第2話 生き写し③


「そういえば、毎晩付き合ってもらってますが、人付き合いは大丈夫なのですか?」


 霊磁研究室。

 いつものように二人で霊磁実験を行っていると、唐突に須崎さんがボブヘアの毛先を指でもてあそびながら訊ねてきた。


 須崎さんと夜に研究室で霊磁実験をするようになってから、かれこれ二週間が過ぎようとしていた。

 その間、二人とも毎晩欠かさず、皆勤賞である。


 きっと須崎さんは、自分に付き合うために僕が何かしらの予定を断ってるのではないかと心配しているのだろう。


「安心して。僕には友達がいないから」


「一人もですか?」


「一人もだよ」


「やっぱり葉山くん面白い」


 口元を手で覆ってクスクスと笑う須崎さん。

 どうやら冗談だと思っているみたいだ。


「あの、本当なんだけど」


「え?」


 須崎さんがきょとんとした顔で見てくる。


「えっと、その友達がいないというのは、友達と認めてるやつはいないみたいな孤高な感じでもなく?」


「うん」


「友達じゃなくて親友ならいる的なあれでもなく?」


「うん」


 須崎さんは僕が本気で言っているとわかると、最初は唖然としていたが、徐々に眉を曇らせ、仕舞いには頭を抱えてしまった。 


「ああ、でもなんとなくわかるかも……葉山くん幽霊オタクだし」


「あはは、反省はしてる」


 ここ数日間、須崎さんに霊磁装置について早口でまくし立てるようにして語ってしまう場面が何度もあった。

 自分がこれまで勉強してきたことを誰かに話せることが、誰かと話せることが嬉しくてついそうしてしまったのだ。 


 しかし、須崎さんも呆れを態度に出しつつも、なんだかんだ話を聞いてくれることが多い。

 改めて須崎さんは優しい人だなと思う。


「でも、僕に友達ができない理由は別にあるんだ」


 須崎さんが顔を上げた。

 無言のまま、その理由を問うような眼差しを向けてきた。


 さて、どう話したものか。

 僕はあまり話すのが得意ではないから、ゆっくりと頭の中で話の内容や順番について組み立てる。

 その間も須崎さんは何も言わずに待ってくれた。


「須崎さんが初めてだったんだ」


「初めてって?」


「僕って、誰かと話そうとするとどうしてもおどおどしちゃうっていうか、まともに話せないんだ。たとえ家族とでもね」


 誰かと向かい合うと、途端に動悸がして頭の中が真っ白になる。

 それなのに、急いで言葉を紡がなきゃと焦るものだから、余計に言葉が浮かばなくなってしまう。

 きっかけが何だったかもう思い出せない。物心がついた時からそうだった。


「誰かと会話をしなければ生きていけないこんな世の中なんて、滅んでしまえばいいのに。小学校の頃、僕はいつもそんなことを考えて、図書館に籠って本の世界へと逃げ込んでいた。そんな時、幽霊が科学で証明されたというニュースが発表されたんだ。当時の僕には、この世界の常識をぶち壊すかのような出来事に感じたよ」


 この世にうんざりしていた僕にとって、幽霊という存在はとても魅力的に感じた。

 幽霊がこの世界を今後もっと壊していってくれるのではないかと。


「だから僕は霊磁研究の研究者を志し、こうして霊磁学科にも入学した。けど、意外にも僕の世界は変わらなかった。結局は誰かと会話しなければ生きていけないし、やっぱり人とは普通に話せないし。正直、なんでこの学科に入ったんだっけ?って分からなくなってた」


 僕は真っ直ぐに須崎さんを見つめた。

 大きくて宝石のような瞳が僕を映す。


「でも、須崎さんとだけは違った。すごく不思議なんだけど、最初から目を見て普通に話せた。こんなこと初めてなんだ」


「ねえそれ、他の女の子にも言ってます? 必殺の口説き文句だったり?」


「しないって」


「じゃあ素直に喜んであげよっと」


 そう言って須崎さんは目を細めた。口元もだらしなく緩んでしまっている。

 それは、今まで須崎さんが見せてくれていた万人を魅了するような完璧な笑顔ではなかった。

 なんというか、油断しまくってる顔だ。

 だが不思議とその笑顔は、これまでの須崎さんの表情の中で一番可愛く見えた。


 しかし、すぐに須崎さんは僕の視線に気が付き、いつもの完璧な笑顔へと戻ってしまう。

 欲を言えば、もう少し見ていたかったのだが。


 それから須崎さんは、ふと何か思い浮かんだかのように口を開く。


「私、葉山くんに似てるかもしれません」


「え?」


 僕と須崎さんが似てる?

