そこのカーテンが今日は開いていた。
そしてベッドの上には、上体を起こしてぼーっとしている男性の姿が。
洋一さんである。
「あなた……!!」
洋一さんの脇には真紀さんもおり、嬉しそうな顔で目には涙を浮かべつつ彼の手を握っていた。
「舞が……舞がここにいたんだ」
どこか虚ろな様子で洋一さんがそう言い、真紀さんは激しく頷いた。
「うん……うん……っ!」
「でも、急に舞が苦しみだして……」
「えっ……」
真紀さんの表情から光が消えた。
きっと真紀さんはこう思っていたのだろう。
洋一さんが戻ってきたということは、娘の霊が無事に成仏できたのだと。
だが、違う。
洋一さんの様子からそれを悟ったようである。
「……消えてしまった」
洋一さんのその言葉で、一瞬にして室内の空気が凍り付いた。
誰も言葉を発することができなかった。
呼吸すら許されていないかのように感じた。
真紀さんは口元を手で押さえたまま硬直。
一方、今までぼんやりとした様子だった洋一さんは、徐々にその表情が歪んでいった。痛みに苦しみ、耐えているかのようなものに。
そして彼は、両手で顔を覆い、絞り出すように叫びだした。
「うあぁああああああああああああああ」
それを皮切りに、真紀さんも声を出して泣き始めた。
私と村長は互いに複雑そうな表情で顔を見合わせ、静かに病室を出ていった。
廊下を少し進んだところで立ち止まり、私は村長に対して深く頭を下げた。
「結局、お役に立てなくてすみませんでした」
「いんえっ! ちゃんと静川さんは目覚めたわけですし、安心しました! でんも……」
村長は203号室の方へ悲哀のこもった眼差しを向けつつ言う。
「静川さんたちは、ちょっと可哀想ですね……」
「そうですね」
確かに、静川夫妻には憐れなことをしてしまったと思う。
しかし、これも必要なことだったのだ。
霊磁装置による被害者がいてはいけない。
霊磁装置は絶対安全で、完璧でなければいけないのだ。
私はそれほどまでに、霊磁というものを愛している。
第3話 愛する者 ―了―
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