第2話 生き写し②
③
「さっきは取り乱したりなんかして、すみませんでした……」
「いや、僕も急に声かけたりなんかしてごめん……」
大学を出てすぐのファミレスで、とりあえず頼んだ二人分のコーヒーを挟んで僕らは頭を下げあった。
結局、彼女が落ち着くまで2,30分ほどかかった。その後、そのままの顔ではどこへも行けないと学内のお手洗いでメイクを整える間待ち、お互いに話したいことがあるということでファミレスに入り今に至る。
随分と大泣きしていたせいか、彼女はまだ目が少し充血し、瞼のあたりが腫れ気味のような気がした。
それにしても彼女は、どうして急に泣き出したのだろう。
そもそも、なぜ幽霊の彼女と瓜二つなのか。
どの順番で聞こうか悩んでいると、彼女が透明の電子端末に学生手帳を表示させて見せてきた。
「文学部、演劇映像学科二年の須崎冬花(すざき とうか)といいます」
「あっ」
そうか、まずは自己紹介だった。
僕も慌てて電子端末に学生手帳を出して、須崎さんに向けた。
「理工学部、霊磁学科二年の葉山秀(はやま しゅう)です。よろしくお願いします」
その瞬間、須崎さんが急に神妙な面持ちになった。
「やっぱり霊磁学科の方だったんですね」
「その、やっぱり、というのは?」
「私の姉のことを知ってるみたいだったので、私と同い年くらいのはずなのに」
僕は最初、頭の中に疑問符が浮かんだ。
しかしすぐに、もしかしたらという仮説を思いつく。
「ひょっとして僕がさっき言った、髪が長くて白いワンピースを着て、アクアマリンのジェルネイルをしているという情報が須崎さんのお姉さんと一致してるってこと?」
須崎さんがこくりと頷いた。
なるほど、そういうことか。
つまり僕が霊磁装置で観測したのは、須崎さんのお姉さんだったのだ。
「なら、須崎さんのお姉さんは……」
生霊の観測例が未だにない以上、答えは一つしかない。
「大丈夫です」
思わず暗い顔をしてしまっていたのだろう。
須崎さんが何でもないというように笑いかけてきた。
「姉が亡くなったのはもう9年も前のこと、私がまだ小学生だった頃ですので」
だから、大きな悲しみも時間の経過と共に薄れてきた。そう言いたいのだろう。
ならばなぜ、自分の姉の特徴を言われた時、あんなにも大泣きしてしまったのか。
僕には須崎さんが無理をして強がっているように感じて、つい目を逸らしてしまった。
「霊磁装置、でしたっけ? それで私の姉を見たんですよね?」
須崎さんが先ほどまでより2つくらいトーンを上げた声で訊いてきた。
僕は頷いて答える。
「恐らく。うん」
「姉はどんなでした? 元気そうでしたか?」
「と言われても、ごめん。霊磁装置で観測できる幽霊は対話ができなくて、ぼうっと無表情で前を見てるか、生前の行動を繰り返してるだけなんだよ。お姉さんの場合は前者だから、元気そうかどうかもわからなくて……」
「そう、なんですね」
須崎さんは表情こそ変えなかったものの、どことなく残念そうだった。
もしかしたらもう一度話すことができるかもしれない。
彼女はそう期待していたのだろう。
「あの、葉山くん。お願いがあるんです」
須崎さんは姿勢を正し、真っ直ぐに僕の目を見つめてきた。
どんなお願いをしてくるのだろう。
僕は思わず緊張し、ごくりと唾を飲み込んで彼女の言葉を待つ。
「私を、姉に会わせてはもらえませんか? どうしても伝えたいことがあるんです。たとえ姉には聞こえてなくても、伝えなければいけないことが……」
なんだそんなことかと安心し、僕は肺の中に溜まっていた空気を吐き出した。
無意識に呼吸が浅くなっていたようだ。
「だめ、ですか……?」
僕の深いため息を呆れだと思ったのか、彼女が不安げに上目遣いを向けてきた。