 須崎さんは僕とは違って人気のありそうな見た目をしているし、会話だって得意そうなのに。


「私も、誰ともまともに話せないんです。私の場合は葉山くんとは違って、私が話してくれないといいますか」


「須崎さんが話してくれないって?」


「お姉ちゃんならどう言うかな、お姉ちゃんならどうするかなってことばかり考えながら誰かと会話しちゃうんです」


 須崎さんと話すとき、どこか壁を張られているというか、油断がないといった印象を時々受けることがあった。

 なんとなく、その理由が分かった気がした。


 だがそれだけ、須崎さんにとってお姉さんの存在は大きなものだったのだろう。いや、現在進行形でそうだというべきか。


「お姉ちゃんのことが本当に大好きなんだね」


「そう、ですね。大好きです、とても。でもそれだけじゃありません」


 須崎さんは天使のような完璧な笑みを浮かべて言う。


「私、お姉ちゃんの代わりになりたいんです。私のお姉ちゃんは可愛くて、勉強ができて、スポーツもなんでもできて、友達もたくさんいて、みんなに愛されてるすごい人でした」


 お姉さんのことについて話す須崎さんは心から楽しそうに見えた。

 けれども不意にその目からはスッと光が消え、窓辺に向かってゆっくりと歩いた。

 そして窓から大学のシンボルである時計塔の方を見つめる。


「でも、そんな人が唐突に亡くなったんです。理由もわからず。あの時計塔から飛び降りて」


 ふと、須崎さんと初めて会った時のことを思い出した。

 キャンパス内の噴水広場、彼女はその噴水の淵に腰掛けていた。

 時計塔を見上げながら。


「家族も周りも、姉の死をひどく悲しみました。両親なんて三日くらい食べ物が喉を通らず、ずっと泣きっぱなしでした。その時、ふと思ったんです。私が姉の代わりになればいいんだって。その日から、私という人格はこの世から消えました。姉と同じになるために猛勉強をして、様々なスポーツの練習をして、極力人付き合いも頑張って。本当はちょっと危なかったんですけど、頑張ってこの大学にも入学できました」


 外を見ていた須崎さんがくるりとこちらを振り返る。


「でもちょうど今年、姉が亡くなった時と同い年になるんです」


 須崎さんは今年大学二年生、20歳になる。


「これまでは姉の模倣をすればよかった。けど、これからはそうはいかない。私自身で考えて姉の代わりでいなければいけない。すると途端にどうしていいか分からなくなり、いつの間にかあの時計塔を眺める日々が続いておりました。だから、姉の幽霊にもし会えたら、訊いてみたいです。次に何を目指したらいいのかって」


