第15話 僕だけでも、君を肯定する。
〜X年10月2日:相沼優志
あの日、へーちゃんとお父さんは病院に運ばれ、どちらも一命をとりとめた。
僕は警察に保護され、事情聴取を受けることになった。
僕は、偽りなく答えた。
へーちゃんが糠部先生を殺したと話していたこと。
へーちゃんの家で彼の母親の死体を発見したこと。
へーちゃんが継父だった古積の所に行くと言ったとき、同行を希望したこと。
へーちゃんが僕が寝ている間に古積を殺したこと。
それでもなお、自首を促さなかったこと。
全てを話せば、まるで肩の荷が降りたかのような解放感があった。取調室に入った瞬間は緊張でどうにかなりそうだったのに、話終える頃には自然と笑みが溢れた。警察は、そんな僕を不思議そうに見ていた。
「君は、脅されていたわけではないんだね?」
「はい。むしろ、平和くんは僕のことを何度も止めようとしてくれました。でも、僕が平和くんと一緒に行きたくて……。だから一緒に行きました」
「自首を勧めなかったのはどうして?」
「一緒にいたかったからです」
「一緒に向江市に来たのも、同じ理由?」
「はい。僕は、昔いじめられていたのを平和くんに助けてもらったので、その恩返しがしたかったんです」
「実際、君は平和くんに殴られているし、お父さんは大怪我をさせられてるけど」
「そのことに、怒りとか感じてません」
僕がはっきり答えると、警察はやっぱり変なものを見るかのように怪訝そうに目を細める。僕はそれに気づかないふりをして、淹れてもらったお茶を口にした。
「君のやったことは犯罪だよ」
「知ってます。でも、僕は後悔してません」
もちろん、へーちゃんを止められるならそれが最善だったとはわかっている。でも、そんなことは今更だった。
自分が殴られたのだって、へーちゃんにとって必要なことだったのであれば仕方ないと思えるし、お父さんのことも気にすることはない。
僕は結局、何一つお咎めなしだった。驚くくらい呆気なく解放されて、拍子抜けなくらいだ。
きっと、お金で全てを揉み消したのだと思う。父方の祖父は元警察官でそれなりに凄い人だったらしいので、我が家はお金だけは裕福にあるのだ。
家に帰れば母に一発平手打ちをくらい、そして抱き締められた。そこで、僕は色んなものに守られている裕福な人間なのだと実感し、胸が痛くなってたくさん泣いた。何も理解できていない妹も、僕の帰りを見てギャンギャン泣いた。
お父さんは全治3週間の大怪我をした。見舞いに行くと母や心春の前では穏やかに「いやぁ、失敗したな」と笑ったが、二人きりになればはっきりと「私のお陰でお前は自由なんだ。よかったな。何でお前はこんなに出来が悪いんだ」と言った。だから、お父さんに「自分の立場のために僕の罪を消してくれてありがとう」と皮肉を返した。
お父さんが古積の家に行ったのは警察としてではなかった。へーちゃんのお母さんの遺体を発見したあと、へーちゃんの家の中を調べているとへーちゃんが残した古積家の住所のメモがあった。それを見て、車を走らせてきたらしい。
あの日、へーちゃんはお父さんを殴った理由を「目の前にいるから」と言っていたが、僕は納得できなかった。その後警察からお母さんに話していたのを盗み聞きしたのだが、どうやらへーちゃんとお父さんは確執があったらしい。
へーちゃんは「息子をいじめていると決めつけた挙げ句、殴られた。そうかと思えば息子本人がいじめられてると相談しても知らん顔をしていたのだと聞いた。顔を見ただけで腹が立った」と警察に話したそうだ。
そのことでお父さんは上司に色々詰められた。結局、お父さんはへーちゃんを殴ったことを認めた。「異常者の息子だから」というのが、へーちゃんをいじめっ子と思った理由らしい。それから、「あまりに優志とタイプが違うから友だちな訳がない」と思ったそうだ。
中学生のとき、僕がいじめられていると話しても相手にしてくれなかったのは、これも理由なのだろう。お父さんはプライドが高い。きっと、「自分がいじめっ子を成敗したはずなのに、実は間違っていた」ことを認めたくなかったのだと思う。
結局、一人で古積家に乗り込んだのも、へーちゃんに交渉するためだったのだ。かつて自分がへーちゃんをいじめの主犯と言い、手を上げたことを黙ってもらおうとしたのだ。
お父さんの件は、世間に出ることはなかった。それだけではなく、二人目の継父である明星を車前に押し出して殺害したことも、糠部先生を屋上から突き落としたことも、報道されることはなかった。テレビで見るのは、実母と一人目の継父の古積を殺したことだ。それから、自分のお腹を割いて自殺しようとしたこと。
