第2話 生き写し①

 2048年。

 世界で初めて、アメリカの大学に霊磁研究を専門とする学科が設立された。

 その三年後の2051年、日本の大学にも初めて霊磁研究専門の学科が設けられた。




 ①


 その日、僕は――試験管の中の美少女に恋をした。


 年齢は僕と同じ、20歳前後だろうか。誰からも愛されるアイドルのように可愛い子だ。

 肩甲骨に届くほどの長い黒髪は少し明るめで、満月に照らされた夜空を彷彿とさせる。顔は子どものように小さく、陶器のように白く美しい肌が見えた。黒目がちでまん丸の目は、宝石のような輝きを放っている。

 白いワンピースの袖からは、アクアマリンのジェルネイルが施された綺麗でか細い手が覗いていた。


 そんな彼女は、僕の方へ目を向けつつも、どこか遠くの方を見つめているようだった。

 無理もない。試験管の中の彼女には僕のことが見えていないのだから。

 そもそも、何かを見ることができるのかすらわからない。

 いや、未だ解明されていないというべきか。


 試験管――といっても、大人が丸ごと入れるほどの大きさだが、その上下には複雑な配線や機械が取り付けられ、天井と一体化している。

 この装置は、死んだ人間から出てきた魂を観測するためのもの――霊磁装置。

 つまり、僕が恋した彼女とは、幽霊なのである。




 ②


「――皆さんもご存じの通り、霊磁装置を使用して幽霊を観測すること、つまり磁界霊視法は未だにその技術が不安定です。しかし、技術の進歩次第では、生きていた頃の魂の復元がほぼ可能という説が濃厚であり、さらなる研究が進められているわけであります」


 マイクを通して講義室全体に響く男性教授のほどよくしわがれた声。

 教授が手元のリモコンを操作すると、スクリーンの壇上の巨大モニターに二枚の写真が映しだされた。

 どちらにも、霊磁装置とそのガラス管の中に幽霊が見える。


「左が低電圧のみで観測された幽霊。右が低電圧から徐々に高電圧にしていった時に観測された幽霊です」


 左がノイズのかかったテレビのような姿をしているのに対し、右の方は遥かにノイズが少なく感じられた。

 しかし、僕はそんな写真に目を向けつつも、頭の中では違うことを考えていた。


 数日前、初めて見た日から、幽霊の彼女のことが頭から離れなかったのである。

 あの子は一体どこの子で、年齢はいくつで、どうして幽霊になってしまったのだろう。

 彼女のことなら些細なことでも気になって仕方がなかった。

 こんな経験は初めてだった。


 そもそも僕は人間が苦手だ。


「葉山君、だよね?」


「あ、え」


 講義が終わり、帰り支度をしていたところ、一人の男子学生に声をかけられた。

 よく同じ講義を受けている学生だ。恐らく同じ学科なのだろう。

 比較的地味な印象の多いこの学科には珍しく、髪を茶色に染めしっかりとセットし、いつもお洒落な服ばかりを着ているから何となく見覚えがあった。名前までは知らない。


 というか、本当に彼は僕に話しかけているのだろうか。

 僕以外に葉山という名の者がこの場にいるのではないか。

 そうでなければ、この僕がキャンパス内で誰かに話しかけるなんてあり得るはずがない。


 だが、きょろきょろと見回しても、それらしき人間はいなかった。

 話しかけている相手は、僕で間違いないらしい。


 まずい、反応をしなければ。

 でも何て返せばいいんだ。えーと……。


 あたふたしていると、彼は誰もが好感を抱くような完璧な笑みで話し始めた。


「実は今日の夜、磯部教授のゼミのメンバーで親睦会をしようってなったんだけどさ、葉山君もどう?」


「あ、いや、僕は……」


 そうか、同じ学科なだけでなく、同じゼミだったか。

 それはそうと、僕の答えは決まっている。


「ご、ごめん、僕はいい……です」


「えー、そう? じゃあ、気が変わったら教えてよ。それと、あのさ」


 彼は透明の板を取り出して、ニッと歯を出した。


「タイミング逃してたけど連絡先交換しよ。親睦会誘おうと思ったら連絡先知らなくて困ってさ」


 彼が取り出したものは、それ一つで電話やインターネット、家電の操作や健康チェックなどができる電子端末だった。


「それくらいなら……」


 僕も電子端末を取り出し、それを操作して連絡先の交換をした。

 