「だけど……」


「はい、わかってます」


 須崎さんは苦笑した。


「向こうには何も聞こえないし、意思があるのすらわからないって。なので問いかけるだけでいいんです。それだけでも、答えが見えてきそうだから」


 わからない。

 そうやって答えが見えることが、須崎さんにとって本当にいいことなのだろうか。

 このままお姉さんの代わりとして生きていくことが、本当に彼女の幸せなのだろうか。


 だけど、須崎さん自身がそうしたいと言う以上、僕が何かを口出しするのは間違っている。

 第一、僕の中で言いたいことがうまくまとまってくれなかった。


 僕はペットボトルのお茶を手に取り、複雑な感情と一緒に大きく一口呑み込んだ。

 そして霊磁装置の起動準備に取り掛かった。




 結局その日も、須崎さんのお姉さんの幽霊は出てきてくれなかった。

 いつも通り二人でご飯を食べてから解散。それから家に帰って、ずっと須崎さんのことを考えていた。


 今日須崎さんの話を聞いた時、色々な感情が渦を巻いてぐちゃぐちゃになった。

 須崎さんはお姉さんに対する大きな想いを抱え、お姉さんの代わりに周りを支えなければと重荷を背負って幼い頃から生きてきた。


 その苦労は凄まじいものだったと思うし、強い信念は真似できないなと尊敬する。

 だが、彼女がこのままお姉さんの代わりとして生きていくことを素直に喜べない自分がいた。

 須崎さんが自分の中で答えを見つけるということがどういうことか。

 それは、本当の須崎さんが完全にいなくなってしまうかもしれないということなのだ。


「それは……嫌だ」


 須崎さんが時々見せてくれた、油断しきった笑顔。

 いつもはお姉さんのように振舞おうと気を張っている須崎さんとは違う、本当の彼女。


 その笑顔が見られなくなるのは、嫌だ。


 そこで気が付く。

 ああ、いつの間にか僕の中で須崎さんは、かけがえのない大切な存在になっていたのかもしれない。


 一緒に過ごし、他の人には話したこともないようなことまで打ち明けられるようになった存在。

 須崎さんは、これまでの僕の人生の中で一番大きな存在だ。


 エゴだとなんだと言われてもいい。

 須崎さんに自分の想いを伝えよう。




 翌日の晩、いつもより早く研究室へ向かい、どう想いを伝えようかぎりぎりまで考えつつ須崎さんを待った。

 自分の鼓動がうるさい。手が震える。

 いざ自分の深いところにある想いを伝えようと思うと、緊張で落ち着かなかった。


 ――ガチャリ


「こんばんは~」


 須崎さんがいつものように完璧な天使の笑顔で研究室に入ってきた。


「須崎さんっ」


 あまりの緊張で声が裏返ってしまった。

 普段と違う僕の様子に、須崎さんが驚いたように後ずさりした。


「は、はい」


「僕は須崎さんのことが気になってます」


 須崎さんはぽかんとして、首を傾げる。


「は、い?」


「たぶん好きなんだと思います」


「んんんっ!?」


 須崎さんはただでさえまん丸の可愛い目をさらに丸くさせ、複雑そうな表情で固まってしまった。

 喜びか、驚きか、拒絶か。まるで分らない。


 しかし、構わずに僕は予め伝えようと考えてきたことを続ける。


「正直、きっかけは須崎さんのお姉さんの姿に一目惚れしたことでした」


 複雑だった表情が一色に染まる。怒りという感情一色に。


「はあ!? じゃあお姉ちゃんが好きなんじゃんっ!!」


「あ、今はそうじゃなくて、えっと、まずは最後まで聞いてください」


「うう……」


 須崎さんはまだ何か言いたげだったが、ひとまず飲み込んで聞く姿勢になってくれた。


「でもそれがあったからこそ須崎さんに出会えて、君自身に興味を持つようになりました。最初は外も中も完璧な美少女だなって思ったけど、時々油断した姿を見せてくれて、僕はそういう時の須崎さんに強く惹かれました。昨日の話を聞いて、たぶんそれがお姉さんの模倣をしていない本当の須崎さんなのかなと思い、さらに君に対する興味でいっぱいになりました」


 言い始めてしまえば、すらすらと言葉が出てくれた。

 人と話すのが苦手な僕でも、本当に思っていることは考えずとも滑らかに出てきてくれると初めて知った。


 だけど緊張で声が揺れる。

 僕は深く息を吸って、落ち着かせてから言う。


「だから僕は君に、お姉さんの代わりじゃなく、君自身の人生を生きてほしいって思ったんだ。須崎冬花さんのことが好きで、興味があるから」


 話を聞いた須崎さんはしばらく硬直したままだった。

 そのまま頬を中心に徐々に赤らめていき、ついには茹ダコのように真っ赤になってしまった。


「うぅ……あー!! なんでこんな照れるんだろっ」


 突然大きな声を上げるものだからびっくりしてしまった。

 それから須崎さんは大股で僕の目の前まで来た。


「誤解されないように言っておきますが、男の人に告白されたことは今までも何度もありました」


「でしょうね?」


「でも今までは私自身じゃなくて、姉が告白されてるような気がしてたというか……だからこんなのは初めてで……」


 須崎さんは目を逸らし、手をもじもじとさせる。

 あまりに可愛らしいその仕草に、僕の心臓は大きく高鳴った。


「なんだかいつも葉山くんにはペースを崩されるんだよなぁ。お姉ちゃんならどう言うかなとか考える暇もなくなっちゃうっていうか。葉山くんは私が初めての存在だって言ってくれたけど、私にとっても初めての存在なんだよ」