考えればわかる。お父さんを殴ったことに関しては、お父さんも訴えていないし警察官の不祥事なのだから公にしたくない。明星の死は事故、糠部先生は自殺で処理されている。今更それを掘り返すことは警察としてはデメリットなのだろう。
「母の躾が厳しくて耐えられなかった。古積さんに対して助けを求めたが裏切られたと感じて殺した」。それが、テレビで紹介される殺害動機だ。
自殺を図ろうとした理由は「小さい頃からずっと、自分が汚いと思っていた。だから、内蔵を出してキレイにしたかった」。僕には理解できないその感覚に、僕は喉がつっかえるような感覚を覚えた。
へーちゃんが殺人を犯す一ヶ月前に幼い女の子が虐待によって死亡した事件があった。そのため、虐待というものが世間の関心を浴びている。
関心が向けられているからこそ、へーちゃんの件もかなり深く報道がされた。家庭復帰をしたのが事件の約4か月前で、まだ児童相談所の支援が続いていたこともあり、かなり非難の声が上がっている。
その中で、虐待の一部が報じられた。それは、児童相談所が双郷家について把握していた内容だ。気に入らないことがあると殴られる、凶器で脅される、性行為を強要される。それが彼が小さいときから今まで周りの大人にされてきたことだった。また、古積については塾での子ども盗撮の件も明るみに出ていた。
彼に関するニュースが流れる度、胸が締め付けられるように痛かった。記憶の中のキラキラした笑顔を浮かべているへーちゃんが、どんどん歪んでいく。
あの頃の笑顔が本物だったのか……僕にはもう知るすべもないのだ。
へーちゃんの事件から約2周間経ち、10月になってから僕は再び学び舎に足を運ぶことにした。
それまで思考がうまくまとまらず、自室にこもる日々を過ごしていた。落ち着かない気持ちを鎮めるために、唯一僕ができるのはへーちゃんとの日々を思い出しながら絵を描くことだった。
グチャグチャになったへーちゃんのお母さんの遺体、頭から血を流すお父さん。ただ、あの強烈な風景を鉛筆で描いた。
そのうちに、徐々に気持ちは落ち着いた。あの日々が現実だったことを噛み締め、へーちゃんの苦悩に気付かなかったことを認め、それでも前に進まないといけないことを覚悟した。
久々の教室に足を運べば、室内にいたみんなが僕を見た。こんなに注目されるのは、きっと人生で最初で最後なのだろう。
「相沼」
真っ先に声を掛けてきてのは近衛くんだった。
「その、なんつーか、大変だったな」
「僕は、そうでもなかったよ」
大変だったけど、それよりも泣いたり怒ったりコロコロ顔を変えていたへーちゃんの方が忙しかっただろう。今は彼も少しは落ち着いたのだろうか。
「……へーちゃんの席、残ってるんだ」
ふと目に入ったのは、へーちゃんの席だった。事件から2周間経ち、へーちゃんは既に退学となっているはずだ。それでも彼の席は、変わらずに置いてある。
「あー、俺が……先生に頼んだんだ。なんか、このまま居場所をなくすのって、あんまりじゃねぇかなって」
近衛くんが曖昧に笑う。きっと、先生に頼むときも曇った顔をしていたのだろう。それでも近衛くんがへーちゃんのことを大切に思ってくれたのが嬉しかった。
「相沼、アンタはいつから知ってたわけ?」
僕らの話の成り行きを見守っていた榊さんが僕に寄ってくる。腕を組む彼女は険しい顔をしていた。
「みんなの、ほんの少し前だよ。……家に行ったらもう、へーちゃんはおばさんを殺してたんだ」
糠部先生のことは報道されていないので、僕は少しだけ嘘を吐く。でも、この嘘を吐くことが苦しい。僕は糠部先生のことを知っていても何も行動しなかった。だから、こういう結末を迎えたんだ。そのことを確かめるようで、気持ち悪かった。
「まぁ、双郷も3ヶ月しかいなかったわけだし、私らを頼れないのもわかるわよ。しかも家のことだし。でも、やっぱり酷くない?」
榊さんの声が僅かに震える。
そうだ、へーちゃんは転校してきて3ヶ月しか経っていなかった。それなのにこうやってクラスメイトたちの関心を一身に浴びるのだから流石としか言えない。やはり、文化祭が大きかったのだろう。転校してきてたった1ヶ月でグラスの中心になって文化祭の準備を進め、彼が成功に導いてくれたのはクラスのみんなが感じていることだ。
だからこそ、こんな別れ方なんてしたくなかったのだ。もっと、みんなで行事とか楽しんでいきたかったのだ。