その顔は僕が一目惚れした彼女にそっくりなせいもあり、そんな仕草に僕の心臓は大きく脈打った。
「だ、だめじゃないよっ! 全然オッケー!」
「ほんとですか!」
須崎さんの顔がぱぁと明るくなった。
わあ、すごく笑い顔すごく可愛い。
惚れた相手と瓜二つということを抜きにしても、万人に刺さる表情だと思う。
って、いけない、見とれてしまっていた。
「も、もちろん、今日は研究室に誰もいないから、今からでも大丈夫なくらい」
「では、ぜひ今からお願いします」
ここ数日、霊磁装置を起動すれば毎日彼女を観測することができている。
会わせること自体はお安い御用だ。
そもそも、須崎さんがそう言い出さなくても、僕の方からそう提案するつもりでいたし。
④
「わあ、理系の研究室棟ってこんな感じなんですね」
霊磁ゼミの研究室に入った須崎さんが室内を見回して感嘆の息を漏らした。
「理系の研究室棟は入るの初めて?」
「はい、私は学科同様に文系のゼミに入ってますしね」
須崎さんは研究室のデスクの一つに駆け寄り、顎に手を当てながらジッとそれを見つめた。
「なんというか、想像よりすごく綺麗ですね。もっと研究機材とかで散らかってると思ってました。文系の方はすごいですよ? 共有スペースもそれぞれのデスクも文献の山です」
「まあ人によるかもだけど、確かに結構潔癖な人が多い気がするよ。でも何よりも先生が厳しくて、ちょっとでも散らかってたり汚れてると雷のように叱ってくるから……」
「あー……じゃあ私も汚さないように気をつけなきゃですね」
須崎さんはそう言って苦笑した。
散らかっていては正しいデータが得られないし、清潔にしておかないと精密機械をダメにしてしまうかもしれない。
先生が強く𠮟るのも仕方のないことだ。
そのことをよく理解していることもあり、このゼミのメンバーは、掃除だけはどこの学科よりも徹底していると思う。
「あれが例の……」
須崎さんの視線は研究室の奥、全面ガラス張りの壁を一枚挟んだ空間の中央にある、大きな透明の筒に向けられていた。
恐らく須崎さんが”それ”を見るのは初めてだと思うが、特別な雰囲気を纏ったその明らかな姿に一目瞭然だったのだろう。
どうやらお目当ての装置を見つけたようである。
僕は須崎さんの言葉を受け取って続けた。
「そう、あれが霊磁装置だよ」
須崎さんが息を呑むのが分かった。それからしばらく目が離せないように固まってしまった。
若干眉間に皺を寄せて、複雑な感情を含んだ難しい顔をしている。
そういえば、僕も初めて霊磁装置を間近で見た時、同じ反応をしていた気がする。
オープンキャンパスでこの研究室を見学した時だ。
思ったよりも小さい。それが最初の感想だった。テレビの映像や資料で見る限りだと、もっと人が何人も入りそうなくらいだと思っていた。
だが不思議なことに、印象とは違ったにもかかわらず、一目で霊磁装置だと認識できた。
すると、霊磁装置が段々とこの世とあの世を繋ぐ扉に見えてきて、恐ろしくも興味深く、気づいたら僕はそれから目が離せなくなり身動きすらとれなくなってしまった。
その時の衝撃と感動は、今でも鮮明に思い出せる。
てっきり、こんなリアクションの仕方は自分だけだと思っていたから、仲間が見つけられたようで嬉しかった。
それがまさか文系の畑の女子学生だというのが意外だったが。
「はっ! 私どのくらいこうしてました?」
唐突に須崎さんが、白昼夢から覚めたかのようにぴくりと体を震わせたかと思うとそう訊ねてきた。
「たぶん3分くらいだよ」
「そうですか……って、どうしてそんなにやにやしてるんですか?」
咄嗟に自分の顔を触って確かめる。
しまった。思わずにやにやしてしまっていた。
気持ち悪いと思われていないだろうか。気を付けないと。
「な、何でもないよ。それより、そろそろ始める?」