「そう、だったんだ」


 どうしよう、須崎さんのそんな存在になれていたなんて嬉しすぎる。

 特別な存在だと感じているのは、自分だけじゃなかったんだ。


「と、とりあえずお返事は待ってくださいっ」


「わ、わかった」


 そっか、告白をした以上、返事が来るものなんだ。

 当然のことなのに、伝えることしか考えてなくてすっかり頭から抜け落ちていた。


 さっきまでとは違う緊張がじわじわと湧き出してきた。

 ああ、どうしよう。本音を言えば今すぐにでも返事が欲しい。

 けれど須崎さんにはじっくり考えてほしいし。

 どっちみち返事をもらうまで落ち着かなくて夜も寝られる気がしない。


「葉山くん」


 そわそわしていると、須崎さんに呼ばれてすぐさま彼女に顔を向けた。

 彼女は若干不安げな眼差しで僕に問う。


「私は、私でいていいんでしょうか……?」


 これまでずっと姉の代わりとして生きてきた。

 周りの人や家族を支えるために。

 亡くなった当時の姉と同い年になる今になって、それをやめてしまうことが怖いのだろう。


 けれど違うんだ。

 須崎さんがお姉さんの代わりになったら、須崎さんがいなくなってしまう。

 周りの人や家族にとって、須崎さんもなくてはならない大切な存在のはずなんだ。


「うん、須崎さんのことが好きな人が少なくともここに一人いるから。それに須崎さんの家族だって、恐らく同じ思いだと思うよ」


「そう……かも」


 須崎さんは宙を見上げ、しばらく何かを考えているようだった。

 それから改めて僕の方を見る。


「正直、いきなり自分を出すって言っても、急にはできないかもしれません。でも――」


 須崎さんはにこりと、歯を出して笑った。


「少しずつでも、私自身の道を選んでいけるようにしてみるね」


 それはいつもの完璧な天使のような笑顔ではなかったが、油断しきった心からのもので、今までで一番眩しい笑顔だった。



 ――バチンッ



 突然、衝撃音が研究室内に響き渡り、明かりが消えた。

 いきなりのことに須崎さんが小さく悲鳴を上げる。

 僕も心臓が飛び出るかというほどびっくりし、須崎さんに何かがあってはいけないといつでも守れる位置まで近寄った。


 最初は何かが破裂したかのかと思った。

 そのせいで電気系統に影響が出て停電したのかと。


 けれど、すぐにそれは違うと分かった。


 霊磁装置に光が灯り、唸りを上げ始めたのだ。

 停電したわけではない。


 ”何か”によって明かりは消え、ひとりでに霊磁装置が起動した始めたのである。


「どうして勝手に……!」


 霊磁装置にそんな機能はない。

 つまり、考えられる原因とすれば……。


 幽霊。


 これは心霊現象に間違いない。


 霊磁装置のガラス管の中に光の粒が出現し始めた。

 きっと今、この現象を引き起こしている”何か”が現れようとしている。


 このままその”何か”が出てきてしまって大丈夫だろうか……!