「おかしいわよ、こんなの。これから修学旅行もあってさ、楽しいことたくさんじゃない。なのに、何してんのよ」
「……」
「バカ。本当、バカすぎ」
強がっていた榊さんの目から音もなく涙が流れた。
へーちゃんならすぐにハンカチを差し出していたのだろうけど、僕はあいにくポケットにハンカチを入れてなかった。泣き始めた榊さんを見つめることしかできない。
「あのとき、ちゃんとアイツの話し聞けばよかったな……」
ポツリと加山くんが呟く。あのとき、とは猫の死体を弄っていたときのことだろう。
加山くんの言う通りだ。僕が、へーちゃんの話を聞くべきだった。それこそ、ずっと前……小学生のとき、猫の死体が発見されるようになったときに。
誰も、あの頃気づくことはなかった。へーちゃんが犯人だと、誰も思いもしなかった。
あの頃、へーちゃんの歪みに気付けたら良かったのに。
「相沼くん、君の話を聞きたかったんだ」
「話?」
学級委員をしている五木くんが僕の肩を叩く。彼もまた、複雑そうな顔をしていた。
へーちゃん……君、本当に凄いよ。
僕みたいにずっとこの学校にいたわけじゃないのに。それでも、みんな君のことを多少なりとも考えているし、力になりたいと思っていた人はいたんだ。
どうして、本人だけが気付けなかったのだろう。
「正直、僕らもどうしたらいいのかわからないんだ。彼のやったことは良くないし、だが、彼を救う人間がいなかったのも事実だ。それなのに、彼だけが犯罪者として裁かれるのは……少し、心苦しい」
1ヶ月前に戻りたい。
そうだ、へーちゃんだけじゃない。僕が誰かに相談しても良かった。こうやって、気にしてくれる人だっていたんだ。
結局、僕は独りよがりな考え方しかしていなかった。自分が支えになりたいとか、恩を返したいという気持ちばかり抱いて、へーちゃんが一番必要としていたものを見ようともしなかった。
「 」
言葉が詰まって、何も出てこなかった。
今までたくさん泣いていたのに、もう涙すら流せなかった。
こうやって困ったとき、へーちゃんは助けてくれた。中学では耐えられたけど、また彼のいない世界を歩むのはあまりに息苦しい。
嗚呼、本当僕って最低だな。
僕は、保育所時代からずっとへーちゃんに執着していた。依存していた。
へーちゃんを、自分の世界を作る神様として扱っていた。
だからなのか……この期に及んで、僕は彼の間違いを認めたくなかった。
間違いだなんて、言いたくなかった。
友情ではない。恋愛でもない。彼からの気持ちは向けられなくても構わない。
僕だけが勝手に彼を神聖化して、全てを正しいと言ってあげたい。
へーちゃんで彩られた僕の世界を、守りたい。
「あ、あの……」
言葉を失う僕の代わりに、類沢さんが弱々しく声を上げた。文化祭では大役をやりきった彼女も普段の生活は変わらず影に潜んでいる。それでも、彼女もへーちゃんに思うところがあるのだろう。
「双郷くんにお手紙、書こうと思ってるんだけど……みんなはどうかな。すぐに読んでもらえるかはわからないけど、少なくとも出てくる頃には届くと思うし……その、待ってるよって……」
モジモジしながら話す類沢さんの声も、榊さんと同じように震えている。
こうやって色んな人が気にかけてくれるのは、へーちゃん自身もまたみんなを気にかけていたからだと思う。クラスに28人もいるのに、みんなが類沢さんの意見に賛同したのも、へーちゃんが日頃から築いていた人徳なのだろう。
不思議と、誰も彼を責める人はいなかった。
笑う人も、バカにする人もいなかった。
手紙を書くと決めて、五木くんがルーズリーフをみんなに配った。書くも書かないも自由だと五木くんは伝えたが、みんな紙が配られたらペンを走らせている。
僕もペンを持って、そっと目を閉じた。
手に、へーちゃんの血の感触が残っている。生暖かくてドロドロした赤は、どんなに洗っても取れることはない。
きっと僕がなんて言おうと、彼はきっと「俺が悪かった」と言う。そうやってへーちゃんを間違いにされるのは……本人であっても嫌だ。
君は間違ってない。
その一言だけ、書いた。
彼は、人に言われた自分で在ろうとする。
親に言われてキレイで在ろうとしたように。
僕に言われて凄い自分で在ろうとしたように。
だから、僕はそのままでいいよと伝えたい。
彼がもう、否定されないように。
僕の世界が、崩れないように。
僕だけでも君を肯定する。
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