「そうでした」
須崎さんはぱちんと手を打ち鳴らした。
「私はどうしたらいいですか? 何か手伝うことはありますか?」
「大丈夫。すぐ準備終わるから、霊磁装置がしっかり起動するまでそこで座ってて」
「わかりました」
僕は霊磁装置の準備を手早く済ませた。
「じゃあ、須崎さん。霊磁装置の前に行くよ」
「はい」
霊磁装置は全面ガラスの壁を挟んだ向こうにあるが、その壁の一番左はよく見ればドアになっている。
僕は須崎さんを連れてそのドアをくぐり、霊磁装置の前まで移動した。
霊磁装置が適正な電力と磁力で稼働状態に。
あとはいつものように須崎さんのお姉さんが現れるのを待つだけだ。
それから5分ほどが経過。
恐らくそろそろだと思うが、何も起こる様子がないことに不安になったのか、須崎さんが僕の方を見た。
「あの、葉山くん。いつもはどれくらいで――」
「しっ、来るよ」
強い語気になってしまったが、大事な瞬間だ。
慌てて霊磁装置に視線を戻す須崎さん。
霊磁装置の中は今の今まで何もない空間が広がっていたが、そこに一粒の小さな光が浮かび始めた。
蛍よりも小さいその光は、十個二十個と急激にその数を増やしていき、徐々に一か所に集まり大きな光を形成していった。
ここ数日通りであれば、次の瞬間、光は霧散してその場所に女性が現れる。須崎さんのお姉さんが。
しかし、この日はどこか様子がおかしかった。
いつまで経っても光は霧散することはなく、少しずつその輝きを失っていく。
そしてとうとう、手持ち花火が消える瞬間のように、すっと光は跡形もなく消えてしまった。
「えっと、これは?」
きょとんとした様子で僕に事情の説明を求める須崎さん。
けれど、僕はそれどころではなかった。
「すごい! ねえすごいよ須崎さん!」
「え?」
「こんな失敗の仕方は初めてだ! 今まで読んだ文献にもなかった! 普通は今の状態になれば何かしらの霊は観測されるはずなんだ。今の結果をまとめれば学会が驚くかもしれないぞ……!」
「葉山くん」
「そうまるで今の結果は幽霊自身が現れるのを拒んでるかのような――」
「葉山くんっ!」
「……あ、ごめん。つい熱くなっちゃって」
「つまり今のは失敗ってことでいいんですね?」
「あ、うん。そう」
「失敗したのにどうしてそんな嬉しそうなんですか……?」
よくぞ訊いてくれた。
「それがね、すごいんだよ! もしかしたら大発見かもしれないんだ!」
「は、はあ……私にはよく分かりませんが、もしよければ、もう一回やってもらってもいいですか? 霊磁実験」
若干苛立ちを帯びた須崎さんの声に、僕は正気を取り戻した。
そうだ。いくらすごい観測結果が得られたからといって、失敗をしたのでは今は意味がない。
「そ、そうだねっ! ごめん、すぐに準備するよ」
僕は急いで再度実験の準備をした。
そして同じように霊磁装置を起動し、観測を試みる。
だが――
「また失敗した……」
――ガラスの筒の中の光はまたも霧散し、実験は失敗した。
その後、5回ほど霊磁実験を繰り返したが、一回も成功することはなかった。
「なぜだ……」
準備手順も、電圧のかけ方も間違っていなかった。
むしろいつもよりも丁寧に行ったくらいだ。
それなのに、なぜ……。
「まあ、機械ですしそういう日もありますよね。私、霊磁装置は全くの素人ですが」
帰り道、二人で並んで駅に向かっていると、落胆する僕を慰めるように須崎さんがそう言ってくれた。
しかし、その優しさが逆に、彼女に対する申し訳なさを引き立てた。
須崎さんはせっかくお姉さんに会えるかもしれないと思ってきてくれたのに。
その期待に応えられなかったのが悔しすぎる。
だから本当はもっと粘りたかったのだが、須崎さんが明日提出のレポート課題があるというので、早いうちにお開きになったのだった。