 危険なものじゃないのか。


 急いで停止させようと霊磁装置に駆け寄ろうとしたが、須崎さんに腕を握られ制された。


「葉山くん……!」


 なぜ止めるんだと思い須崎さんを振り返ると、彼女はただガラス管の方を一直線に見つめていた。


 須崎さんには、この”何か”の正体がわかっているようだった。

 光が人の形を作り、その姿がはっきりと具現化するより前に、須崎さんは大粒の涙を流して呟いた。


「お姉……ちゃん」


 光の輝きが段々と収まり、そこに須崎さんのお姉さんが現れた。

 2週間ぶりくらいだろうか。すごく久しぶりに感じた。


 僕と須崎さんは顔を見合わせ頷き合うと、ガラス張りの壁を抜けて霊磁装置の前まで来た。


 ぼうっと遠くを見つめる綺麗な顔をした黒髪ロングの少女。

 風もないのに、白いワンピースの裾が水中にいるかのようにたなびいていた。


「やっと会ってくれたね、お姉ちゃん」


 須崎さんが霊磁装置のガラス管にそっと手を触れ、目からは涙を流しながらも微笑んだ。


「あのね、お姉ちゃんの死を一番乗り超えてなかったのは、私だったのかも。だからずっとお姉ちゃんのふりをして、お姉ちゃんがまだ生きてると思い込んでた。お姉ちゃんの死から目を背けてた。でもね、もう大丈夫だよ、お姉ちゃん」


 須崎さんはごしごしと手で涙を拭い、凛とした眼差しをお姉さんに向けた。


「もう、目を背けない。お姉ちゃんの死とちゃんと向き合うよ。私にも、私のことを見てくれる人がいるって気づいたから。私、自分の道を生きることにしたよ」


 それは、須崎さんが今までお姉さんに言おうとしていたこととは正反対のことだった。


 すると――


「え」


 ――須崎さんのお姉さんが僅かに口角を持ち上げた……ように見えた。


 かと思えば次の瞬間、須崎さんのお姉さんはスゥッと消えてしまった。


 気づけば、霊磁装置も停止している。

 あたかも、今の今まで起動していたなんて嘘のように。


「今、一瞬お姉ちゃん……」


 須崎さんが呟いた。


「うん、きっと届いたんだと思うよ。須崎さんの言葉」


 霊磁装置で観測する幽霊が表情を変えた報告は確かにある。だが、言葉に反応して表情を変えたという研究結果は聞いたことがない。

 けれどきっと、今だけは確かに須崎さんの言葉が届いたんだと思う。

 霊磁研究をする者らしくないが、根拠も何もなくてもそう確信したのだ。


「そうだと、いいな」


 須崎さんはそれからしばらく、先ほどまでお姉さんがいたガラス管の中を静かに見つめていた。




 帰り道。

 僕らは何も喋らずに、小さな歩幅で駅へと歩いていた。


 結局あの後、たくさん泣いたことでメイクが崩れてしまった須崎さんがトイレに籠り、10分ほどかけてメイクを整えることに。

 待っている間、僕は何となく初めて会った日のことを思い出し、僅か2週間ほど前のことなのに懐かしい気分に浸っていた。


 歩きながら、さっきの出来事について考える。

 ひとりでに霊磁装置が起動したこと。ずっと姿を見せてくれなかった須崎さんのお姉さんが現れたこと。そして、須崎さんのお姉さんが見せてくれた、笑顔といっていいほど穏やかで温かみがある表情。