「さんきゅ。またゼミの飲みあったら誘うから~」


 彼はそう言い残し、手を振って去っていった。

 誘われても、まず行くことはないと思うけど。


 家族以外の人間とこんなに長く会話をしたのはいつぶりだろうか。

 まるで嵐が過ぎ去った後のようにどっと疲労感が湧いた。


「さて、と……」


 本日の授業はすべて終了した。

 ゼミの研究室へ行こう。


 ゼミのみんなは親睦会に行くと、さっきの彼は言っていた。

 ということは、研究室には誰もいないはず。今日はいつもより早い時間から彼女に会えそうだ。


 人によっては馬鹿げていると思うかもしれない。

 幽霊に恋をしたところで、一緒になれるわけではないし、そもそも対話すら不可能だ。

 しかし、磁界霊視法の進歩次第では、生きていた頃の魂の復元がほぼ可能という説が濃厚である。


 つまり、あの子の魂もいつかは復元できるかもしれない。

 その日が来るのを一日でも早めたい。

 それがつい最近できた僕の目標だ。


 講義棟を出た瞬間、耳をつんざくような蝉の鳴き声が響き、もわっとした熱気が全身を包み込んだ。

 もう夕方だというのに、気温が下がる気配は一向にない。

 まだ外へ一歩出ただけだが、早くも体が拒否反応を起こしている。


 講義棟から研究室棟までの移動は長い。

 もう少し涼しい時間帯になってから移動するという選択肢もあったが、僕は迷わず歩みだした。


 梅雨が明けてからオーブンの中のように化け、苦しくて仕方がなかったこの道のりだが、ここ数日はあまりそう感じないのだ。


 彼女に会える。

 そう思うだけで、体感温度は5℃下がり、体は翼が生えたかのように軽くなった。


 並木道や噴水のある広場を抜けて研究室棟へと向かう。

 しかしその道中、僕は自分の目を疑う光景を目の当たりにした。


 夕焼けに照らされた広場。

 噴水の淵に腰掛け、この大学のシンボルにもなっている時計塔を見つめている一人の女子学生がいた。


「そんなはずは……! なぜ彼女がここに……っ!?」


 恐らく20歳前後と思われる華奢な女子学生。

 満月に照らされた夜空を彷彿とさせる黒髪。顔は子どものように小さく、肌は陶器のように白く美しい。黒目がちでまん丸の目は、宝石のような輝きを放っている。


 なんとそれは――僕が恋をした幽霊の女の子だったのである。


 試験管の中にしかいないはずの彼女が、どういうわけかこのキャンパスに存在している。


 動揺のあまり、一瞬にして様々な憶測や仮説がよぎった。

 僕に霊感が目覚めた? いや、違う。ここに霊磁界が発生しているのか? それとも実は彼女は生きた人間だった? ともすると僕は生霊を観測していたのか?

 脳内はまさしく大嵐。混乱状態だ。


 どうしてか彼女は、今日は髪を短くボブカットにしている。服装は流行りのデザインの白いブラウスにタイトなスカート。その上、アクアマリンではなく桃色のジェルネイル。そしていつもより、その顔からはどこかあどけなさを感じる印象を受けた。

 しかし、今はそんな些細なことはどうだっていい。


 僕は女子学生に駆け寄った。


「どうしてっ! ここに……!?」


「はい……?」


 僕の問いかけに、彼女は若干逃げ腰で、ぎょっとした顔をして首を傾げた。

 その表情からは恐怖や訝しみといった感情が窺える。

 けれど構わずに僕は続けた。


「どうしてここにいるんだ! 君は生きていたのっ!?」


「あ、あの……すごく意味わかんないんですけど、帰ってもいいですか? 帰りますね」


 そそくさとその場を後にしようとする彼女。

 やはり僕が観測していたのはただの生霊だったのだろうか。

 だが、もし生霊だとするとおかしな点がある。

 僕は逃げるように立ち去ろうとする女子学生の背中に問いかけた。


「髪は最近切った? いつもは長かったけど……それに服装も! いつもは白いワンピースだった」


「っ!?」


 突然、女子学生が雷に打たれたかのようにぴたりと歩みを止めた。

 そして、錆びついたブリキ人形のようにゆっくりと、こちらを振り返る。

 彼女は驚きを隠しきれないように目を丸くしていた。


「今、なんて言いました……?」


「髪は長かった。いつもは白いワンピースだった」


 もし生霊なのだとしたら、実際のその者と少し姿が違うのが気になったのだ。

 生霊の観測例は未だないが、仮説では、最も強く認識する自分の姿が生霊となるとされている。


「それに……」


 と、僕は付け加える。


「いつもはアクアマリンのジェルネイルをしていた」


 その瞬間、彼女の目からぽろっと零れるものがあった。

 大粒の雫だった。


 最初の一滴に続いて、次々と水滴が零れ始める。

 そしてダムが決壊したかのように、大声を上げて彼女が泣き始めた。


「え……えっ!? ちょっ、なんで泣き始め……えっ!?」


 あまりに予想外の出来事に、僕はおろおろとすることしかできなかった。


 キャンパスの噴水広場で、大泣きする女子学生とその隣の男子学生。

 近くを通りかかる学生たちからは「破局か……」「浮気でもしたんじゃねーの」「彼氏サイテー」といった声が聞こえる。


 全くの誤解なのだが、僕が第三者としてこの光景を見ても似たようなことを思うだろう。

 逃げてしまいたい気持ちに襲われたものの、こんな大泣きする彼女をこのままにするわけにもいかない。

 仕方がなく僕は、彼女が落ち着くまで周りの目に耐えつつ傍にい続けるのだった。

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