「ごめん。お姉さんに会わせてあげられるはずが……」
「気にしないでください。死者には会えないのが今までの普通なのですから」
ああ、目的を果たせなかったのにかなり気を遣わせてしまってる。
「ねえ、須崎さん。明日の夜も空いてる?」
「明日ですか? 空いてますけど」
「よかったら、明日リベンジさせてくれない?」
「いいんですか? 甘えちゃっても」
須崎さんが遠慮がちに上目遣いを向けてきた。
やばい、一目惚れをした相手と瓜二つである須崎さんのこの仕草。反則だ……。
「大丈夫! ぎゃ、逆にお願いしたいくらいだよ。成功するまで付き合ってほしい」
霊磁学科の学生としてのプライドのためだ。
そして何よりも、須崎さんの願いを叶えたいと思ったから。
「では葉山くん」
須崎さんはにこりと屈託のない笑みを浮かべた。
「明日もよろしくお願いします」
しかし、次の日も須崎さんのお姉さんは現れてくれなかった。
その次の日も、さらに次の日も同じく。
須崎さんに会うまでは、毎日お姉さんの幽霊を観測できていたというのに。
どういうわけか、実験は全く成功しなくなってしまったのだ。
「もしかしたら、お姉ちゃん、私に会いたくないんですかね」
冗談めかしてそう言う須崎さんの笑顔は、どこか悲しげだった。
ふと頭の中に蘇る自分の発言。
――そうまるで今の結果は幽霊自身が現れるのを拒んでるかのような
須崎さんと初めて霊磁実験の失敗を目の当たりにした時、珍しい事情を観測できたことに興奮してそんなことを言ってしまった。
冷静な今なら分かる。須崎さんの気持ちを考えられてない、明らかな失言だ。
「この前は確かにあんなことを口走っちゃったけど、幽霊に意思があるという報告は一件も聞いたことがないから、それはないと思う。それにもしもお姉さんに意思があるなら、きっと須崎さんに会いたいはずだよ」
「そうだと、いいんですがね」
その声からは、今にも空気に消え入りそうなほどの儚さを感じた。
そうは見せないと努めてるようだが、相当消沈しているようだ。
話すのが得意ではない僕には、どう慰めるべきか思い浮かばなかった。
だからこそ、なんとしても須崎さんをお姉さんに会わせる。
改めてそう心に誓って、実験に取り組んだ。
けれども、どれだけ強い思いを持ったところで、望んだ結果は得られなかった。
「今日も失敗しちゃいましたね。ですが、よければこの後、毎晩付き合ってもらってるお礼にご飯ご馳走させてください。今みんなが話題にしてるご飯屋さん行ってみましょうよ!」
帰り道、二人まで駅まで歩いていると、須崎さんがそう言ってきた。
その様子はさっきまでの落ち込んでいた姿とは打って変わって、心から元気そうに見えた。
空元気で明るく振舞っているのだろうか。
だがそうなのだとしたら、逆に僕の方が暗くなっていてはいけない。
「ああ、うん。行ってみよっか。じゃあご馳走になります」
「あ、でも、ご飯中に霊磁研究について熱く語りだすのはなしだよ? ご飯が美味しくなくなっちゃうから」
「えと、努力はします」
「やくそく」
須崎さんが少しだけ眉間に皺を寄せて、小指を突き出してきた。
「あ、はい……約束」
僕も小指を出し、須崎さんの小指に絡めると、彼女は満足そうに笑みを浮かべた。
「よろしい」
スキップをするような足取りで前を歩き始める須崎さん。
なんだか少しずつ、須崎さんの尻に敷かれ始めてるような気がする。
が、不思議と悪い気はしない。
むしろ、段々と彼女が素を見せてきてくれている感じがして嬉しかった。
「ああ~お腹空いた~!」
大きく伸びをする須崎さんに、僕も速足で追いついた。
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