 まるで夢でも見ていたのではないかと思えるような出来事の数々だった。


「今日の実験結果、まとめてどこかに発表するの?」


 唐突に須崎さんが訊いてきた。

 きっと彼女も同じように、今日のことを考えていたのだろう。


「ううん、やめとくよ」


「どうして? 霊磁研究について散々聞かされた今ならわかるよ。さっきのすごいことなんでしょ?」


「あはは……散々聞かせてごめんね」


 確かに、須崎さんの言う通りだった。

 今日の出来事はすごい。恐らく、この結果を論文に書けば、最初は与太話だと相手にされないかもしれない。

 しかし、研究を進めて今日の事象の根拠を突き止めていけば、霊磁研究史に名を残せることは間違いないだろう。


「でも、やめておく。さっきのことは、僕たちだけに起こったこととしておきたいから」


「そう」


 短くそう返した須崎さんだったが、どことなく嬉しそうに見えた。


「そういえば」


 と、さっき改めて須崎さんのお姉さんを見て、思い出したことを問いかける。


「お姉さんの真似をしてるって言ってたけど、髪型とかネイルの色とかは違うよね」


 髪はお姉さんがロングヘアなのに対し須崎さんはボブカット、ネイルはお姉さんがアクアマリンに対し須崎さんは桃色。

 どうして違うのだろうと、ふと気になったのだ。


「ああ、それね」


 須崎さんは大切な思い出を語る時のように、穏やかな微笑みを浮かべて話す。


「髪は昔、お姉ちゃんがよく似合うって言ってくれて。ネイルはお姉ちゃんにこの色でよく塗ってもらってたからなんだ」


「そういうことだったんだ」


 お姉さんと違うのはなぜだろうと思ったが、なるほど。

 結局、同じところだけでなく違うところにもお姉さんへの愛が詰まっていたのだ。


 そこからまた少しの間沈黙が続いたが、須崎さんが急にくすりと笑った。


「ところで私ね、思うんだ。お姉ちゃんにまんまと嵌められちゃったなって」


「嵌められた?」


「うん。たぶんお姉ちゃん、私たちを引き合わせるために、最初に葉山くんの前に現れたんだと思うの。しかも私たちに何度も会わせる理由を作るために、なかなか姿を現してくれなかったんじゃないかなって」


「だとしたらお姉さん、相当策士だね」


「そういうところあるの。うちのお姉ちゃん。ちょっとお節介っていうか」


 そう言う須崎さんは、いつもお姉さんの話をする時のようにとても楽しそうだった。


 なるほど、すると僕もお姉さんの手の平の上で踊らされてしまっていたということだろう。

 でもだとしたら、お姉さんには感謝をしなければ。


 こうして須崎さんと巡り合わせてくれたことに。






「葉山君」


 講義が終わり、帰り支度を整えていると、茶髪でお洒落な服を着た男子学生が声をかけてきた。

 同じゼミに所属する学生だ。


「今晩、ゼミのメンバーでまた飲み会があってよければどうかなって思ったんだけど、葉山君はやっぱり忙しいかな?」


 男子学生は少し気まずそうな笑みを浮かべていた。

 きっと僕がまた迷惑そうに断ると思っているのだろう。

 確かに、少し前までの僕ならば迷わずそうしていたと思う。


 ……落ち着け、僕。

 ゆっくりと喋ればいいんだ。


 僕はできる限り相手の目を見て話す。


「う、ううん、えっと……よければ僕も参加したい、な」


「え、ほんとに!」


 男子学生の顔がぱあっと輝いた。


「レアな仲間が来てくれるからみんな喜ぶよ。集合場所や時間はあとで送るね」


 そう言い残すと、男子学生は一度にこっと笑ってその場を後にした。


 よ、よし……できた。

 なんとか喋れたぞ。


 あれから、少しずつだか人と話すように努力をしている。

 人付き合いも頑張ってするようにしてみている。


 不安でいっぱいでも大きく変わろうと須崎さんの姿を見て、僕も変わらなくてはと思ったのだ。


「葉山くん、お昼ご飯行こ。私おなか減っちゃった~」


 荷物を持って講義室を出たところで、女子学生に明るい声音で話しかけられた。

 満月の夜空を彷彿とさせる綺麗な黒髪のボブカット。須崎さんだ。


 結局まだ須崎さんからは告白の返事をしっかりとはもらっていない。

 ただ、こう言われた。


 ――私らしく生きてみるから、そんな私でも好きだと思ったら、もう一度告白して。


 僕にとっては、オーケーも同然だった。

 なんといったって、僕はすでにお姉さんを模倣していない本当の須崎さんが大好きなんだから。


 しかし、まだ彼女が見せてくれていない姿はたくさんあるだろう。

 それをみんな見た上で、そこも含めてちゃんと好きだと証明したい。


 だから僕は彼女の言う通りにすることにした。


 そういうわけで今では一緒に大学へ通い、こうして毎日一緒にご飯を食べる仲になっているのだ。


「お待たせ、須崎さん。何食べに行く?」


「今日はがっつり行きたいな」


 そう言って小さく両拳を握って見せる須崎さん。


「じゃあこの前行ったばかりだけど、パンとチーズが食べ放題のお店はどう?」


「ああ! あのお店美味しかったもんね。そこにしよー」


「そうしたら行こっか」


「うん!」


 僕たちは二人肩を並べて歩き出した。






 第2話 生き写し ―了―

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